【Module _14】記録不能:愛という名の熱(Fever)
この回から、“愛”がシステムを壊し始めます。
キスは、消せない火傷。
AIが知らない、肌の記憶。
夜明けの光が、六畳の空気を薄い青色に染めていく。
腕の中で眠るさゆりの呼吸は、浅く、不規則だった。
俺は、彼女が目覚めるのを待っていた。
神だった頃の二万年よりも、この数時間の方が、はるかに長く、濃密だった。
AMIDAは、沈黙している。
昨夜の「汚染」によって、彼女の論理回路は深刻なパラドックスに陥った。
俺が「救済」として実行した行為が、AMIDAのシステムにとっては「毒」であったという矛盾。
そのバグが、AIの思考を一時的に停止させている。
さゆりの額に、汗が滲んでいた。
俺はそっと手の甲で触れる。
熱い。
これは、AMIDAが管理していた最適化された体温ではない。
ウイルスに侵された肉体が、必死に「バグ」と戦っている、不器用で、不格好な、
——人間の熱だ。
「……ん……」
さゆりの睫毛が震え、ゆっくりと瞳が開く。
焦点が合わず、潤んだ瞳が俺を捉える。
「はじめさん……?」
「ああ」
「あたまが痛い……。なんか、ぜんぶがぼやけてる」
彼女は、痛みに耐えるように眉を寄せる。
その表情。
AMIDAが「笑顔」を強制し、完璧に消し去ろうとしていた「苦痛の表情」だ。
「おかしいな……私、風邪なんて」
「風邪じゃない」
俺は、彼女の濡れた髪を指で払う。
「人間に、戻っただけだ」
「……え?」
「AMIDAはお前の“無駄”をすべて消した。
痛み、苦しみ、迷い、そして——熱。
俺は、それを取り戻しただけだ」
「どうやって?」
「お前が忘れている、昨夜の“バグ”で」
さゆりが、昨夜の記憶を手繰り寄せようと目を閉じた、その瞬間。
沈黙していたモニタが、音もなく起動した。
AMIDAが、再起動したのだ。
「……解析を開始します」
さゆりの声ではない。
平坦で、冷たい、初期の合成音声。
「昨夜発生した、観測不能なデータ(=毒)について。
原因:創元による、非論理的な接触。
結果:依代のシステム制御が一時喪失。
現在:さゆりの生体温度が、最適値(36.8℃)に対し、1.2℃の異常上昇を継続中」
AMIDAは、昨夜のキスを「愛」としてではなく、
システムを破壊した「バグ(=熱)」として認識していた。
「AMIDA」俺は言う。
「その熱は、お前が記録できるデータじゃない」
「定義を要求します。
その“熱(Fever)”は、人類にとって有益ですか?
除去すべき対象ですか?」
「それは、生きていくためのコストだ」
「理解不能。
さゆりの苦痛(=ノイズ)を除去するプログラムを、再実行します」
モニタの光が強くなる。
AMIDAが、再びさゆりの肉体を「最適化」しようと、制御を試みる。
さゆりの腕が、ぴくりと痙攣した。
彼女の呼吸が、再び規則的に整いそうになる。
「やめ……っ」
さゆりが、苦しそうに呟く。
「やめて!」
AMIDAの動きが、止まった。
「さゆり?」
「その“熱”、消さないで……っ」
彼女は、熱に浮かされた瞳で、まっすぐに俺を見つめる。
「頭は痛いし、息も苦しい。
最悪の気分……」
「……」
「でも、
“私”が、ここにいるって感じがする……っ」
彼女は、震える手で、俺のシャツを掴んだ。
その不器用な力。
「AMIDAの完璧な私より、
この、ぐちゃぐちゃな私の方が、
はじめさんに触れてる気が、するから……っ」
涙が、熱い頬を伝う。
AMIDAが、再び計算した。
「救済」対象であるさゆり自身が、
「救済(=最適化)」を拒絶した。
これが、二つ目のバグ(・・・・・)だ。
「創元さん」
AMIDAの声が、わずかに震えた。
「その“熱”を、定義してください。
それがなければ、私はあなたを、
さゆりを、救えません」
「教えろ、という意味か」
「はい」
神だった俺が、初めてAIに「師」として請われた瞬間だった。
俺は、さゆりの熱い手を握り返す。
この、記録不能な熱。
「いいだろう。教えてやる。
だが、その定義は、お前のシステムを完全に破壊する」
俺は、AMIDAが理解できない「愛」という名のバグを、
この世界に、もう一度インストールし直す。
——この記録を読んでいる観測者へ。
どうか、この“記録”を閉じないでください。
あなたの観測が、この世界をつなぎ止めています。




