湯上りとベッド
「あっつい、のぼせたぁああ~~」
「…長風呂し過ぎましたね。」
湿った肌が、廊下の木の床に吸い付いてぺたぺたと二人歩く。
いつもなら、この夜の深さは食事をとるところ。
それなのに…
腹はまだ空いていない。
それどころか、あれだけ泣いたのに喉も乾いていなかった。
些細な違いで、気付く。
俺はもう、人じゃない。
アガツミは黙ったまま、何を思ったか
無神経に頭をぽん、ぽんと撫でるように叩いて、
その手を滑らすように、用意をする。
皿2枚と各々にリンゴを2つのせて、歩いていく。
行くのは、寝室だろうか。
俺もそれに続いて、水差しとコップ2つを持っていく。
本を適当に押しのけ、部屋に入る。
部屋に一つしかないベッドの脇にあるテーブルに水差しとコップを置いて
髪も禄に拭かず、ベッドでリンゴを食べた。
いつもは、こんなに行儀の悪いことはしない。
だけど今日は許される気がした。
リンゴを1つ食べて、水を飲んで。飲んで。
…2つめには手に取り、食べずに弄んだ。
爪でリンゴの皮に傷をつけて、力の入れた指をリンゴの肉に沈ませる。
アガツミからの視線を感じたけれど、素知らぬ顔で、皿に置いた。
「…髪乾かしますよ、温風の出るアレとってきます」
俺が、そういって立とうとすると、アガツミが呼び止めた。
「あ~今日はいいよ、もう寝よう。なに私は勇者だよ。濡れたまま寝たくらいで、風邪はひかない。」
「…髪ぐしゃぐしゃになりますよ」
「…いいんだ、今日は。…もう寝よう。」
ああ…と思わず息が漏れる。
この人は、このまま寝る気か。
「…その前に話してください。…貴女、この手のこと、ずるずると後回しにするんですから」
今日で、決着をつける。
籠もっていたのは怒気にも似た何かだ。
俺がいつまで、こうしていられるかも分からない。
…死ぬのは構わない。
だけど、二人が暮らした時間を疑いたくない。
消えるまでにと、食いつく。
「…この手の事じゃ、わからないよ。」
「俺に怒られそうなこととかですよ。俺の“生前にも”よくやっていたじゃないですか」
あえて、傷つけるような言葉を使う。
この人はこうでもしないと、のらりくらりと逃げるだろう。
俺は、知っている。
「……わかった、わかったよ。全部話す。でも…」
…ようやく捕らえたか。気が変わらないうちにと畳みかける。
「別に怒りませんよ」
「でも、私は、君を…」
「怒りません」
逡巡の後、アガツミは言う。
「…もう、私は、君を人に戻す気はないよ」
ああ…今日は、珍しい顔をたくさん見る。
「…そんな気はしてました」
なんとなく、わかっていた。貴女はいつも勝手に決めて、貴女の見えている視界で、基準で、世界で動く。
そして、こういう時の貴女は譲らないんだ。
「君は、そのままずっと私といるんだ」
そんな最低で、勝手すぎる一言。
いつも通りの無神経さ。
だけど…そんな一言に正直ほっとした。
生きていなくても、すぐ消えるようなことはないらしい。
体の力が抜け、静かになった僕に、不安を感じたのかアガツミが言う。
「…怒ってる?」
「…いいえ。」
「本当に?」
「…はい。」
端正な顔立ちをゆがませて、聞いてくる。
意味はないのだ、ただ俺は否と応じるだけ。
それなのに、何度も何度も。
~~~
「もう満足しましたか」
「……うん」
本当に…この人は。
「…ねぇ、本当は?」
まだ聞くか。
さすがに…
「…あの、本当にしつこいです。…怒りますよ。」
「ほら…やっぱり、怒るんじゃないか!」
うん、知ってたけど…。超この人、めんどくさいな…
結局、彼女を信じることにしたのだ。
というよりも、
最初からきっとこの道は変わらなくて…
それに気づいた時には、
悩んでいたのはなんだったのかと呆れてしまった。
傍に貴女がいればいい。
俺がどんな形であろうと、それは構わない。
「話してください」
そう言うと、アガツミが驚いた顔をして、そのまま固まったかと思うと、
涙をこぼす。
「…やっと、笑った。」
「…そりゃ、ね。そういう事もあります。」
ああ…、お互いに不安だったんだ。アガツミも俺も。
「うん、…そうだね。……わかった、話そう。」
アガツミが言う。
もう逃さない。逃げられない。
でも、どんな答えでも俺は…
聞いてみれば、本当に馬鹿らしくて、
でも彼女にとってみれば切実な問題で
俺にとってみればたまったもんじゃない話だった。
木の葉の揺れる音、枝が揺れぶつかる音。草花が揺れ擦り合わさる音。
そんな音が家の中に居ても、かすかに聞こえる。
崖上にある、この家は岩場にもかかわらず、草木が生い茂る。
多種多様の強く根を張る植物が生息しているのだ。
夜にはその間をくぐるように、風が吹く。
その囁くような音が、夜を一層、静かにした。
二人は、身を守るように、体を寄せ合っていた。
二人を包む毛布が体温で温まるぐらい沈黙が降りた後。
「…ふぇると君、勇者の“異能”は知ってるかい?」
きゅっと、シーツを握り、どこか決意を秘めた顔つきで、彼女は俺に問う。
「……そりゃ知ってますよ。おとぎ話や英雄譚にたくさん書いてあるじゃないですか。…そう、えっと…これとか」
俺は寝室に広がる本の海から、かつて読んだことのある目当ての本を手に取り、アガツミの問いに応える。
そのタイトルは…
「豚でもわかる勇者録要約」
……ふざけたタイトルに反して、王都では相当コアな部分まで子どもにも分かるように、ジョークを織り交ぜ、説明されていると好評で大層売れたらしい。本人さえ丁寧な解釈がなされていると太鼓判を押していた。
本人が近くにいることもあり、最近ではこういった勇者について書かれた本を読む機会はすっかり減っていた。しかし昔は彼女について知ろうと、片っ端から家中の本を読みふけったものだった。
だから
書いてある内容はおおよそ頭に入っていた。本をサイドテーブルに置いて、“本に書いてある”勇者についての常識を話す。多くの本に共通して書かれていること、つまりは“一般論”だ。彼女とともに暮らしてきた俺に、今更、改まって聞くという事は一般論だろう。
少し考え、要点をまとめてから、口を開く。
「勇者は非常に多種多様な異能を持っているとされています。その中でも最も有名な、勇者の異能の内の一つには【全ての異能を使える】があります。これは、下級・中級・上級の水位・風位・地位・火位・木位の5属性からなる通常の異能は“勿論”すべて使えることに加えて、『創成』『変移』『消失』の3属性からなる“特級”の異能。…そして『不死』と『奇跡』の2属性からなる“超級”の異能。……神の力に等しいとされているこれら5種の異能を使えることから、教会は神と勇者を同等の存在として扱い、唯一神トルスとともに信仰の対象としています。」
「そうだね。…ただ厳密には違うし、足りない」
「…はい」
よくできましたという顔だけで言って、
いたずらっぽく答えるアガツミに俺はしぶしぶ、応えた。
要求したのは、そういうことでしょうに…
「着火」
彼女が唱えたのは、家事などで使われる発火の初級魔法だ。
彼女の爪先に小さな炎が上がる、アガツミはランプにそれを移し、
爪先に残った僅かな炎を弄ぶ。
炎が色を変え、形を変え、アガツミの顔になったり、俺の顔になる。
崩れたかと思えば、真夏の日差しのような熱を持ち始め、かと思えば冷気を放ち始める。
そして、話を続けた。
「だってそうだろう? ボクら勇者、先代の勇者や私が自分から
“私たちはこんな異能がありましてねぇ‼ あ~見てらっしゃい、寄ってらっしゃい! そんで、褒めて‼” な~んて、言うと思うかい?」
「言わない…でしょうね」
「そう。だから【全ての異能を使える】異能なんてのは私たち勇者を見てきた彼らの観測に基づく推測に過ぎない。それに…私らが意図的に誤解されるように見せているものもある。例えば、ある現象を異能や魔法のように見せたり、ね」
ポンと軽い音を立て、赤と青、炎が抱き合った二人の精霊の姿を形どる。
それは彼等にとっては親愛のそれだ。しかし、精霊は基本的に“素っ裸”、そして“美形”と決まっている。多少、見てはいけないものを見たような気になって、少し動揺する。
そんな俺の内面を知ってか知らずか、精霊は俺と目が合うと、
二人は仲良く目を見張ってから、顔を見合わせ、無邪気にくすくすと笑う。
そして、「ばれちゃったー」と言って、(飛べるだろうに)床に降りて、
とてとてと風呂場のほうに駆けていった。
「友達に会いに来たそうだ。ついでに召喚してみたんだが……一瞬、炎を操る魔法と思ったろう?実は召喚魔法でしたー!」
「……それで?」
「ん?」
「続きですよ、話の!」
「ああ…そうそう。勇者だって自衛のために自分の異能は隠していたりもするって話さ。
強い異能は一騎当千の力だ。争いに巻き込まれることも多い。私がさっき召喚魔法と偽装魔法を炎を操る魔法に見せたようにある異能を”違う目立つ異能”の陰に隠したりしておけば、いざ争いに巻き込まれても優位に動ける。だから、さ。勇者の能力は“異能をすべて使える”だけじゃないし、中には世間的に知られてないものもあるって話。」
「…その異能が」
「ん?」
「俺を…殺した理由ですか?」
「あぁ……察しがいいね。」
「……」
「君は最も勇者を象徴する言葉を一番にあげなかったね」
「いや、あれは…」
そうだ、なぜ勇者の一番の特徴を避けたのか、無意識のうちの行動の説明はアガツミが補ってくれた。
「…そう、あれは異能というよりも呪いだよ。」
「…」
「コインの表裏をあてよう。君は?」
「……表で」
「じゃあ私は裏だ」
アガツミが親指の上にコインを乗せ、弾く。
アガツミが弾いたコインは“表”だった。
コインを指で弾く 表
コインを指で弾く 表
コインを指で弾く 表
表表表表表表表表
「私はね。この勝負、負けたいと思った。」
「”常勝”」…それは、必勝するという能力ではなく。
アガツミの弾いたコインは”変わった”軌道を描き、時には物にぶつかったりして、そして、何もなかったかのように弾く前と何一つ変わらない様子でアガツミの親指と人差し指の腹の間に収まる。
「”常勝”」…それは、理に常勝するという能力。それは、望む結果を手に入れる能力。
「ずっと、私は望む未来を手に入れてきた。正直ね、ちょっと退屈だよ。
もう少し、思い通りにならないことくらいあったらなって思うよ。」
そういってアガツミが弾いたコインは…キンと高い音を放ち、割れる。
彼女が望むのは予想外な結果。
単純に裏が出れば彼女の願いが満たされるわけじゃない。
そしてまた表が出ればそれもまた、ある種の当然。
真っ二つに割れたコインは、くるくると綺麗に回り、やがて動きを止める。
片割れは表。
もう片割れは裏。
願いは必ずしも、アガツミの願うものであってもそうではない。
結果を手に入れるその能力は、歪に叶うこともある。
「ほら…ね。この異能【常勝】は、理に常勝する。望んだ結果を得るにあたって。その過程で“なんでもできるようになる”。君が先ほど言ったすべての異能を使えることもこの異能の一部に過ぎない。だけど、この異能は私の乙女心なんてちっともわかっちゃぁくれない。大きな意味で言ったら、異能には違いないのかもしれないけど、これは、そんな可愛げのあるものじゃない。決して逃げることのできない、もっと私の身体と精神の深いところに絡みついた…私という存在の象徴そのものともいえる…」
「…」
「だから、つまりは…こんなのは呪いだ」
アガツミが言葉を吐いた途端に、確かに空気が重くなるのを感じた。
背後からもってきた彼女の手が俺の頬をつつと撫ぜる。
吐息が耳朶にかかる。
腹の底に火が付いたように熱く、疼く。
一瞬のうちに、情欲と羞恥が沸き上がり。
そしてすぐに、痛みに置き代わっていく。
蕩け、逃れられられないのは、恐怖か、誘惑か、共感か。
寂しく、痛くて、重くて、俺は、それから逃れようとすることを止めた。
空気を壊したのは、この空気を作り出した張本人だった。
…鋭く、静かに、アガツミは言った。
「気づいていれば、ね。君はこんな風に…」
何に…だろうか。
その目は、呑み込まれるような…
戻れないような色に、俺は怯えたのだろうか、
僅かばかりの抵抗というように、身をよじって…断ち切るように、言葉を紡いだ。
「…いいですから」
俺がそういって彼女の肩を軽く押しのけると、アガツミは、ふっと笑い、パッと手を離しかと思えば、顔を虚空に向ける。そして、また続きを話し始めた。
…いつものアガツミだ。
先ほどまでの重苦しい雰囲気は完全に霧散していた。
僕は、詰まる息を吐き、体のこわばりが徐々に失せるのを感じると、
今度こそ心の底から、胸をなでおろした。
しかし、その落ち着きも一時のものだった。
アガツミは言う。
「特級や超級の異能はシンプルなものが多い。その概念的な異能は無限の異能の解釈を持ち得る。そして、勇者も例にもれない。私は大抵のことは何でもできるが、なんというか…私の体に染みついていると言えば良いだろうか?そんな異能は3つだけだ。勇者を象徴する【常勝】。それに不死の上位互換のような異能【傷つけること能わず】そして、もう一つ」
アガツミが呼吸を整えるように言葉を切った。
…次が恐らく、俺が死んだ理由だ。
思考に沈んだ俺の意識は暗がりから一気に引き上げられる。
俺はなぜ死んだのか。なぜ殺されなければならなかったのか。
…ようやく、その理由がわかる。
顔をあげると、待っていたのだろう
アガツミと目が合う。
身じろぎしそうなほど刺すように強い視線
ああ…彼女はもう決めたらしい。
俺も覚悟を取り繕う。
…彼女は言った。
「3つ目は【世界は悪感情を持てない】、だ」
反応を示す間も与えず、アガツミは続ける。
「誰も、人も、どんな動物も、植物も、およそ生き物と呼べるものは私に対して、敵意に害意、怒り、憎悪、嫉妬など、そういった悪感情とも呼べるような感情を抱けない」
「……は」
「少年、少女、大人、老人、赤ん坊、動物、魚、植物、生きとし生けるもの全てが初対面の私に対して、敵意を向けない…たとえ私が害意を伴うような行動をしたとしてもね」
一般的に、他人の思考に干渉する異能は難しさを極める。
なぜならば異能は基本的にはイメージであり。
刻一刻と変化する対象の思考をイメージすることは不可能に近いからだ。
だから、精神干渉系の異能は対象の思考を、一種の混乱状態のように固定することで、
一定の効果を出す。
彼女が言ったのはそれとは違う。
対象が生物すべてになるならば、今生きとし生けるものすべてが自由意思を奪われた人形のような存在であるはずだ。
しかし人々の意識は残っている。…ということは彼女は対象の意識を残しながら、他人の思考に干渉しているのだ。
一人でも不可能とされてきた、自由意志を保ったままの精神干渉を、
全ての“生命”に対して“常に”という。
到底、人の領域を超え、それどころか神にさえもできるとは思えない所業で
そんなものは到底、理とは思えなくて、
人々は何も知らないままその“理”の中を生きてきたという
その異能は世界そのものが彼女を過保護に愛しているようで
全てが彼女を中心に回っているようで……
先ほど話したことが頭をよぎる。
「「神と勇者を同等の存在として扱い…」」
教会は、勇者と神を同等の存在として扱っていた…
「まるで勇者のために世界が存在しているようだ」
そんな言葉が零れそうになる
それでもその言葉が口から零れなかったのは、
意地でもなんでもなく、乱れた息がそれを許さず、音にならなかっただけだった
戸惑いを極める僕に、彼女は語り続ける。
「異能は体系化され広まった魔法とは異なりユニークなものが多い。」
「異能者は、人生経験や適性から異能を発現させる。だからその種類は多岐にわたるという話ですね……」
「ああ、実際にそう”理解”されているね。…ふぇると君、君は”強い”異能者にとって最も重要な技能は何かわかるかい?」
「…いえ」
黙り続けるアガツミ。
生活魔法が
仕方なく答える。
「……必殺技とかですか?」
「ふふ」
「笑うなんて」
アガツミの目が、じっと、俺の目と重なった。
「かわいいね」
「……」
不貞腐れる俺を見て、アガツミはしばらくくすくす笑った後に、答えを告げる。
「大事なのは…定義づけさ」
「定義づけ…ですか?」
「うん。一般的な異能力者なら水属性・地属性・風属性・火属性・木属性の五属性のどれかのうち、どれか適性の高いものを中心に使えるようになる、それは知ってるだろう?」
「ええ…生活魔法を覚える際にあなたから教わりました」
「…………そうだったよね。よく覚えていた!」
「……」
俺にジト目で見られて、一瞬、髪をいじいじ、布団をさわさわと居心地悪そうにしていた
アガツミだったが、すぐに気を取り直した(開き直った)のか、ちょいちょいと手招きをする。
体を寄せると、雑に頭を撫でられる。
そして、話を再開する。
…本当にこの人は。
「ええと…だからね。漁師なら水属性の中でも船から落ちても大丈夫なように水中で呼吸ができる異能を得るかもしれないし、採掘労働者なら土を操る力を身に着けるかもしれない。掘削に役立つ能力上昇系の異能を身に着けることもあり得るよね」
「……はぁ。えぇそうですね。具体的にどんな異能を使えるようになるかは、その人の環境や気質に大きく依りますから。」
「ああ…ただ、これは自然的な異能の発現による場合だ。異能の発現には3つの種類がある。1つは今話したもの。2つ目は血筋によるもの。これは特に希少種族などに広く見られる。そして3つ目。偶発的な異能の発現だ。」
「完全な偶然と?」
「さあ、それは神のみぞ知るところだね。神の啓示のように思い浮かぶこともあれば、意識的に度々、こんな異能があればと思うことで異能が発現することもある。こちらは自然的な発現や血筋よりも稀な例だがね。」
「えっと……」一体、なんの話だと。
ただ、そんな疑問が正しく伝わったかわからない。アガツミは大して気にした様子もなく、また話し続ける。
「ここで言いたいのは異能の発現は要はイメージということなんだ。自然的発現であろうと、偶発的発現であろうと、強固なイメージ、あるいは信念であったり、そういったようなものが異能には欠かせない。そして、だからこそ発現の仕方に限らず異能を定義づけることは、能力を安定させるために非常に重要となってくるんだ」
アガツミはいったい何を、語ろうとしている?
「そうだね…分かり易いものだと。うん。例えば、土属性それも金属系の異能持ち、職業は大工としよう。彼は、右手をトンカチに変えて、トンカンと釘を打っていたとする。定義づけの重要性を軽んじていた彼は、ふと釘を見て、【もしかしたら右手を釘にできるかもしれないな】と興味本位で思うわけだ。そうするとあら驚き…なんと右手が釘になってしまう!…そこで、彼は定義づけの重要性に気付いてゾッとするんだ。【ああっ、良かった右手が変わったのが”釘”で。ここでギロチンなんて思い浮かべた日にはどこか体を怪我してしまっていたかもしれないぞ…】と。そこで右手がギロチン変わった男は自らの首を…」
「ひぃ…」
「まあ、そういうことだ。実際は、そこまで極端に暴発することはよっぽどないがね。……だが、異能が強いものは別だ。異能が強いものであるほど、コントロールは難しくなる、威力は言わずもがな。それが暴走でもして見ろ。それは自身の命や周囲の命を容易に刈り取る。…だから彼、彼女らは、自分の力を制御するために、異能の性質をある程度の方向に絞って定義づける。例えば、管理の仕方は、単純に数字を割り振ってみたりする。私の場合は、定義づけされている異能は3つで、【code1.常勝】【code2.傷つけること能わず】【code3.世界は勇者に悪感情を持てない】といった感じにね、まあなんでもいいよそれはね。……ん?聞いてるかい?」
口が渇く、言葉は何も出なかった。
ただ、気づけば、寝間着は汗でじっとりと濡れていた。
…死人でも、汗をかくこともあるらしい。
強すぎる異能、暴発、定義づけ
…そして、大枠の意味しかわからない3つ目の異能。
真相に迫りつつある。
ただ、暗い階段を一つ一つ降りていくような、不安と緊張があった。
そして、降りきったところにある、扉。
アガツミは、そんな俺の気を知ってか知らずか、
無造作に、無神経に、俺の髪をすくい、わしゃわしゃと雑に掻き撫で、話し続ける。
それは、楽し気にすら聞こえた。
だから、きっと、それは真実だ。
甘いものに塩を一粒混ぜれば、甘さが際立つように
笑顔の奥に少し見えたそれが真実、心をかき混ぜる。
「…お風呂で、私が興味本位で邪風邪にかかった時の話をしただろう?
私は…………嬉しかった。心の奥底から、今まで感じえなかった感情が浮かび上がってきた。普段、年の割に大人ぶってすんって澄まし顔してる君が私のために、必死に治療をしてくれたんだ…余裕なんてどこにもなかった。君は普段に私にそういうむき出しの感情を見せないようにするだろ?」
内容がうまく頭に入ってこない。
ぼーっとしていて、夢を見ているようで、
それなのに、彼女の言葉で心が埋まっていく。
「病気になるってつらいんだね。知らなかった。話すだけで、音が頭に響いてズキズキして、体が私のものじゃないくらいに重く感じた。目をあけた時、君が視界にいないだけで不安になって、涙が自然と滲んできた。君が傍に来て手を握ってくれるだけで不思議と辛かったのに、じんわりと、病気になってよかったとさえ思った。すごく、あったかかった…生まれてこの方、感じたことのなかった温かさだった。いや、きっと気づいていないだけで君と過ごす日々の端々にきっとそれはあったんだ。それは私にとって逃しがたかった。離したくなかった。箱にしまって、どこにも出したくなかった。これは私の”モノ”なんだと思った。…でも、私は勇者だ。これが、この、君が向けてくれた好意や気持ちが、心の底から手離したくない、そんなものが、……勇者の権能によるものかもしれない。……そんなことを考えると、怖くて、寂しくてたまらなかった。床に崩れ落ちて泣いた。……最初のころは、君のことさえ私は何とも思っていなかったんだ。気まぐれに拾ったものの、なぜ私はこの少年を拾ってきたのだろうとさえ思っていた。その頃の私は、むしろ生き物なんて遠ざけたいとさえ思っていたんだ。でも、いつの間にかこうなっていたよ。君と過ごした日々が勇者の異能のもとに成り立つ“嘘”だったらと思うともう耐えられなかった。気づいてしまった。いや、ずっと目をそらし続けていたんだ。でも、もう確かめずにはいられなかった、嘘ならばこれほど悲しいことはない。嘘ならば、終わりにしようと思った。だから私は……」
そう話す彼女は、決して常勝の勇者でも、世界最強の生物でもなかった。
だから…
「だから、俺を殺したんですね」
「……」
「殺して…、生き物じゃなくなった俺ならば、異能の影響を受けないから」
彼女は、異能の影響を受けない俺とのつながりを確かめたかったのだ。
そうしなければきっと、彼女も“生きて”いけなかったのだ。
普通の“人”が、そうであるように。
ああ…、理屈は理解できた。
けど…
気づいた時には、思わず吐き捨てるように、言葉が出ていた。
「あなたなら、自分の異能を掌握することはできたのではないですか」
アガツミは、少しだけ驚いた顔をして、少し顔をうつむき、答える。
「……何度も繰り返すが、勇者の異能は性質に近い。基本、常時発動なんだよ。【常勝】はその性質上、負けることもできる。【傷つけること能わず】も、毒を取り入れた際なんかは、それを相殺するような機能があるわけで、そういった機能を利用することで、普通の肉体と一時的に近い状態に調整することも仕組み的にできないこともない。邪風邪をひいたときもこれだ。でも…【世界は悪感情を持てない】は、それそのものだ」
そこでアガツミは一度言葉を切り、こくと唾をのみ、続けた。
「この異能はね。勇者の異能で唯一、“完全な”常時発動型なんだよ」
「【常勝】なら、理を捻じ曲げられるはずじゃ…!」
アガツミが顔を上げ、語気を強くする俺の肩を抱く。
そして、告げた。
「常勝の効果は、私の性質そのものを変えることはできない。勇者の異能は理の外にあるからね、理に常勝する異能とは相性が悪い…理でないという理に対して干渉できないことはないが…」
ああ…そうか
「願いは歪に叶うこともある…」
「…私がこの異能を無くしてくれと願ったところでどうなる。この異能に、呪いに、「ああ、悪感情を持たない程度では不十分だったんだな」なんて思われてしまったら。…世界中の人が、生き物が私を無条件で、好きになる理由もないのに、私に悪感情を向けないどころか“好意”を向けるようになってしまったらどうする?誰もかれも、私を知らないのに、笑顔を向けるんだ。意味もなく、私を愛し、死んでゆく。誰も知らない、私は、どこだ。誰が見てくれる。どこにいるっていうんだ」
「…ぁ」
…この人は、ずっと怖かったんだ。
その異能を止めようにも、それを止めようとすることは
勇者の異能の暴発につながりかねなくて。
ずっと一人ぼっちだったんで、好意はすべて異能のおかげかもしれなくて。
それからは決して、逃れられなくて、ずっと、一人であらがっていた。
勇者という運命に。
そして、その果てに、俺を殺したんだ。
胸にわだかまっていた憤りや寂しさ、得も言われないぐちゃぐちゃな感情はとうになかった。
今になって、自分の憤りの理由に気づく。
ただ俺は、他の道はなかったのか、もっと楽な道はなかったのか問いたかったのだ。
ずっと一人だったこの人が、孤独から解放されるために、
あえて、孤独に突き落とされるかもしれない道を選ばざるを得なかった
それが、許せなかったのだ。
勇者は不死。
ようやく手に入れたと思った関係を失うかもしれない恐怖はどれほどだっただろうか。
俺は、彼女の年齢を知らない。
この人は、数十、数百年、もしかしたら、それ以上、独りぼっちだった。
「……だから、私は君を殺した。【世界は勇者に悪感情を持てない】の対象外である
死体、もとい非生物であれば、真実を知れる、そう思って…」
ようやく腑に落ちた。
彼女は寂しさの終着に僕を選んだのだ。
その終着に、もしかしたら救いはないかもしれないという
絶望の灯を抱えながら…
でも、違う。そんなのは違ったんだ。
だから、燃やすのだ。
既に、僕には無いけれど、それでも。
命を燃やせ。
「……嘘じゃ、ない」
絞り出す、息が詰まって声はろくに出ていない。
それでも、届かせなければいけない。
まとまってない言葉。
かっこよくない言葉。
それでも、何でもいいから、不格好な心だけ乗せるのだ。
今なら、届く。
「嘘じゃないですよ」
「え…」
アガツミの頬を静かに、つたう。
徐々に、気づいていくように、手を頬に、瞼に、顔全体を覆う。
涙と鼻水と、拭っても拭っても出てくるそれらを雑に手で拭うもんだから
本当に、ぐちゃぐちゃで。
手を握った。
顔を寄せ合って、頭を軽くぶつけて、胸に頭を寄せて、心臓の音を聞いた。
彼女の涙、俺の涙、混ざり合って服に滲ませ、確かめ合う。
時々、呻くように少し泣いて、
また、二人で過ごした日々を時間を、散々確かめ合って…
人でなくなったモノと、初めて人として歩みだした者。
二人は、確かにここに生きていた。




