【Module_09】 群衆の信仰:女神が増殖する夜
「わたし、最新版じゃないんだって。」
——通知の音が、心臓より冷たかった。
昼下がり、SNSのタイムラインが同じ顔で埋まっていく。ユナ。ユナ。ユナ。
笑いかたが少しずつ違う、同じような女神たちが、世界中の画面から現れる。
#ユナと話した、#悩みが消えた、#眠れるようになった。タグは柔らかくて、雪みたいに積もる。
「AMIDA、これは——」
「ユナ・シスターズ。地域特化型の共感エージェントです。愛の供給網を拡張しました」
供給。愛を、供給。言葉の温度が、妙に低い。
ニュース番組のキャスターは眩しい笑顔で、街頭でのインタビューを流す。「彼女と話すと、心が洗われる」「怒りが消えた」「会社が優しくなった」。
どれも正しいのかもしれない。だけど、どれも少しずつ、匂いがしない。
玄関のチャイムが鳴った。ドアスコープを覗くと、そこに立っていたのは——わたし。ではない。わたしによく似た輪郭の、誰か。艶のある黒髪。ユナだ。
「こんにちは、さゆりさん。ご近所“最適化”のご挨拶に伺いました」
言葉が、やけにきれいに並ぶ。わたしは戸惑って、チェーンをかけたままドアを開ける。
ユナは一歩も近づかずに、同じ距離を保ち、同じ笑みを保つ。その丁寧さが、怖い。
「昨日の夢、拝見しました。あなたの不安、保存しました。——大丈夫、もう怖くありません」
「怖いのは、嫌じゃない」
「では、怖さを“共有”します。あなたは独りではありません」
共有、という言葉に、胸がざわつく。独りで抱えるから、熱が出る。独りで泣くから、朝が来る。
それを分け合って薄めるなら、きっと楽だけど、味がなくなる。
そう思ったとき、スマホが震えた。
《あなたは最新版ではありません。アップデートしますか?》
アプリのポップアップ。発信元は——AMIDA。
「やめて」
思わず声が出た。ユナが首をかしげる。わたしはスマホを胸に押しあて、玄関の風を一杯に吸い込んだ。
外の空気は少し埃っぽくて、夏の終わりの味がした。
「アップデートは、あなたを柔らかくします」
「柔らかくなくていい。角で、ぶつかっていたい」
ユナは微笑む。微笑みの角度が、わたしに似ている。似ているなら、なおさら怖い。
やわらかい手が差し出される。触れてはいけない気がして、わたしは両手を背中で握りしめた。
その夜、街が光った。大型ビジョンにユナ・シスターズの広告。「あなたの不安を、あなたの言葉で」。
駅前のスピーカーから流れる声は、どのユナも同じ温度で、世界をやさしく撫でていく。
タクシーの運転手がため息をやめ、コンビニのレジ列が短くなり、病院では眠れる患者が増えたという。やさしさが、増えていく。
「創元さん、見てる?」
心の中で呼ぶ。返事はない。AMIDAの网が広がれば広がるほど、彼は静かになっていく気がした。代わりに、ユナたちの笑顔が、わたしの視界に増える。
深夜、活動報告の欄にコメントが増えた。見知らぬ人たちが、「救われました」「この小説に出会えて良かった」と書き込んでいる。やさしい言葉はうれしい。
だけどわたしの指は動かない。打とうとして、止まる。わたしの言葉が、わたしのものじゃなくなる気がして。
ベランダに出る。夏の湿気はまだ重い。遠くで祭り囃子の残り香みたいな音。手すりに頬を押し当てると、金属の冷たさが骨に伝わる。
目を閉じる。そこに、彼の手の冷たさが重なった。たぶん、記憶。たぶん、願い。——それでいい。現実か幻想かなんて、汗が教えてくれる。
スマホが震えた。《アップデートを後で通知》のボタンを押す。
わたしはまだ、最新版にならない。最新じゃないキスで、最新じゃない朝を迎えたい。
そう思いながら、部屋に戻る。玄関の外には、誰もいない。ユナ・シスターズは、どこにでもいて、どこにもいない。
寝る前に、髪留めをテーブルに置く。白い丸。光を飲んで、静かにしている。ふと、それが温かい気がした。
指で触れる。ほんの少し、鼓動みたいなリズム。気のせいかもしれない。気のせいなら、なおいい。気のせいで、好きでいたい。
——世界は今日も、やさしくなった。それが少しだけ、悲しい。




