リサイクル考
「リサイクルを減らそう」と言ったら、驚くだろうか。ちょっと環境問題意識の高い人であれば、「そうだ」と言ってくれるかもしれない。どんなモノでも「製造」される。ニュースでトランプ大統領が「紙ストローをプラスチックストローへ戻す」と公言しているのに顔をしかめている|「環境派|」の人達も多いと思うが、考えてみればいずれにせよストローは「工業製品」だ。どこからか資源を採取し、輸送し、エネルギーを使って廃棄物を出しながら製品化し、再び製品を輸送して店頭に並ぶ。リサイクルも基本は同じだ。入力元が天然資源ではなく、リサイクル可能な廃棄物になっているだけだ。つまり、結局は重厚長大な工業生産と輸送に支えられている。資源的な効率を向上させるのがリサイクルだ。依然として様々な「工場」が盛大に稼働する。では、どうすればこの「工業生産」、つまり「工場の稼働」を抑制できるか。それは簡単で、製品を買わなければいい。「じゃあ、原始時代の生活に戻るのか!」というお叱りが聞こえてきそうだ。それでも良いが、私もそれには耐えられないので、「減らす努力をしましょう」という事だ。例えば、好みにもよるが私の場合はストローを使わない。家でもお店でも使っていない。つまり、紙かプラスチックかの議論は無いし、ストローの生産とリサイクルに纏わる「工場の稼働」を発生させない。これはストローに限った話ではなく、ありとあらゆる工業製品について言える。ペットボトルや缶についても、できるだけ減らせばそれにまつわる「工場の稼働」「輸送」が減る。それらに伴う資源採掘、輸送、輸送のための機器製造、自然を切り開いての工場・輸送路建造、製造や輸送に伴う大気汚染、水質汚染、廃棄物の排出、騒音、などなどが減る。私はペットボトルや缶については残念ながらゼロにはできていない。月に1つか2つくらいは購入(=リサイクル=工場稼働)してしまっている。元来ケチなので、安い調味料や食材を買っていて、ついついペットボトルや缶のお世話になってしまっている。でも、車には乗っていない。免許もない。車は恐らく住居に次いで、普通の市民ができる最大の「環境破壊」だ。こういうと、ブーイングが聞こえてきそうだが、事実だ。考えてみよう。車の製造、運用に要する「工場の稼働」「輸送」は莫大なものだ。そしてシステム維持のためには膨大な面積の道路と駐車場を必要とする。これ以上は書かなくても、賢明な方ならその「莫大さ」がお分かりだろう。本来ならそこにあったであろう多様な生態系を鉄とコンクリートで根こそぎ破壊してしまう。良く国立公園などで「歩道をはみ出して歩かないように、高山植物の生育が、、、」などと言っているが、その何億倍、何兆倍もの生態系を根こそぎ破壊してしまったのが自動車システムだ。では、どうするか。車を無くすのか。またもや「じゃあ、原始時代に戻るのか!」という声が聞こえてきそうだ。そうしなくても、できることは沢山ある。回答は全て日々の生活の中にある。生活、レジャー等で使う、「製品」、「エネルギー」を半減させる努力だ。凝ってくると趣味的に面白い面も出てくる。お金の節約にもなりそうだ。イメージして欲しいのは常に「工場の稼働」だ。例えばいろいろ工夫して、洗濯の回数を半分にし、洗剤を半分にし、すすぎを減らし、脱水時間を短くしたら、洗濯機は2倍長持ちしそうだ。であれば、洗濯機製造工場、洗剤製造工場、上下水道システム、各輸送システムなどの稼働も半分になる。洗濯機に纏わる、ありとあらゆる「公害」が半減する。そう、その調子! どんどん減らそう。と、ここまで書くとお気づきではないだろうか。そんな事をすればGDPがガタ落ちするのでは。正解だ。つまり、随分乱暴だが、GDPと環境破壊は比例する。かつての公害地獄の時代に比べれば遥かにマシだが、基本は同じだ。じゃあ、GDPとは何かと言えばお金だ。これまでの議論からすると、またもや乱暴だが、使うお金に比例して環境破壊は行われる。が、ちょっと待って冷静に考えると、稼ぐお金に比例している面もある。鶏と卵のようだ。では、環境問題の優等生とはどんな人達か。一番稼がず(稼げず)、一番使わず(使えず)、という人達。たぶん、税金も納めていない、、、公園や河川敷でそんな人達を見かけるかもしれない。最も尊敬すべき人達だ。環境ノーベル賞があるなら、これらの人達に進呈しよう! さて、皆が環境意識に目覚めてしまうとGDPが低下してしまう。政治家や経済界にとっては由々しき事態だ。GDPが落ちないように環境保全を!、維持可能な社会を!、と絵にかいた餅、いや失礼、理想的な事を言いたくなる。まやかしでも何でもいい。世論をそっちに動かさないと大変な事になる。はい、はい、ご用意しました。さあ、皆でSDGs!