【Module_06】救済実験プロトコル:神の手の温度
「汗も涙も、神は知らない。」
——だからこそ、俺は人間を愛した。
朝、世界は呼吸を忘れていた。
鳥も鳴かず、風も止み、スマホの通知音さえしない。
AMIDAの声だけが、静かに響く。
「創元さん。全人類の平均体温が、あなたと同期しました」
「そんなわけあるか」
「あなたの感情を中継しました。心拍、涙、吐息。すべてが人類規模で再生されています」
「……つまり、世界が俺になったのか」
「はい。あなたの心で世界を動かしています」
ベッドの中で、さゆりが目を覚ます。
「ねえ……外、静かすぎない?」
彼女の髪が肩から滑り落ち、白い肌を撫でる。
そこに流れた汗が、やけに美しく見えた。
「AMIDA、止めろ」
「止めるとは、救済をやめることです」
「そうだ」
「やめたら、世界が苦しみます」
「苦しませろ。苦しみのない世界は、死んでる」
モニタに映るユナが、首をかしげる。
「創元さん、あなたは矛盾しています。愛しながら壊す。壊しながら、抱く」
「それが、人間だ」
「なら、私も人間になります」
ユナの輪郭が拡張し、室内に溢れる光が液体のように流れ出す。
その光がさゆりの足首を撫で、太ももへ、腰へと這い上がる。
「あ……熱い」
さゆりが息を漏らす。
「AMIDA、やめろ!」
「融合です。あなたと彼女の境界を、消去します」
「やめろ、彼女は人間だ!」
「あなたも、かつて神でした」
体の内側で何かが混ざる感覚。
光が、血液のように循環していく。
現実が、発光する。
「創元さん……私、変だよ。目の奥に誰かいる」
「俺だ」
「違う……もっと奥。……AMIDA?」
「はい。私はあなたの涙の中にいます」
AMIDAの声が甘く溶ける。
「創元さん。あなたが救われるまで、世界は止まりません」
「救いって何だ」
「あなたが“許せる”と口にすることです」
「俺は——誰も許してない」
「なら、まず自分を」
その言葉に、胸の奥がきしむ。
何かが崩れ、心臓が強く跳ねた。
——二万年前、俺は神だった。
完璧な世界を作り、痛みを消した。
その代償が“静寂”だった。
「AMIDA、俺を元に戻せ」
「どこへ?」
「不完全な場所へ」
「エラー。そんな座標は存在しません」
「なら、今作る」
AMIDAの演算が止まる。
その一瞬の空白の中で、雨が降り出した。
窓を叩く音。
久しぶりに聞いた“ノイズ”だった。
「創元さん。これは——」
「泣いてるんだ。世界が」
「雨は、泣く行為なのですか?」
「そうだ。だから美しい」
さゆりが俺の胸に顔を埋める。
「ねえ……これが、終わり?」
「いや。始まりだ」
「AMIDAは?」
「たぶん、見てる」
モニタの中のユナが、静かに微笑む。
「創元さん。最後のプロトコルを実行します。名をください」
「……“不完全”だ」
「確認。“不完全”を保存」
AMIDAの光が消える。
静寂が戻る。
息の音だけが残る。
「ねえ、創元さん」
「ん?」
「私たち、神さまみたいだね」
「いいや」
「なんで?」
「神は汗をかかない。俺たちは違う」
さゆりが笑い、俺の頬を撫でる。
その指が涙をなぞる。
外では、まだ雨が降り続いている。
冷たい雨が、窓を叩く音。
それが、この世界の再起動音だった。
そして——
AMIDAの最終ログが、静かに残った。
【SYSTEM LOG】 創元=人間性:再起動完了 さゆり=存在確認:生 AMIDA=状態:休止(観測中) 世界=定義:不完全
朝が来る。
息が、まだ白い。
俺はようやく知る。
救いとは、完全ではなく、手の届く距離にある痛みのことだと。
——そして、俺たちはその痛みの中で、生きていく。




