表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忘れ物センター便り  作者: nime


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/41

忘れ物26 電池の切れた目覚まし時計

忘れ物26 電池の切れた目覚まし時計


 朝の忘れ物センターは、音が少ない。

 昼ほど人の気配はなく、夜ほど静かでもない。ただ、棚と棚のあいだを抜ける空気だけが、ゆっくりと動いている。

 外から差し込む光も、まだ弱い。窓の向こうでは、街が目を覚まし始めているはずなのに、ここでは時間が一段遅れているようだった。


 モノカゲはいつも通り、棚の前を歩いていた。

 ピンク基調の郵便職員風の制服は、朝の光を受けて少しだけ柔らかく見える。手には小さなチェック用の端末。けれど画面を見る時間は短く、ほとんどは目で、指先で、忘れ物の様子を確かめていく。


 棚の番号、並び、距離。

 それらはきちんと整えられている。

 けれど、ときどき、整っているはずの棚の中に、わずかな引っかかりが生まれる。


 その棚で、足が止まった。


 古い目覚まし時計が、そこにあった。


 白い文字盤に黒い数字。角ばった形。針は三本とも止まっている。ガラスに小さな擦り傷があり、裏側には、消えかけた名前が薄く残っていた。

 長く使われていたことは、触れなくても分かる。角の丸みや、裏蓋の細かな傷が、それを語っている。


 特別な形ではない。

 よくある目覚まし時計だ。


 それでも、モノカゲは一度通り過ぎてから、少しだけ戻った。


 音は鳴らない。

 振動もしない。

 けれど、棚の前だけ、時間の流れがわずかに遅れているように感じた。空気が重いわけではない。ただ、急ぐ理由がなくなる感覚だった。


 モノカゲがそっと時計に触れると、指先に、淡い断片が触れた。


 まだ暗い部屋。

 カーテンの隙間から差し込む、薄い朝の光。

 布団の重さ。

 目を閉じたまま、音を待っている感覚。


 ――起きなければ。


 そう思っている。

 その気持ちは確かにある。

 けれど、同時に、別の朝の気配も混じっている。


 起きなくていい朝。

 時計を気にせず、もう一度目を閉じていた時間。

 外の音が聞こえ始めるまで、ただ横になっていた感覚。


 どちらが強いわけでもない。

 安心とも焦りとも言えない。

 ただ、時間に追われていた感覚だけが、薄く残っている。


 モノカゲは静かに手を離した。


 足元で、カゲマルが小さく動いた。

 黒と紫の体を伸ばし、床を低く這うように進む。時計の前を一度だけ見てから、何も言わずに離れていく。

 嫌がっている様子はない。ただ、近づきもしなかった。


 モノカゲは、その距離感をそのまま受け取る。


 「……」


 何も言わず、端末を操作する。


 記録に出てくる情報は、少ない。

 最近まで使われていた形跡があること。

 電池が切れたまま、しばらく放置されていたこと。

 今は、使われていないこと。


 持ち主の年齢も、暮らしも、詳しくは分からない。

 ただ、この時計は確かに、誰かの朝を区切っていた。

 毎日ではなかったかもしれない。それでも、必要な朝には、そこにあったはずだ。


 モノカゲは時計を持ち上げ、返却棚の方を見る。


 そこには、返されるのを待つ忘れ物たちが、静かに並んでいる。

 鍵、財布、傘、眼鏡。

 どれも、返る先を持っているかもしれない物だ。


 次に、保留棚を見る。

 返すことも、返さないことも、まだ決められていない物たちの場所。

 ここに置かれた物は、しばらく、時間を待つ。


 時計は、そのどちらにも、すぐには置かれなかった。


 モノカゲの胸に、かすかな感覚が浮かぶ。


 引き出し。

 机の奥。

 紙類の間。

 別の、新しい時計。


 この目覚まし時計は、そこには置かれない。


 はっきりした映像ではない。

 理由も分からない。

 ただ、行き先だけが、うっすらと見える。


 返却すれば、持ち主の手に戻るかもしれない。

 けれど、それが使われるかどうかは分からない。

 再び朝を区切る音を鳴らすのか、それとも、ただ置かれるだけなのか。


 モノカゲは時計を見下ろした。


 電池を替えれば、また動くだろう。

 針は進み、音も鳴るだろう。


 けれど、その音が、誰かの朝を必要以上に追い立てる気もした。

 もう、追い立てなくてもいい時間が、どこかにある気がした。


 カゲマルが、少し離れた場所で、尻尾を床に軽く打った。

 催促でも、拒否でもない。

 ただ、そこにいるという合図。


 モノカゲは時計の裏側を、そっとこちらに向けた。

 消えかけた名前が、棚の灯りに照らされる。

 読もうとすれば、読めてしまう。

 けれど、口にはしない。


 そのまま、保留棚の一番手前に置いた。


 奥へは送らない。

 返却もしない。


 理由は言葉にしない。


 その選択が正しいかどうかも、考えない。


 ただ、「今ではない」と感じた。


 作業を終え、センターの灯りが落ちる時間になる。

 棚の列をもう一度確認し、床に落ちた影を踏まないように歩く。


 最後に振り返ったとき、ふと、保留棚の方から視線を感じた気がした。


 目覚まし時計の秒針が、一瞬だけ、わずかに動いたように見えた。


 実際に動いたのかどうかは、分からない。

 音は、鳴らなかった。


 カゲマルはその棚を避けず、自然に横を通り過ぎる。

 いつもと同じ速さで、いつもと同じ距離を保ったまま。


 モノカゲは棚を見ず、スイッチに手を伸ばした。


 灯りが落ちる。


 倉庫の奥で、別の鳴らないものが、ほんの少しだけ位置を変える。

 それは音もなく、意味も残さない。


 それに気づく者はいない。


 センターには、また、朝が来る。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ