#002
「あの……本当に人畜無害な人は自分で人畜無害とは言わないと思います」
困惑した様子の美琴の言葉に頷きながらレイは石段に腰掛け、美琴にも隣に座るように促した。
「言われてみればそりゃそうだ、多分誰でも同じ反応をするだろうな」
「それより、あたしと話したいことって……」
「そうだな、時間もそう長くはないし本題に入ろうか。君はマキナの子孫だという話だったけど、君からは霊力や巫力の類が一切感知できない。それに君が観桜界に渡ることになった理由も知りたい。まずはこれらについて答えられる範囲でいいから答えてほしい」
「えっと……あたし遠山家の中でもかなりの落ちこぼれみたいで……お祖母ちゃんからもご先祖様に合わせる顔がないって怒られて……」
「いくら落ちこぼれとは言っても、遠山の人間が霊力を持たないなんてことがあり得るのか……? まぁ今は考えても仕方がないか。あまりにも判断材料が少なすぎて断言できることはないしな」
あっさりと思考を放棄したレイは次の話題に切り替えた。
「それで霊力を持たない君が観桜界に来たことについてだけど……」
「えっと、十六夜さんは観桜界の成り立ちについてはご存じですか?」
「まぁぶっちゃけるけどかなり詳しいと思うよ。マキナは古い友人だったし、観桜界の創造にも立ち会ってたしな……今でこそ観桜界は心や精神に傷を負った者が迷い込む空間として知られているけど、元々はマキナが空亡って古代の妖魔と対峙するために紡いだ大規模な結界空間だな」
「そこまでご存じなら話が早くて助かります。十六夜さんも知っての通り、観桜界は初代神薙の巫女であるマキナ様が創造し、今日まで代々遠山家の関係者が管理してきました。ですが二ヶ月前に六代目であるあたしのお母さんが何者かに殺害されて、急遽一人娘のあたしが観桜界に来ることになったんですけど……」
レイは深いため息を吐きながら、石段から立ち上がった。
「なるほど、観桜界は結界空間だ。にも関わらず君は霊力を行使できない……つまりこの観桜界はいつ消滅してもおかしくない……ん? 母親が殺されたっていってたけど、それじゃあさっき一緒にいた女性は……」
「……お父さんの再婚相手、継母です」
「あー……すまん」
「いえ、悪い人ではないので……ただすぐに再婚したお父さんのことは信じられないですけど」
「と、とにかく君は母親の後任として観桜界に来たわけだ。でも霊力を行使できないから観桜界の管理どころか維持も出来ない……道理で俺がここに連れてこられた訳だ」
「十六夜さんは結界の専門家だとユージンさんから聞いています」
「結界の専門家ねぇ……まぁ将軍の言う通り俺が結界にも詳しいのは事実だな……とりあえず今後の方針としては俺が観桜界の管理をしつつ、美琴が霊力を行使できない原因も調べると同時に、美琴の母親を殺した奴に関する情報も探るといったところかな」
レイが虚空に手を伸ばし、何処からかほのかに黄色い液体が入った小瓶を取り出した。
「んー、やっぱりまだ空隙への介入も安定してないな……今はまだ小物しか取り出せそうにないな」
「スキマ……それが十六夜さんの権能ですか?」
「ん? まぁ権能と言う程じゃないけど、能力の一種かな。異なる空間の境界を曖昧にして結合したり、狭間の空間にものを収納したりとか……って俺の能力の話は置いといて……美琴は戦闘に関する経験ってあったりはしないよな?」
「すみません、実戦経験は全くないです……」
「まぁそうだよな……日本じゃ人族の信仰心が薄くなった影響で、神々や妖魔もどんどん力を失って姿を消してるもんな。昔みたいに妖魔討伐の稽古や修行なんてしてないか」
「はい……一応お祖母ちゃんから簡単な護身術は習っていたんですけど、多分妖魔相手には通用しないですよね……?」
「まぁ相手の妖力や質量にもよるけど、俺の見立てだと今の美琴が相手できるのはその辺で彷徨っている子どもの霊ぐらいだろうな。多分瘴気に充てられて悪霊や妖魔化してたら子どもの霊でも命を落とすかもな……ってなると、美琴がある程度の自衛はできるように稽古をつける必要もあるか……うん、だいぶ今後の方針は固まってきたかな」
小瓶の中身を一息で飲み干したレイが空になった小瓶を空隙に収納していると、ユージンが神社の跡地に戻って来た。
「十六夜、時間だぞ」
「お、ジャスト五分だな。将軍……ところで美琴の継母さんは?」
「現状の観桜界はかなり物騒だからな、家に帰ってもらったのだ。それで、巫女見習いと話したことで何か得られたか?」
「ん、ある程度の方針を固めることはできたし、とりあえず今日のところは寝床を確保した方が良いと思う。流石にここで野宿するわけにもいかないからな」
「うむ、それならば近くに集落がある。そこに向かうのが良かろう」
「ついでに美琴の着替えや食料も調達しておかないとな、俺は睡眠も食事も必要ないけど美琴はそうもいかないしな」
「待て、十六夜」
「なんだよ?」
集落に向かうべく石段を下り始めたレイをユージンが呼び止めた。
「お前、金は持っているのか?」
「当たり前だろ、ちゃんと空隙に十万は隠し持って……」
「使えんぞ」
「……は?」
「今の観桜界で日本円は使えんぞ、二十年ほど前にセレジアの通貨に統一したからな」
「……あのさ将軍?」
「……どうした?」
「お金貸してくんないかな? ちゃんと働いて返すから」
「……致し方あるまい、私が立て替えよう」
「……お願い、します」
ユージンに頭を下げるレイの表情は何とも形容しがたいものであった。