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忘れ物センター便り  作者: nime


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忘れ物10 動いた忘れ物

### 忘れ物10 動いた忘れ物


 倉庫は、夜になると音が少なくなる。


 昼の倉庫には、人の気配がある。

 台車のきしみ。帳簿をめくる紙の音。扉の開閉。

 靴底の擦れる音。誰かの息継ぎ。


 夜の倉庫には、それがない。


 だから、ほんの小さな音でも、よく聞こえる。

 聞こえすぎて、耳が自分の中の音まで拾う。


 その日は、閉館の手続きが少し遅れた。


 返却の記録をつけ直していた。

 書き間違いを消して、書き直して、また消して。

 消した跡だけが残るのが嫌で、ページの端を押さえ直した。


 「保留」と書くだけで済ませた行が、頭から離れなかった。

 返さなかったのではなく、返せなかった。

 そう言い換えても、胸の奥に残る重さは変わらない。


 モノカゲは最後のページに印をつけ、ペン先を拭った。

 廊下に出て、灯りを一つずつ落とす。


 灯りは、落ちるときに小さく息を吐く。

 ぱち、と短い音。


 その音の隙間に、別の音が混ざった。


 扉の向こう。

 倉庫の奥。


 擦れる音。


 落ちた音ではない。

 風で揺れる音でもない。

 金具の鳴る音とも違う。


 何かが、動いている。


 モノカゲは立ち止まり、息を止めた。


 ここは、忘れ物センター。

 忘れ物は、勝手に動かない。


 そう思いながら、鍵を回した。


 扉の向こうから、倉庫の空気がゆっくりと流れ出した。

 昼より少し冷えている。

 乾いた匂い。

 紙と布と金具が混ざった、雨の降らない部屋の匂い。


 灯りを点ける。


 影が並ぶ。


 棚の列は、いつもと同じように見えた。

 番号も、箱の形も、位置も。


 救い。

 保留。

 隔離。


 それぞれの棚の端に、目印の色がある。

 言葉は書いていない。

 言葉で説明すると、決めてしまうから。


 モノカゲは一歩進んで、もう一歩進んで、足が止まった。


 違う。


 どこかが、少しだけ違う。


 気づいたのは、保留の棚の近くだった。


 棚の端。

 保留と隔離の境目。


 そこに置かれていた箱が、わずかにずれている。


 ほんの数センチ。

 それでも、倉庫では大きな違いだった。


 誰かが触ったのなら、痕跡が残る。

 棚の角が擦れる。

 床に台車の跡がつく。

 埃が、指の腹に移る。


 何もない。


 箱の周りだけ、床が妙にきれいだった。


 モノカゲはしゃがみ、箱の札を確かめた。


 管理番号。

 品目。


 ――不明。


 保留。


 備考欄に、自分の字で短く書かれている。


 それを見た瞬間、胸の奥が少しだけ重くなった。


 「不明」という言葉は便利だ。

 便利すぎて、ときどき怖い。


 番号のない棚。

 触れられない通路。


 奥の棚の感触が、遅れてよみがえる。

 埃がないのに古くない棚。

 用途が思い浮かばない形。

 情景が先に来て、感情があとから遅れてくる順番。


 モノカゲは箱に手を置いた。


 手袋の上からでも分かる。


 中身が、軽い。


 軽いというより、

 重さが定まっていない。


 箱はここにあるのに、

 中身は「ここ」にいないみたいだった。


 蓋を開ける。


 中には、黒い布が入っていた。


 そう見えた。


 次の瞬間、布ではないと分かった。


 形が、決まらない。


 影のようでもあり、

 煙のようでもあり、

 水面の反射のようでもある。


 箱の底に沈んだかと思えば、

 ふわりと浮かぶ。


 ふわり、ではない。

 浮くのではなく、

 そこに「なる」。


 モノカゲは息を止めた。


 忘れ物は、物である。


 その前提が、目の前でゆっくりと崩れている。


 特殊な道具がある。

 劣化を遅らせるための道具。

 忘れ物が忘れ物のままでいられるように、形を保つ道具。


 けれど、目の前のそれは、

 形を保たない。


 保とうとするほど、逃げる。


 足元の影が、濃くなった。


 カゲマルだ。


 肩にはいない。

 けれど、気配ははっきりある。

 いつものように、嫌な忘れ物を嫌がる気配ではない。


 カゲマルは、その箱を嫌がらなかった。


 色を変えない。

 逃げない。


 ただ、静かに見ている。


 同じものを見るみたいに。


 その静けさが、モノカゲの背中を少し冷やした。


 モノカゲは、そっと指先を伸ばした。


 触れた瞬間、能力が反応した。


 ――感情ではない。


 いつもは、最後の感情が先に届く。

 悲しい、とか、嬉しい、とか。

 名前のつくもの。


 けれど今は違う。


 意思のようなものが、先に来る。


 いてもいい。


 そう言われた気がした。


 返して、ではない。

 助けて、でもない。


 ただ、ここに。


 情景が遅れて、薄く触れる。


 暗い車内。

 揺れ。

 誰かの膝。


 窓に映る光。

 自分の手。


 そして、手。


 握られたあと、離された手。


 「離された」のではない。


 置かれた。


 感情は、名づけられない。


 寂しいのでも、怖いのでもない。

 怒りでも、悲しみでもない。


 ただ、置かれた。


 置かれて、それでもここにいていい、と言っている。


 モノカゲは指先を引いた。


 箱の中の影は、ゆらりと揺れ、また静かになった。


 静かになった、というより。

 見えなくなった。


 見えなくなっても、

 そこにある気配だけが残る。


 カゲマルの影が、少しだけ箱に近づいた。


 触れない。


 けれど、距離を測っている。


 それは警戒ではない。

 怖がってもいない。


 確かめている。


 モノカゲは立ち上がり、周囲の棚を見回した。


 保留。

 隔離。


 どちらでもない。


 ここに置けば、またずれる。

 隔離に入れれば、押し込む。


 押し込めば、形が変わる。


 形が変わる、というより。

 何かが決まってしまう。


 決まってしまったら、

 戻れなくなる。


 そんな気がした。


 モノカゲは箱の蓋を閉め、両手で抱えた。


 抱えると、箱が少しだけ温かい。

 人肌の温度ではない。

 暖房の温度でもない。


 置き場所を探す温度。


 棚の列の中心へ向かう。


 保留の棚の、いちばん真ん中。


 目立つ場所。

 隠れない場所。


 見つけようと思えば、誰でも見つけられる場所。


 そこに箱を置く。


 箱は、今度はずれなかった。


 モノカゲはしばらく、その前に立っていた。


 倉庫の灯りは均等に並び、影は少ない。


 それでも、箱の周りだけ、影が深い。


 自分の影と、カゲマルの影が重なっている。


 モノカゲは、足元に視線を落とした。


「……返されなかったら、どうなるの?」


 問いは、独り言みたいに小さかった。


 カゲマルは答えない。


 けれど、影が少しだけ、箱に近づいた。


 それは、肯定でも否定でもない。


 ただ、ここにいる、という返事だった。


 モノカゲは帳簿を開き、ペンを取った。


 管理番号。


 書けない。


 品目。


 書けない。


 備考欄に、短く書こうとして、手が止まる。


 「異常」と書けば、隔離になる。

 「危険」と書けば、誰も近づかなくなる。

 「大丈夫」と書けば、軽く扱われる。


 どれも違う。


 モノカゲはペン先を戻し、何も書かずに帳簿を閉じた。


 言葉にしない。

 言葉にした瞬間、順番が決まってしまう気がした。


 倉庫の灯りを落とし、扉を閉める。


 擦れる音は、もう聞こえなかった。


 代わりに、何かが息をするような静けさが残った。


 廊下に戻ると、灯りが一つだけ、まだ点いていた。

 モノカゲはそれを見上げ、手を伸ばしかけて、やめた。


 今夜は、少しだけ明るいままがいい。


 そう思った理由は、自分でも説明できなかった。


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