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不服玉  作者: 在江
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中編


 中学校の教室には、各自の席に不服玉を入れる袋が備え付けてある。

 生徒たちは不服玉を見つけると袋へ入れる。下校時、教室を出る前に、隅に設置された処理箱へ捨てる。一旦処理箱へ入った不服玉は、勝手には取り出せない。箱の中を覗くこともできない。


 この装置は、清掃業者が使う物と同じ種類で、業者に運び出してもらうまでの間、不服玉を溜め込むために設けられた。真偽は不明だが、不服玉の容量を圧縮することができる、と噂される。誰も、処理箱が限界を迎えるのを見たことがないからである。生徒及び職員の数、そして思春期の生徒が生み出す不服玉の数を考えれば、確かに不思議なことである。



 「俺、思うんだけど」

 「何でしょう。先輩」


 夜も職員室には灯りが絶えない。授業の後、部活動の指導を終えてから、自分の仕事に取りかかるので、とても日が沈む前には帰れない。それでいて、節約も厳しく要求される。そこで居残りの際、中心的な教師がいる辺りだけ蛍光灯を点け、他の教師が答案用紙などを抱えて近くへ移動する慣習ができた。


 教師は互いに先生と呼び合うが、この二人は高校大学を通じ先輩後輩の間柄だったため、他人の目を気にしない場面では昔の呼び方に戻るのだった。


 「不服玉を教室でまとめて処分するのは、教育者として怠慢じゃないか?」


 後輩は、中間テストの原案作りを中断した。実施日までには十分過ぎるほどの余裕がある。

 しかし、同じ教科の同僚に回覧して手直しし、学年主任と教頭に決裁を仰ぐ。教頭は出張や会議その他で決裁を貰うまでに時間がかかる。逆算すると、明日から始めても遅すぎるほどだった。


 他にも報告書やら原稿チェックやら、やりかけの雑用が溜まっている。あれこれ気になって、問題作りは元からろくに進んでいなかった。最悪の場合、過去問から引っ張って細かい点だけ変えればいい、と彼は考えていた。


 「つまりさ、不服玉ってのは、生徒たちが言葉にできない不満を形に表した物だから、それを分析すれば、生徒の問題解決の力になれると思うんだ」


 先輩の方は、文章課題の採点をしていた。他にも異なる種類の山が複数あった。山々の間から覗く顔は、疲労もあって妖怪じみている。


 彼は体育会系の部活動顧問をしているため、早朝練習にも付き合わなければならない。いつか、職員室に寝袋を持ち込んでいた。そうでもしなければ、睡眠時間を確保できまい。雑用は若手にどんどん押し付けられる。物理的限界は無視される。教師らしからぬ非論理性だ。


 「正論ですね」


 後輩は作りかけの問題に視線を戻した。まだ序の口の二割方しか出来ていない。席を立ち、過去問綴りを探しに出かけた。背後から大声が追いかける。


 「お前の言いたいことはわかってるよ。誰がやるかってことだろう?」


 人気のない広い部屋に、先輩の鍛えた声が響き、暗がりに吸い込まれた。記憶で大体の見当をつけ、目を凝らして勘で求める綴りを抜き出すと、後輩は灯りの下へ帰ってきた。改めて物を確認する。勘は当たりだった。


 「僕らには無理ですね。専門的知識はともかく、時間がありません」

 「養護教諭も心理カウンセラーもいるんだからさ、不服玉分析の専門家も配置すればいいんだ」

 「私立では、既に導入した学校もあるそうですよ」


 綴りをぱらぱらめくる。似たような問題ばかり繰り返し出題されているように見える。先輩が舌打ちした。


 「いいよなあ。私立は金があるから」


 「お金は同じところを循環しているんです。お金のある親は子どもが通う学校にお金をかけ、お金をかけて教育された子どもは大きなお金を動かす会社に行って、お金のある家庭を作る。貧乏な親は貧乏な学校に子どもを通わせ、限られた教育しか受けられなかった子どもは、限られた職業に就いて、それで維持できるだけの家庭を作る。でも子どもには可能性があります。貧乏な家の子が、望めばお金持ちになることもできるように、僕たちが精一杯教えることが大切です」


 「金持ちになることばかりが幸せじゃねえぞ」

 「正論です」


 後輩は、綴りから問題を抜き出して、今度のテストに貼付け始めた。先輩もすき間から覗くのを止めて、仕事に戻った。




 人気のない道端に、無秩序に木が生い茂る場所があった。よく見ると、木々は互いに充分な間隔を空け、高さも限られていた。ツツジやカラタチといった低い木々と、松や(もみ)のような高い木々はそれぞれまとめて生えていた。植木屋の土地だった。


 男子中学生四、五人が入り込み、一団となっていた。輪の中心に一人閉じ込められている。彼の頭からは青みがかった灰色の不服玉が分泌されつつあった。足元には、既に出来上がった物が二つ転がっている。それぞれ微妙に色合いが異なった。


 「こいつ、まだ出すぜ」

 「すげえじゃん。全部で幾つ出せるかなあ」

 「面白え」


 輪の中にいる生徒は、暗い表情で級友の嘲笑に耐えていた。三つ目の不服玉が地面に落ちた。囲みが少し広がった。


 「そろそろ、いいんじゃない?」

 「よし。じゃあ、今落ちたやつを拾え」


 生徒は指示に従った。彼の不服玉は、指が触れただけでふにゃりと形を変えた。霧に似た中身が、ゆっくりと動く。周りの生徒たちは興奮し、変化に気付かなかった。当の生徒は何の反応もしない。


 「それから、後の二つを左右の足の下に置け」


 囲む生徒たちは、逃げる準備をしながら言った。


 「待て。まだだ。俺がよしって言ったら、声を出して十数えろ。その後すぐに、両足に体重をかけて不服玉を踏みつぶすんだ。その手の玉も握ったら上出来だよ。仲間に入れてやってもいい。でも、言った通りにしなければ、鞄は捨てちまうからな」


 生徒は既に片足を一つの不服玉にかけていた。承諾の印に頷きながら、残る不服玉を自由な足で引き寄せようとした。


 バランスが崩れた。

 ぱりっ。


 薄いガラスが割れるような音がした。


 生徒の手から煙が噴き出すのと、足元から奔流が噴き出すのとが、同時に起こった。周囲の生徒たちは逃げる間もなく双方向から襲われた。煙と水は混じり合い、濁流となって渦巻いた。ばきばきと何かが折れる音、めりめりと木が根こそぎになる音に混じり、途切れ途切れに男の子の悲鳴が上がった。


 植木屋の敷地の外には、何の異変も現れなかった。

 道路のアスファルトを割って生える草一本も、そよぐことはなかった。暫く経ち、偶々通りかかった主婦が惨状を目の当たりにし、通報するまでの間、中学生たちは痛みで気を失ったままだった。

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