表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忘れ物センター便り  作者: にめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

67/71

忘れ物66 残された箱の底

# 忘れ物66 残された箱の底


 朝の裏手は、前日よりも静かだった。


 静か、という言葉は便利だが正確ではない。音はある。遠くの車の走る音、風が建物の角を回る音、金属が冷えるときの、かすかな鳴り。けれど、それらは昨日の量を運んだ空気を含んでいない。


 受け取り口は空いている。


 箱は、もうない。


 モノカゲは、昨日と同じ場所に立った。立つ位置まで同じにしようとしたわけではない。身体が、自然にそこを選んだ。


 床の中央。


 境界線のすぐ内側。


 何も置かれていない。


 それでも、何もなかった朝とは違う。


 モノカゲは視線を落とし、床を確かめた。埃の色が、わずかに違う。昨日、箱が置かれていた四角い範囲だけ、床の表情が変わっている。


 拭いたわけではない。


 掃いたわけでもない。


 ただ、重さが乗って、離れただけ。


 カゲマルは、箱があった位置の影にいた。影は、箱がなくなったことで薄くなっている。それでも、そこにいる。


 動かない。


 それは待機ではない。


 見張りでもない。


 ただ、残った場所に沿っている。


 モノカゲは、裏手の壁際に立てかけてあった段ボールを見た。


 昨日の箱だ。


 折り畳まれていない。


 畳めば、紙の音がする。音がすれば、昨日が一段階遠くなる。


 今は、その段階に進まない。


 モノカゲは箱を持ち上げ、内側を見た。


 中は空。


 空だが、何もないわけではない。


 底に、細かな紙の繊維が残っている。物が擦れた跡。角の内側にできた、浅い折れ。


 箱の底は、昨日一日、忘れ物を支えていた。


 支えたという言い方は、大げさかもしれない。


 だが、物がそこにあった時間は、確かにある。


 モノカゲは箱の底を、指でなぞらなかった。


 なぞれば、なぞった痕が残る。


 残った痕は、箱のものになる。


 今残っているのは、箱の痕ではなく、通過の痕だ。


 受付へ戻り、いつもの準備をする。


 机の上を整え、帳面を開く。


 昨日の欄には、「箱 一」とだけ書かれている。


 その下の行は、空白だ。


 今日の日付は、もう印刷されている。


 欄もある。


 だが、何を書くかは決まっていない。


 モノカゲは帳面を閉じた。


 決めない、という選択が、ここでは作業の一部になっている。


 開所の時間になり、表の扉を開けた。


 来訪者は、朝のうちは少ない。


 鍵。


 名札。


 財布。


 どれも、通常の忘れ物だ。


 通常、という言葉も、最近は少し揺れている。


 それでも、返却は進む。


 進むことで、センターは動いていると分かる。


 昼前、モノカゲは裏手へ戻った。


 通路を歩く足音が、倉庫の壁に反射して、少し遅れて返ってくる。反射は弱く、輪郭も曖昧だ。はっきりしない反射は、この場所にはよく似合う。


 箱の底は、まだ壁際に立てかけられている。立てかけた角度も、朝と変わっていない。変えなかった、というより、変える理由が見つからなかった。


 モノカゲは一度、箱の底から視線を外し、受け取り口の床全体を見た。空間を丸ごと確認する癖は、いつからか身についている。物があるかどうかではなく、物が置かれたかどうかを見る。


 床の中央は、やはり少しだけ色が違う。


 四角い輪郭は、朝よりもぼやけている。光の入り方が変わったからだ。時間が進むと、痕跡は形を変える。消えるのではなく、馴染んでいく。


 モノカゲは箱の底を持ち上げ、いったん床に置いた。


 置くとき、紙と床が擦れる音がした。


 その音は短く、すぐに消える。


 音が消えたあと、箱の底は床の一部のように見えた。色も、質感も、少しだけ近づく。


 それでも、完全には同じにならない。


 違いが残る。


 モノカゲは箱の底の上に、手を置かない。手を置けば、重さが加わる。重さが加われば、昨日とは別の痕ができる。


 今残したいのは、昨日の痕だけだ。


 そのまま、箱の底を持ち上げ直し、先ほど選んだ境界近くの位置へ運ぶ。


 歩幅は小さく、慎重だ。箱の底は軽いが、軽さが判断を簡単にするわけではない。軽いものほど、どこにでも置けてしまう。


 どこにでも置けるものは、置き場所を選ぶ必要がある。


 境界近くに置かれた箱の底は、通路から半歩外れている。その半歩が、この場所では大きい。人の流れから外れ、しかし完全には切り離されない。


 カゲマルは、その半歩の影に身体を寄せた。影の濃さは均一ではない。箱の底の縁に沿って、わずかに濃淡がある。


 カゲマルは濃い部分だけを選び、尾を丸める。


 その姿を見て、モノカゲは一度だけ、箱の底を見下ろした。


 底は、相変わらず空だ。


 空であることは、確認できる。


 確認できるが、確かめきれない。


 箱の底に残っているのは、物ではない。触れれば集められるようなものでもない。ただ、通過した時間が、紙の繊維や折れの角度として留まっている。


 モノカゲは小さく息を吐き、その場を離れた。


 箱の底をどうするか、決めていない。


 決めないまま、そこにある。


 床に置くには軽すぎる。


 棚に入れるには、違う。


 箱の底は、忘れ物ではない。


 だが、忘れ物が通過した場所だ。


 モノカゲは箱の底を持ち、受け取り口と倉庫へ続く通路の境界近くに置いた。


 内側でも外側でもない。


 棚でも床でもない。


 人の通り道から、半歩だけ外れた場所。


 カゲマルは、その位置の影へ移動した。量ではなく、残りに反応している。


 午後、来訪者が一人来た。


 用件は、探し物ではない。


「……昨日、ここに、箱がありましたか」


 質問は短い。


 理由も、背景も語られない。


 モノカゲは頷いた。


「ありました」


 それだけ。


 来訪者は受け取り口を見る。


 空いている床。


 境界線。


 箱の痕跡には気づかない。


 それでも、少しだけ立ち止まる。


 何かを確かめたように、息を整え、出ていった。


 箱の底は、そのやり取りを見ている。


 見る、というのは比喩だ。


 だが、通過した時間を含んでいる。


 夕方、光が傾く。


 箱の底の縁に、影が落ちる。


 影は、昨日より薄い。


 量がなくなったからだ。


 それでも、影は消えない。


 モノカゲは帳面を開き、今日の欄を見る。


 何も書かない。


 書かないことで、今日が残る。


 夜、照明を落とす。


 箱の底は、暗闇に溶ける。


 形は見えなくなる。


 だが、そこに何かが通過したことだけは、消えない。


 モノカゲは扉を閉め、鍵をかけた。


 金属の音が一つ。


 箱は空になったが、すべてが消えたわけではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ