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不服玉  作者: 在江
1/3

前編


 特別ごみの収集車は、特殊な装置を備えている。ただ一種類のごみ、不服玉を回収するためだけに開発された車だ。


 半透明の指定ゴミ袋に詰まった不服玉を、清掃係員が装置に乗せると、機械が袋の口を開けて入れ物と中身を仕分けし、それぞれ圧縮して積載する。


 不服玉は、その性質からか、シャボン玉を連想させる。ガラスに似た透明な弾力性のある殻で完全に閉じられた、球形をしている。大きさは様々だ。最大でも、大人が両手中指で作る輪ぐらいの大きさで、色や中身も様々だ。


 きれいな色は、まずない。暗色で、殊に灰色が多い。そういう不服玉は、まさに煙が詰まっているように見える。同じ灰色でも、非常に粘度の高い液体が詰まって見えることもある。こんがらがった毛糸玉に見えることもあれば、無限の火花に見えることもある。


 決してきれいではないが。大抵は抽象的な状態にある。ごく稀に、立体活字や特定の人物らしき具体的な物体が詰まって見える。だから人は互いに相手の不服玉を見たがり、自分の不服玉を見せたがらない。しかし実際に他人の不服玉を直視する大人はまずいない。


 処理場へ到着した不服玉は、囲いの中に積み上げられる。袋は燃えるごみへ回される。そして複数の聖職者が交替で、読経やミサを行い浄化する。儀式が進行するにつれ、不服玉のどす黒い中身がぼやけ、淡い色合いに変わる。殻もどんどん薄くなる。最後にはふわりと揮発する。後には何も残らない。大気汚染の心配もない。不服玉はこうして処分される。




 飯を食っていると、妻の頭が変形したことに気付いた。テレビに顔を固定したまま、横目で様子を窺う。盛り上がる髪の毛の下から、球形の煙が覗く。不服玉を分泌しているのだ。いつものことだが、言葉にできない不満がある訳だ。


 これもいつものことだが、一体自分のどこが悪いのか、夫には皆目見当がつかない。


 妻を刺激しないよう、最前の姿勢を保ちつつ、必死で考えを巡らせる。どう考えても理解できない。俺が何か悪いことをしたか? 飯を食って一家団欒までしているじゃないか。


 煙は、どんどん膨らみ始めた。間違いない。不服玉だ。夫は煙の中にスパークのきらめきを見出し、焦りを覚えた。


 不服玉の回収日はいつだったか。確か、二、三日前に出したばかりなのに、家の不服玉置き場は半分方埋まっている。政府は処理能力の限界を理由に、各家庭から排出される不服玉の総量を規制した。同時に、不服玉の違法処理を禁じた。矛盾も甚だしい。


 「あなた」


 夫は精一杯素知らぬ顔をして妻を見た。食卓の上に、皿と混じって不服玉が落ちていた。どれも重い灰色の渦を巻き、火花が明滅している。こんなに不服玉を出しておきながら、妻の表情はいまだ不機嫌なままだ。どれだけ不満を溜め込んでいるのだ。


 「なんだい」


 冷たく聞こえないよう、しかし、あまりにも空々しくなり過ぎないよう、絶妙のバランスを配合し、声音に反映させる。気分は地雷原に踏み込む兵士だ。最後まで平和への希望を捨ててはならない。


 「どうなの?」


 妻の声音は平静だったが、言葉が夫に撃ちかかった。希望が急速に萎んでいく。不服玉の火花にも劣らぬ勢いで、頭をフル回転させる。


 妻は話をしていた。他愛もない話だ。いやいや、妻の話はよく飛躍する。飛躍どころか、銀河系外のブラックホールまでワープするほど関連がない。


 とにかく、夫に意見を求めるくらいだから、多少は重要な話だった筈だ。

 たとえ、今日着た服の善し悪しを聞かれただけにせよ。


 そういえば、妻はしばしば髪型の仕上がり具合を尋ねる。妻は美容室へ行ったのだろうか。毎日手入れしているから見分けがつかない。少しぐらい髪型を変えたって、中身は同じ妻だし、いつも似合っているからわかる訳ない。よほど突拍子もない髪型ならともかく。


 過去の事例を検討すると、答えはいいか悪いかのどちらかだ。余計なことを言うと、かえって的を外す。妻が決めたことは常に正しい。そういうことになっている。


 「うん。いいんじゃないかな」


 ぶおっ。妻の髪が急速に盛り上がり、赤熱したマグマのような不服玉が現れた。作戦失敗。地雷を踏んでしまった。何を間違えたのか。希望を持て。まだ取り返しはつく。だが余計な口は利けない。


 「あら。いいのね」


 妻は平静を保っている。これは不服玉のお陰だろう。ヒステリーを起こされるよりはまし。話し合いの余地がある。話を聞いてくれさえすれば、平和が維持できる。この言い様だと、途中を飛ばし過ぎたとはいえ、最終目的地は正しかったようだ。僅かに暗雲が見える気もするが、この際多少の犠牲はやむを得ない。失地は折りをみて取り返そう。


 「もちろんだとも」


 夫は不自然でない程度に寛容な笑みを浮かべ、鷹揚に頷いた。体内では、脈拍が増えている。緊張で手が重みに耐えられなくなり、さりげなく茶碗を下ろした。


 「わかりました」


 妻の頭上で揺れていた赤っぽい不服玉が、妻の前に落ちた。スローモーション再生の映像を見ているようだった。落ちる不服玉を妻の目が追い、伸びた手がそれを掴んだ。


 「あ。わ。やめろっ」


 手が不服玉を握り締める。不服玉は指のすき間からはみだしながら抵抗し、耐えかねて弾けた。

 暴発。平和は破られた。




 「不服玉破裂。夫婦重体」


 朝食の皿を並べる間に、夫が広げた新聞の見出しが目に留まった。準備が整った気配を察し、新聞が折り畳まれる。夫の視線が妻に注がれた。


 「破裂事件、気になる?」

 「そう、ね。一度ニュースになると、続くでしょう?」


 妻も席についた。椅子は四脚あり、半分だけ埋まっている。二人は揃って食事に手をつけた。暫くは食器の音だけがする。夫が空席に目を落とし、妻に視線を移した。


 「まだ、眠っているのか」

 「ええ。昨夜も遅くまで起きていたみたい」


 夫婦が心配するのは、中学生の娘である。

 数ヶ月前から、見たこともないような色合いの不服玉を出すようになった。しかも彼女は、それを自分の部屋に隠して溜め込んでいる。妻が布団を干そうとして、偶然気付いた。他人が簡単に割ることはできない物だが、血を分けた娘で、不安定な年頃でもある。誤って割れたらと想像するだにぞっとする。

 妻は母親として、割って中身を確かめたい気持ちもあった。夫に打ち明けると、理解は示しつつも、やはり反対された。


 「危険すぎる。もし大怪我を負ったら、あの子の心はもっと傷つく」


 妥協案として、一つ持ち出し、専門家に診てもらうことにした。不服玉の専門家にも、様々な分野があり、普通の人には違いがよくわからない。


 夫婦は思春期の子どもを主に扱う心理カウンセラーを選んだ。彼は、極彩色でありながら、全てがくすんだ色合いであるために、膿みや反吐の集合体と見紛う不服玉を、好奇の入り交じった表情で観察した。


 「娘さんの、学校の成績は、かなり上位なのでしょうね」

 「ええ。まあ」


 妻は面映い気持ちで曖昧に返した。異変が出た今期の成績はまだわからないが、入学以来、娘の成績は常に上位にあった。ネットに公開された年齢より若く見えるカウンセラーは、にこりとした。


 「心配ありません。大人になる過程で、よくあることです。なまじ勉強がよくできたりすると、子どものままの部分と大人の部分、急激に成長しようとする部分のバランスが悪くなり、苦しい思いも深くなるのです。端で見るだけでは辛いでしょうが、健全な大人への試練です。どうか辛抱して見届けてください」


 「はい」


 「心配でしたら、他の不服玉もお持ちになってください。拝見しますよ」


 彼は妻の頭上を見ながら言った。妻は慌てて頭を押さえたが、何の感触もなかった。


 「別の医者を探そうか?」


 夫が妻の目を覗き込んでいた。皿はすっかり空だった。


 「そうね。探すだけ探してみましょう」


 妻は急いで自分の朝食を平らげた。




 車通りの少ない道端で、数人の女性が立ち話をしている。同じぐらいの数の幼児が、辺りを駆け回り、じゃれ合っている。双方ともに小洒落た格好で、服装の趣味で母子の組み合わせを見出すのは容易な仕事だ。


 「ちょっと。新聞見た? 不服玉で重傷だって」

 「見た見た」

 「奥さんの不服玉が破裂したんだっけ」

 「そういうのって、女の人が多いよね」

 「そうそう。ナイフとか振り回すのは、男の方が多いよね」

 「多い多い」


 道の反対側を、一人の女性が通り過ぎた。頭を下げているつもりなのか、こちらへ顔を斜めに向け、前のめり加減に、首をかくかく縦に振りながら足早に遠ざかる。立ち話をしていた女性のうち、一人が彼女に目を向けると、残りも一斉に口を噤んで彼女を見た。女性はますます足を速めて立ち去った。


 「それでさあ。さっきの話、芸能ニュースで見たんだけど」


 立ち話の女性たちは、中断された話題に戻った。すると、話を聞く一人の髪が、異様に盛り上がり出した。残る女性たちの目が電撃のように交差する。口は同じ話題を喋り続けているが、誰もが終息に向け話をまとめるべく努力を始めた。急ぐ間にも、膨張は続く。


 「そういえば、さっき通った人って」


 やや見切り発車で、一人が新たな話題を振り出した。


 「ご近所さんだよね。あんまり見かけないけど」


 別の女性が素早く応じる。頭をいびつにした女性の目が光った。


 「あの人、全然挨拶しないよねえ」

 「人に会うの、避けてるみたいよ」

 「子どもでもいたら、どんな人か少しはわかるんだけど」

 「へええ。あそこ、子どもいないんだ。もう結構歳が行っているよねえ」


 女性の髪が、膨張を止めた。他の女性たちがまた、電光石火の視線を交わす。


 「旦那さんの帰りも遅いみたい。出張も多いし」

 「そーれは、大変だわ」

 「うちなんか、留守の方が気楽かも」

 「そうよね。子どもがいれば、充分よねえ」


 笑いを漏らすと、女性の頭が萎み始めた。残りの女性たちは、賛意を示しながら、殊更に笑い声を上げた。母親たちに共鳴したのか、子どもたちも、ひと際高い歓声を上げた。

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