異世界召喚による生態系の崩壊および絶滅に関する古代魔族の記録文書
数か月前までは我々が圧倒的に優勢であった。
二千年にわたる魔族と人族の戦いが拮抗していると語られていたのは昔のことで、ここ三百年間着実に領土を広げ続けているのは我々、魔族側だった。魔王ともあろうものが未練がましく言うべきではないが、このままあと数年もすれば忌まわしき王都を破壊し長きわたる戦争を我々の勝利で終えることができていただろう。
奴らがこの世界に現れたのはそんな時期だった。
王城に忍ばせた間者たちによれば、人間共は戦争以前の古代に封印された禁術の書をどこからか引っ張り出したらしい。そして半ば強制的に集めた三千の民を生贄として捧げ、彼らの魔力を魔方陣へと注ぎ込むことで異世界から3人の人間を召喚したのだという。
戦わぬ無数の臣民を犠牲にするなど、強さを第一の尺度とする魔族から見ても吐き気を催すが、それだけ彼らも逼迫していたということなのだろう。
呼び出されたのはニホンという異国の青年たちであった。
さすが今よりも魔に優れていたとされる古代の禁術である。召喚された三人はそれぞれ魔法、格闘、剣術に非常に優れており、2ヶ月程度の鍛練で著しい成長を遂げて人類の最高戦力となるほどに力をつけていった。
彼らは互いが互いの弱点を補完していたことから、人々の間では魔·武·剣の三勇者と称えられるようになっていた。
だが一方で彼らの強さは今の戦況をひっくり返すほどのものではないと私は考えていた。
三位一体となった場合の破壊力は凄まじいとはいえ、陽動による個人の足止めや迅速な撤退をおこなえば、局地的に制圧されることになろうとも戦線全体としては大した被害は生まれないだろうと、そう高を括っていた。
また今代の人族の王が愚王であることは、魔界の子供の間でその名がバカやアホと同列の蔑称として使用されるほどには有名であり、勇者と呼ばれるほどの力を持つ者たちがそんな人間におとなしく使役されるなどあり得るはずがないと思っていた。
しかしながら。
今となってはこれらの推測は甘かったと言わざるを得ないだろう。私は勇者どもが異世界から呼び出されたという事実を軽んじ過ぎていたのだ。
戦況が変わったのは忘れもしない、1月15日。
王都から馬を飛ばしても20日はかかる名も知らぬ小さな村を襲撃した雪の日であった。
そこは主要な街道から大きく北に外れており三方を山と凍結した小川に囲まれているような寂れた田舎村だった。
なぜ王都からこんな辺鄙な村に勇者がやってきたのかは今となっても分からぬままである。
防衛の最前線というわけでもなければ、要衝というわけでもない。襲撃についても少なくなった食料を進路近くの村から補給させてもらおうというだけのものだった。占領はするが意味のない殺戮を行う気はなかったのだ。
しかし結果は惨憺たるものだった。
襲撃に使用したのは多少訓練した程度の志願兵、それも大部分が戦闘経験の少ない未熟な者ばかりであり、戦利品に気を取られていた一隊は瞬く間に勇者どもに屠られた。
そして命からがら逃れた兵士を追ってきた、奴らの魔界への侵入を許してしまったのだ。
その日から奴らは周囲の魔族を瞬く間になぎ倒していった。
戦友を弔っている間に次の死体が運ばれる。動く影は日を追うごとに減っていき、仲間の亡骸を燃やす火柱だけが成長を続けていく。
魔界全体が恐慌状態となっていた。
何もできぬまま命の灯が潰える、その恐怖だけが魔族を支配していた。
死を恐れるなと教育した魔界随一の兵団内にも故郷へと逃げ帰った者がいたほどである。であれば一般兵は言うまでもない。
しかしながら奴らには心も慈悲もなかった。
故郷へ帰れたと安堵した数日後には奴らに襲われ、家族どころか村や街ごと全滅させられたという話も市勢には溢れていた。
結果、防衛線は崩壊した。
城壁だろうと要塞だろうと多少の時間を稼ぐだけで奴らは気付かぬ間に侵入する。そしてその場の全てを喰らい尽くし、すぐに次の獲物へと食指を伸ばす。
我々も無策でいたわけでなはい。だが決定的な対抗策を講じられるわけでもなかった。
仲間を蹂躙された屈辱を飲み、対応できるようになるまで被害を減らすことが精一杯の抵抗であった。
軍の編成を細分化して小隊を分散させ、奴らの存在を確認した瞬間に狼煙をあげて周囲の隊を退避させることで損失を小さくする。またそれまで軟弱者の証と蔑ろにされていた回復魔法の習得を推奨し、僅かでも戦力の減少を抑えられないかとも考えた。
これも全て「特効薬」ができるまで。
もうすぐ、もう少しの辛抱だ。
そう魔界全体に呼びかけ続けながらも、私の精神は限界を迎えていた。
そして。
ついにそのときが来たのである。
「特効薬」が完成したのか、だと?
何を言っている?笑わせるな。
・・・・・・違う、違うはずだ。
笑わせてくれと頼むべきはずだ。
頭を下げるだけで済むならいくらでも下げよう。魔王の地位が欲しいというなら今すぐにでも王座を明け渡そう。
だから。
お願いだから。
早く目を覚まさせて、魔王をも恐れさせる最高の悪夢だったと笑わせてくれないだろうか。
・・・3月13日、ついに魔王城内にも奴らが現れた。
城門は固く閉じていた。緊急の逃走のための通路も使用された形跡はなかった。出入りする者には尋問をおこなったうえで徹底的に身体の検査をおこなった。
それでも奴らはいつしか城内に侵入しており、残虐に冷酷に猛威を奮っていった。
それから何日が経ったのだろうか。
もう戦える者は残っていない。私も奴らに心身を破壊され、身体を起こすことすらままならない。
こんな幕切れがあっていいのだろうか。
戦争で死ぬのであればそれは本望だ。敗北した、とそう思えるのだから。
戦士も農民も子供も大人も男も女も、見境なく奴らに殺された。
戦う余地もなく命を削られ、勝負を挑むことすら許されない。
繋いできた命を、積み上げてきた文明を、刻み続けてきた誇りを、全て嘲笑うかのように滅ぼされる。
そしてそれら全てを王として守れぬ屈辱に塗れながら、自らの命も潰えていく。
許せない。
許せるはずがない。
コロナだけは何があろうとも。
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古代魔族を滅亡へと至らしめたのは召喚された勇者の衣服に付着していた異世界のウイルスであった。その未知のウイルスは、連日訓練に使用される鎧の中で2ヶ月の間生き残り続け、偶発的な接触によって魔族の戦士へと付着した。
ウイルスは人族へは感染率が低いうえに毒性も皆無であったが、対照的に魔族に対しては非常に高い感染率を有していた。だがなにより最悪であったのは魔族感染者の9割以上を死に至らしめる致死率と、魔族の力の源である魔力を繁殖の糧とするといえその生態であった。
辛うじて生還できた者も魔力の循環路を破壊されまともに動くことはできず、これ幸いと勢いづいた人類の領土拡大のなかで殺されるか捕虜とされることとなり、瞬く間に魔族は壊滅状態にまで追い込まれていった。
こうして王国建立から53代の長きに渡る戦争は、異世界の青年が召喚されてから約4カ月、感染爆発から僅か2月の間で決着したのである。
このウイルスはどんな強者であってもそよ風に倒されるほど魔族を弱らせることから人類の間で「魔族かぜ」と称された。魔族間では彼らの言葉で恐怖を表す「コ」と拡散·爆発を表す「ロナ」を合わせた名で呼称されていたとする説が有力である。
また死亡した魔族は4百万、戦争後に存命であった者は1万にも満たなかったと当時の文献には記されているが、真偽は不明である。
現代においても召喚魔術が禁忌とされるのはこれが理由である。
召喚により異世界の物体を取り込んだとき、存在しないはずの因果関係がこの世界に生み出される。
それはこれまでの世界を破壊し、全く未知の新たな世界を創り出すことと同義である。
こうして生み出された因果が人類にとって有益という保証はどこにもない。むしろ安定した世界を歪める可能性のほうが高いであろう。
では古代魔族のように、もしも未知の脅威、それも種族を絶滅させるほど巨大な脅威に突然襲われたならば、私たちにそれを抑えこむことができるだろうか。
答えは自明である。
ゆえに今はまだその門を開けてはならないのだ。
だいたいSCP-4823のパクリです。