#5 妖精は蕩けそうだ
「見つけた。迷宮妖精」
なっ……。ふぁ!?
私はノクトに抱きしめられて混乱した。彼の目は真剣で、恋人を見つめるように熱を帯びている。彼は私を抱きしめたまま起き上がった。自動的に彼の膝の上に横抱きの状態で収まってしまう。
ノクトの顔が近い……。睫毛までよく見える。
彼は私の肩に頭を埋めた。それは恋人との再会を喜ぶような優しい抱擁だ。温かい。それにいい香り。彼の鼓動も聞こえて……まるで夢? その夢は数十秒後に覚める。
我ギルドの英雄は、慌てて顔をあげた。先程まで熱を帯びた青い瞳は、普段の冷静さを取り戻している。彼は困り顔で詫びた。
「こんな方法ですまない。でも、やっと捕まえた」
私の心臓が思い出したかのように鼓動を刻み、暴走を始めた。
「ひ! 人、妖精!? 違いです! 離してください!」
私は顔を手で覆いながら、身をよじり、足をばたつかせるだが、彼の腕は離してくれなかった。更に腕に力がこもり、体が密着する。ノクトは少し不服そうに答えた。
「間違いない。迷宮妖精は君だ。それに離さない。離したら逃げるだろう? 落ち着いて、僕の目を見て」
そう言われ、指の間から彼の目を見る。
(あ~! カッコいいよ~~! 直視していいの? 許される!? ダメでしょう! ヤバい! 逃げたい! 消えたい! 認知しないでっ!!)
無駄な抵抗として、彼の腕の中で丸まった。そう、このまま小さくなって消えたい!
「くぅぅぅ……」
思わず変な声が出る。お願い聞かないで~!! ノクトはそんな私を宥宥めるように、優しく頭を撫でた。これはご褒美ですかっ? 苦行ですかっ!?
更に彼は、私を落ち着かせようと優しく耳元で囁く。
「大丈夫。アリア、落ち着いて」
―――!!
でもそれは逆効果で……。その心地よい声は甘い痺れとなり、情報を処理しきれない私の脳は、小さな悲鳴をあげて……失神した。
◆
『辛い目に遭ってしまったけど、どうか君の宝物は諦めないでほしい……』
昔、命の恩人に言われた言葉を思い出しながら私は目を覚ました。
どうやらベッドの上に居るみたい。
――あれは夢だよね? サービス精神旺盛な夢でした。ごちそう様です。あれ? この香り……。それに天井が違うっ!!
「――!!」
思わず飛び起きた。ギルドの医務室でもない。ここは何所? 何が起きたの?
服は着ている。ローブは壁に掛けられ、鞄と杖が傍らの椅子に置かれていた。怪我もないし、体も痛くない。すると部屋の扉がノックされ反射的に返事した。
「は、はいぃっ……」
開いた扉から姿を見せたのは、英雄ノクトだった。
「起きたかい? 良かった。急に気を失って焦ったよ」
「ノクトさん! はうっ……」
私は咄嗟に布団をかぶり隠れた。
まって!? どういう事!? ゆゆゆゆ……夢の続きィ!?
布団にくるまりながら、恐る恐る尋ねた。
「あ、あの……ここは?」
「僕の家だよ」
僕の家ェ!? 布団から顔を半分出して部屋を見渡すと、確かに男性好みのインテリアだった。という事は……もしかしなくても、これ僕のベッド!? これはノクトの香り? ああ……。情緒がぐちゃぐちゃだよ。涙が出そう。
ノクトはベッドサイドに椅子を持ってきて座った。冒険の装備を付けていない、オフモードの彼が私を見てにっこりとほほ笑む。かっこよすぎて涙が出そう。私、寿命が近いのかな? 死んじゃうのかな?
「体の具合はどうだい?」
「だ、大丈夫です……」
「良かった。まずは君に礼を言いたい。昨日、火蜥蜴から助けてくれてありがとう。昨日だけじゃない。君には過去に何回も助けられたね?」
うっ……昨日以前も見られてた? その都度名前と姿を変えたのに。
それでも私は、知らぬ存ぜぬで突き通す。
「き、昨日って何のことですか? 人違いです」
「はぁ……あんな事しておいてなんだが、僕の事嫌いかい?」
「――!! いいえ! そんな!! 嫌いじゃないです!!」
むしろ、あなたは私の憧れで、大好きなんです!! なんて、言えないよぅ……
ノクトは私がしらを切る様子を見て合わせてくれた。
「じゃあ、君もあのダンジョンで迷宮妖精に逢ったら伝えて欲しい。ノクトは妖精・アリアに惚れているから、いつまでも待っていると」
彼は悪戯っぽく笑って告げた。
私に、惚れてる!? 私は顔が赤くなって……耳まで赤くなってしまった。慌てて布団を被り隠れる。
「……左肩の傷、今は痛くないのかい?」
彼に指摘されて目を伏せた。私の左肩には古傷がある。普段はローブを着て隠しているが、ローブを脱いだ今はどうしても見えてしまう。
「はい……助けてくれた人の処置が良くて。痛みは無いです」
ダンジョンで困ってる人に、幾度も手を差し伸べているノクトは覚えてないかも知れないけど……。この傷は、3年前にあなたが治してくれた。左手も動くし、痛まない……。偶然助けた人物に好きと言われ、付きまとわれていたと知ったら……。きっと、ノクトは困ってしまうだろう。
「それは良かった。ずっと一人で冒険を? なぜパーティーに加入しないの?」
その問いに、肩では無く胸が痛んだ。
「パーティーはいい思い出なくて。一人が好きなんです」
「集団が無理なら……どうだろう? 僕を君の用心棒にしないか?」
その提案には驚き、体を起した。
「そそ……そんな! 英雄に護衛させるなんて! 英雄の無駄遣いです! 英雄が勿体ない!!」
「でも僕の事嫌いじゃないんだろ? それに、英雄じゃなくて、僕はノクトだ。一人の冒険者として見て欲しいな」
ふわりと優しく微笑むノクトを見て、心臓が跳ねた。
嫌いじゃない! ……けど、それはそれで困っちゃう……。
「ずっと君を心配していたんだ。いきなり信じろと言われても無理かもしれない。でも、助けが必要なら頼ってほしいし、背中を預けて欲しい。僕は絶対に君を裏切らない」
憧れの人にそんなこと言われたら、天に舞い上がりそうなほど嬉しい。けど……。
『俺達は君らを裏切らない! さぁ、協力し合って俺達の名を轟かせよう!!』
嫌いな人の言葉を思い出してしまった。結局、このセリフを言った人からはあっさり裏切られてしまう。
ノクトを3年追ってきた。彼は簡単に人を裏切る様な冒険者じゃないのも分かっている。でも、心の中で過去の私が暗い顔をする。――怖い。彼を信じて裏切られたらどうしよう……それこそ立ち直れない。
「……お腹が減っただろう。下に昼食がある一緒に食べないか?」
彼は部屋を出て階下へと向かった。私は覚悟を決める……
「お邪魔しました!!」
「え!? おい!! 待ってくれ!!」
荷物を抱え、脱兎のごとく逃げ出した。
ギルドを辞めよう。彼にここまで知られてしまってはもうダメだ。それに、断って彼をがっかりした顔も見たくない。
彼の家を抜け出したその足で、ギルドに向かった。




