3.別離
雫が落ち着いた後、通ってた小学校に行ってみたいと言ったから、二人で懐かしの場所へと向かった。
「……わぁ、懐かしい。校庭ってこんなに狭かったっけ……」
「……」
校庭にあるブランコを見つけて、私と雫はそれぞれに座った。
雫は、ずっと泣いたままだった。
何があったんだろう。
どうしたんだろう。
どこか痛い?
苦しいのかな?
私はただ、心配することしかできない。
でも。
私は極力明るい声で、雫に話しかけた。
雫に、何も気にしないでほしいから。
4年ぶりに会えて、たくさん楽しい思い出を作れたから。
真っすぐに、雫の濡れた瞳を見て言った。
「はぁ……楽しかった。雫と、やりたかったことがたくさんできたよ。ありがと、雫。今日、時間作ってくれて」
雫の瞳から、また大粒の涙があふれ、頬を伝っていく。
泣きじゃくる雫を、ぎゅっと抱きしめた。
「……うん。私も。私もだよ、亜季ちゃん。こういう日を、ずっと……ずっと過ごしたかったんだ。亜季ちゃんと、一緒に」
「雫……」
その時、傾いた日が差し込み、雫にオレンジの太陽の光が当たる。
綺麗だな、と思っていると、信じられない光景を目にした。
雫の、雫の身体が――透けていっていた。
「し、雫!?雫の、か、身体が!!」
とめどなくあふれる涙に太陽の光が当たり、雫の身体全体がきらきらと輝いているようだった。
雫は――
自分の透け始めてる身体を、見つめていた。
涙を零しながら。
哀しげに。
それでも――満たされたように。
「あぁ……もう、時間切れかぁ……もっと、一緒にいたかったなぁ……」
「……し、ずく……?」
抱きしめていた恰好だったから、雫の、涙で揺れる声が、耳のすぐそばで聞こえた。
雫はゆっくりと身体を離して――私の手を、その震える手で取った。
まっすぐに、私を見つめて。
まるで、もう会えないのが分かっているみたいに――目に、焼き付けるように。
「亜季ちゃん。今日は本当にありがとう。一番楽しくて、幸せな時間だった。亜季ちゃんみたいなメイクもしてくれて。夢だった、ハンバーガーの交換こもできた。カラオケで、一緒に歌も歌えた。一緒に、太鼓のゲームも、したね……クレーンゲームでとってくれたぬいぐるみ、とっても可愛くて、亜季ちゃんがかっこよくて、嬉しかった。何もかも、何もかもが、楽しくて、幸せだったよ!たった1日だったけど、『戻ってこれて』本当によかった……神様がお願いを聞いてくれて、本当に、よかった」
雫が、私をぎゅっと抱きしめてくれた。
太陽のように、暖かい。
神様って何?
戻ってこれたって?
――まさか――
疑問が確信に変わろうとして混乱する私に答えるように、雫はゆっくりと言葉を続けてくれた。
「ねぇ亜季ちゃん。もしも……もしもだよ?」
「……うん」
「……私が、お化けだったとしたら、どう思う?」
か細い声が――不安そうな、かき消えそうな声が、届いた。
今まで感じてきたことへ、その一言こそが、答えだった。
寂しそうで、不安そうで、かき消えそうな、雫。
私は――力いっぱい、雫を抱きしめた。
力いっぱい、叫んだ。
私の、想いを。
「……お化けでも何でも!嬉しかった!嬉しかったんだよ雫!だって、私が今日一日を一緒に過ごせたのは、他の誰でもない、間違いなく雫だったんだから!」
「亜季、ちゃん……!」
雫の瞳から、涙があふれた。
きらきらと夕陽に照らされ――宝石のように舞った。
「楽しかった!『雫ちゃんとこういう場所に来れたら、こういうことをしよう』って決めてたことを、全部できたと思うから。楽しかった!嬉しかった!……だから……お化けでもいい……幽霊でもいい……行かないで……行かないでよ雫!!!!」
雫の胸の中で号泣する私を、雫も泣きながら抱きしめてくれていた。
「ごめんね、亜季ちゃん。本当の私は――もう、死んじゃってたの。去年の、夏に」
「やだ!き、聞きたくない!知りたくない!」
「お願い聞いて亜季ちゃん!……去年の夏に。癌だったんだ」
「違う!雫は今、こうして生きてる!」
「亜季ちゃん……今までごめんね。ずっとずっと、連絡できなくて。でも、怖かったの。抗癌剤治療で、髪も抜けて、がりがりになった私を、私だと分かってもらえないかもしれないと思うと……手紙も、電話も、かけたくてもかけれなかったの……どんなに、どんなに思ってたか!亜季ちゃんに会えたら、どんなにいいだろうって!……私は、亜季ちゃんに一目会えたら、もう何もいらなかった!でも……やっぱり会う勇気が持てなかった。そして……お父さんとお母さん、そして、亜季ちゃんを残して、私は――」
「雫……やだぁ……」
「でもね、死んだ後の世界で、神様が1度限りだけど願いを叶えてくれたの。お父さんとお母さんに会いたいっていう願いと……亜季ちゃんに、もう一度会いたいっていう願いを」
泣きじゃくる私を、雫が慰めるように、抱きしめて頭を撫でてくれる。
もう、分かっていた。
これが、最期の瞬間なんだって。
雫にとっての、二度目の、最期。
もう、二度と――今度こそ、雫とは、永遠に会えないんだって。
それでも。
時間は残酷に過ぎていこうとする。
太陽がだんだん沈み始め、地平線に沈もうとしている。
それに伴い、雫の身体が、どんどん薄く、認識できなくなっていった。
「雫!?雫の身体が!!な、無くなっていく!!」
「あぁ……時間切れ、かぁ……写真やプリクラ、ごめんね。私は……この世にはいない人間だから、写らないんだ。それを知られたくなかったの……」
「雫……行かないで……行かないで!お願い……!」
「お父さんとお母さんにはね、この間、1日だけ会えたんだ。すごく、すごく嬉しかった。二人とも、すごく泣いてて、私もいっぱい泣いちゃった。へへ……そして、今日。もう1日、『この世』で過ごしていいことにしてもらえたから、亜季ちゃんに会う約束をお母さんにしてもらったんだ……」
「雫!」
抱き合っていた感触が、もうほとんどない。
あれほどはっきりと捉えられていた雫の輪郭が、もうほとんど見えなくなってきてる。
耳元で聞こえる雫の声が、ますます小さく、遠くで聞こえた。
「あぁ……もうそろそろ、かなぁ……えへへ、ごめんね」
「あ、謝るのは私の方よ!!ごめん!!当たり前のように、これまでと同じ生活が、これからも続くんだって思い込んでた。雫も、身体が弱いから病気しているかもしれないけど、当たり前のように、元気にしてるって思ってた!……癌の頃、お見舞いにも行かなくて、行けなくてごめん!死ぬの、辛かったよね。苦しかったよね。最期まで傍にいてあげられなくて、本当にごめん!!」
雫が、泣きながら――
私の、涙を拭ってくれた。
「ううん。ううん、雫が、私のことを覚えてくれてたから。今日、一番楽しかったから」
「雫が生きてたら!!もっともっとたくさんの楽しいことを、もっとたくさん経験できてたんだ!!!!!でも……でも、今日のこの一日は、私も、今までの人生の中で、い、一番、た、楽しかった!!!!雫と、過ごせて、夢みたいだった!!!最期に……最期に私に会いに来てくれて、ありがとう。ありがとう、雫!!!」
「うん……うん!私、今日楽しかったよ!幸せだったよ、亜季ちゃん……」
その、力尽きそうな、雫の声に。
消えてしまいそうな、雫の声に。
私は、あらん限りの声で、答えた。
力いっぱいの、声で。
精一杯の、大声で。
もう最期だから。
これが、ほんとの最期だから。
雫に、届かせるために。
他の誰ならぬ、雫のために。
「雫!大好きだよ!ずっとずっと、大好きだーー!!」
「……うん!私も、大好きだよ、亜季ちゃん――」
涙で声を震わせて――雫の、最期の声が、届いた。
そして
そのまま、雫は還っていった。




