自然寿命
人が動物のように生きたら、寿命は38歳だそうだ。なので、現代人はその二倍以上も生きている事になる。ういういしく、溌溂とした二十歳の若者も、自然寿命ならもう人生半ばだ。現代人は医学や食生活の改善で長生きするようになった。テレビやネットでは健康情報が溢れている。これを食べると健康に良いとか、こういう運動をすると健康に良いとか、いっぱいある。巷で喧伝されている事や学者が推奨する事を全て履行しようと思ったら、一日二十四時間では足らなくなりそうだ。自然寿命を考える上で基本になるのは動物のありようだ。人が行うような「健康のための行動」はしていない。暑さ寒さにひたすら耐え、食べ物が無ければ何日もお腹をすかし、栄養価なんて考えちゃいられない。紫外線は浴び放題、お風呂やサウナも無い。ノルディックウォーキングもジョギングもしないし、ジムにも通わない。ヨガも太極拳もやらない。だから、皮膚も内臓も同時進行的にどんどん劣化して行き、「自然寿命」に於いて全てが劣化し尽くして命を全うするのだろう。ある意味、あっぱれで清々しい。人もそんなあり様で良いのかもしれない。少なくとも生物的には十分で満足なはずだ。例えば、皮膚はお手入れをすればずっとスベスベなのかもしれない。でも、風雨や日光に耐えてボロボロになった皮膚を眺めながら「皮膚さん、長い間体を守ってくれてありがとう、そろそろ限界だね」と言ってみたい衝動もなくもない。ところで、自然寿命を一つの区切りと考えるのは人文的な意味もありそうだ。ある識者は、「自然寿命以降は『おまけの人生』だから、できるだけ束縛されずに自由に生きよう」と提唱している。賛成だ。考えてみれば、インドで言う「林住期」のようだ。しかし、社会が用意し長く慣れ親しんだゲーム盤から脱するのはなかなか難しそうだ。