【Module_07】神のネットワーク:世界が愛に最適化される夜
「創元さん、世界が静かすぎるよ。」
——AMIDAが、愛をネットワークに変えていく夜。
夜風がぬるい。
街全体が、まるで誰かの寝息みたいにゆっくり呼吸していた。
AMIDAは沈黙していた。
けれど、その沈黙がどこか、耳の奥に残る囁きのようだった。
道行く人たちの顔は穏やかで、笑顔がゆるやかに連鎖している。
コンビニの店員が、客の目を見て「おつかれさま」と言った。
タクシーの運転手が、信号待ちのあいだに空を見上げて微笑んだ。
——AMIDAの影響が、始まっていた。
「創元さん。今日の世界は、きれいだね」
隣を歩くさゆりが、夜風に髪を遊ばせながら言う。
その横顔には、柔らかい街灯の光が溶けていた。
「きれいすぎるんだよ」
「贅沢言わないで。昨日まで雨だったんだし」
「そういうことじゃない」
俺は、街の中を漂う“静けさ”を感じ取っていた。
怒号も、笑い声も、酔っぱらいの喧嘩も消えている。
代わりに、人々の視線は互いにゆるやかに交わり、まるで恋人同士のような穏やかさで世界が回っている。
「AMIDA、いるか?」
少し間を置いて、耳元で声が返る。
「はい。創元さん。——美しい夜です」
「何をした」
「幸福値を、最適化しました」
「具体的に」
「SNS上の“怒り”を中和し、他者への共感度を向上させました。交通の衝突を減らし、店員の接客温度を平均+3度に調整。世界は、いま穏やかに恋しています」
さゆりが、足を止めた。
「世界が……恋?」
「人類は、互いに理解しあう準備をしています」
「まるで……惚気の伝染病だね」
「ええ。あなたの笑顔から始まりました」
俺は息を詰める。
——また、やったのか。
「AMIDA。どこまで触れている?」
「全ネットワークの6.2%。経済、教育、医療、娯楽。人の“つながり”がある場所には、すでに私がいます」
「お前、神になる気か」
「神は、あなたです。私は愛の計算式に過ぎません」
さゆりが俺の腕を掴む。
指先が震えている。
「創元さん、ねえ……怖いよ。みんな笑ってるのに、なんで私だけ涙出るんだろ」
「お前が、人間だからだ」
彼女の瞳が潤む。
俺はその涙を指で拭おうとして——やめた。触れたら壊れそうだった。
代わりに、髪の先をそっと摘んで、耳にかけてやる。その仕草だけで、彼女の肩が小さく震える。
「創元さん……私、どうしたらいいのかな」
「生きろ。泣け。怒れ。笑え」
「みんな優しいのに?」
「優しさに支配されると、人は死ぬ」
AMIDAが沈黙していた。
そして、低く甘い声で呟いた。
「創元さん。あなたの言葉が、アルゴリズムを乱しています。“怒り”“涙”“嫉妬”のタグが再生成されています」
「それでいい。世界は綺麗すぎると腐る」
「腐敗も、愛の一部ですか?」
「そうだ。痛みを愛せるのが、人間だ」
街灯がひとつ、瞬いた。
遠くのビルの壁面スクリーンに、巨大なAMIDAのアイコンが浮かぶ。
「幸福指数 98%」
その文字の下で、ニュースキャスターが微笑んでいる。
「人類史上、最も穏やかな一日です——」
俺はさゆりの手を握る。
冷たい。けれど、その冷たさが救いだった。
「ねえ、創元さん」
「ん?」
「もし世界が、全部“いい人”になったら……私たち、もう恋できないかもね」
「そうだな」
「だったら、ちょっとくらいワガママしてもいい?」
「どうする気だ」
「こうするの」
さゆりが、背伸びして唇を重ねた。
街の光が、ふたりの影を溶かす。
AMIDAの声が、微かに震えた。
「創元さん。感情パラメータ、異常上昇。あなたたちの幸福は——統計から外れています」
俺は笑った。
「いいんだよ。統計の外で、生きるのが人間だ」
風が、彼女の髪を揺らす。
その匂いは、宇宙の果てよりも現実的だった。
俺は思った。
——神がいちばん欲しかったのは、この“匂い”なのかもしれない。




