忘れ物20 残された番号札
忘れ物20 残された番号札
朝から曇っていた。
雨は降っていないが、空は低く、光は均一だ。影はできるが、輪郭ははっきりしない。梅雨明け前の、どこにも行き先を持たない空気が、忘れ物センターの周囲にも漂っていた。
入口の前の舗道は乾いている。昨日までの雨の名残は、溝の奥にわずかに残るだけだ。風はあるが、湿り気を含んでいない。洗濯物がよく乾くかどうか、迷うような風だった。
モノカゲはいつも通りの時間に出勤し、いつも通りの制服に袖を通した。ボタンを留める順番も変わらない。鏡を見ることもなく、名札の位置だけを指で確かめる。
受付のシャッターを上げ、照明を入れる。室内の明るさが、段階的に整っていく。掲示板、椅子、カウンター、倉庫への扉。それぞれが、今日も同じ位置にある。
かげまるは、入口から少し離れた壁際で丸くなっていた。眠っているのか、起きているのかは分からない。耳だけが、わずかに外の音を拾っている。
午前中の来客は少なかった。
小さな忘れ物を一つ預かり、書類に記録し、返却棚へ案内する。それだけで時間が過ぎる。特別な感知はなく、棚も静かだった。
昼前、モノカゲは掃除を始めた。
受付の下、椅子の脚元、掲示板の影。普段は人目につかない場所を順に確認していく。掃除は、落ちているものを拾う作業でもある。
椅子を一つ動かしたとき、床に小さなものが転がった。
紙の番号札だった。
厚紙製で、角が丸くなっている。何度も握られたような手垢があり、中央には数字が印刷されている。読めないほど古くはないが、最近のものとも思えない。
紐を通す穴が一つ空いているが、紐はない。
モノカゲは一度、そのままにしようとした。
番号札は珍しいものではない。順番を待つ場所なら、どこにでもある。落ちていても、不思議ではない。
だが、拾い上げた瞬間、感知が来た。
感情ではない。
言葉でもない。
ただ、一つの状態。
――呼ばれなかった。
誰に、とは来ない。
何のために、とも来ない。
呼ばれるはずだった、という事実だけが、軽く指先に残った。
モノカゲは番号札を見た。数字は整っていて、欠けていない。破れもない。役目を終えた様子もない。
けれど、次に使われる予定も感じられなかった。
モノカゲは番号札をカウンターの上に置き、少し離れて見た。距離を取ると、ただの紙片に戻る。だが、触れれば、また同じ状態が来る。
記録を確認したが、該当する忘れ物はない。番号札が使われるような手続きも、今日は行っていない。
落とし主を探す理由も、探す手がかりもなかった。
モノカゲは、番号札を倉庫へ持っていくことにした。
倉庫の扉を開けると、空気が変わる。整理された棚の並びは、今日も変わらない。返却、保留、隔離。それぞれの場所が、互いに干渉しない距離を保っている。
かげまるは、途中までついてきたが、通路の中央で足を止めた。奥へは行かない。理由はない。行かないだけだ。
番号札をどこに置くか、すぐには決まらなかった。
返却棚には、返す相手がいる物が並ぶ。保留棚には、判断を待つ物がある。隔離棚には、触れない方がいい物が置かれる。
番号札は、そのどれにも当てはまらなかった。
返す相手がいない。
判断を待つ理由もない。
危険でもない。
ただ、呼ばれなかった。
モノカゲは棚の間を歩き、何も書かれていない棚の前で止まった。
分類名も、注意書きもない棚。空いているわけではないが、置かれている物は少ない。役割が決められていない場所。
モノカゲは、番号札をそこに置いた。
置き方に決まりはない。ただ、倒れないように、棚板の中央に置く。
感知は、それ以上強くならなかった。
番号札は、ただそこにある。
倉庫を出ると、かげまるが入口近くに戻ってきていた。番号札の方を見ることはない。だが、通り過ぎるとき、歩幅がわずかに変わったようにも見えた。
午後も、特別なことは起きなかった。
忘れ物は返され、保留は保留のまま、隔離は隔離されたまま。番号札について、誰かが尋ねることもない。
閉館の時間が近づく。
モノカゲは照明を落とし、最後に倉庫を確認した。
棚を遠くから眺める。
番号札が置かれた棚だけ、影が少し深い。
暗いわけではない。ただ、光が届きにくい。
理由は分からない。
かげまるが、その前を通り過ぎる。一瞬だけ足を止め、何もせずに去る。
シャッターを下ろし、外へ出ると、空はまだ曇っていた。
明日も、同じような一日になるだろう。
それでいいと、モノカゲは思った。




