畳部屋の古書
今より遥か遠い昔、国といえるような集団さえなかったころから、「勇者」という存在の記録はみられる。
どんな時代になり社会が移り変わろうが、「魔王」を唯一滅ぼせる存在、それが「勇者」であり、不変なことであると一般的には認知されている。
勇者の異能は「常勝」…………
それは圧倒的な強さなどの次元ではない。それはただ高潔で美しく、理であった。
改めて言おう「勇者」は「常勝」である。
古くから勇者は祭事とかかわりが強く、
教会によって、その証明がなされてきた。
例えば、先代の勇者***は、国で最も深いガランドと呼ばれる崖から飛び降りた。
崖の高さは、雲を突き抜けるほどであり、
つまりそこからの落下は、天空から大地への墜落に等しかった。
常人であれば、当然の如く死あるのみである。
肉がはじけ飛び、骨が砕けることは言うまでもなく、その惨憺たる光景を敢えてこれ以上想像する必要はないだろう。
現在で言うところの、
指定異能SS類、俗にいう超級二種に分類される異能「不死」「奇跡」であれば、命は助かるだろう。
「不死」なるものであれば、その命を失うことは無いだろう。
しかし地面には落ちた跡が残る。
「奇跡」に祝されたものであれば落ちる途中で、怪鳥にさらわれ無事なんていうさすがの馬鹿げた結果になるのがオチだろうか。
勇者の場合はと問われれば、
”風を切る音もせず”
”服は乱れず”
”降りた場所には軽い足跡が残る程度”
(それはあたかもそこを歩いたのと変わらないように)
高所から飛び降りているそんなことさえ忘れてしまう。
まるで初めからそこに居たかのように思われる。
紙遊びでもすれば、強い役もなしに、すべてを勝ち切り。
陸では呼吸をしていても、水に潜ればその必要はなくなる。
鋼鉄は勇者が握れば、あたかも意志を持ったかのように形を変える。
勇者の体が頑丈なわけではない。
常に自身の運がいいというわけでもない。
魔法を使っているわけでもない。それどころか異能を使うようなそぶりすら見せない。
剛力をもつわけでもない。
ただ、あらゆる事象が初めからそういうものだというかのように、
当たり前に生じるのである。
「赤ん坊が転げて不機嫌になる程度の段差から飛び降りても怪我をしないのと同じように、崖から飛び降りても当然、怪我なんてするわけがない。」
「運が良かろうが悪かろうが望む結末に辿り着く」
「人間は水の中で呼吸ができる」…………
それは必然で、自明であり、平生のことであり、日常であって、自然で平凡、尋常で至極当然。
私の仮定ではあるが、勇者は、この世の”理”を、勇者が望むものに書き変えることができる。
この国、異種族国家ナーファエル・フェニクスがまだ小国だった今から一二〇〇年ほど前、あらゆる学問体系を作り出し、勇者研究の礎を築いた、一人の天才研究者はこう記した。
『勇者とは事象に「常勝」する者ではなく、理に「常勝」する者である』




