戦闘狂勇者が帰還した
ある国の辺境。領主の一族と平民との距離が非常に近い場所に、勇者が現れたと王都の者がやってきて言った。
指名された少年は、現代でいう戦闘狂で、いつか最強であると名高いご令嬢と勝負をすることを夢にしていた。少年は知らせを耳に入れると、少し待ってくださいませんかと、非常に丁寧に王都の者に言い残し、領主の屋敷に乗り込んでいった。
幼馴染であり、親しき仲のご令嬢に、
「魔王とかいうやつを倒す旅に出てくるから、その途中で剣の腕を上げて、倒し終わったらすぐこっちに戻ってくるから、君も特訓を積んで、強くなってほしい!」
「私、魔物としか戦えませんわ」
「だから特訓してほしいんだ! それで二人とも強くなったら、決闘しよう!」
「決闘ではなくても、ただの模擬戦でいいでしょう。というかそれよりも、貴方は勇者としての役目をきちんとなさいな」
「じゃ! 何年後か分からないけど、まあとにかくまた後でっ!」
冷静に淡々と相手をする令嬢の話を無視し、身勝手な約束を置いて、勇者は屋敷を去っていった。
令嬢は、同い年の十歳でなぜそこまで戦いにこだわるのかとあきれ、世界を恐怖に陥れ、魔物の王として世界中に魔物を配置したとされる魔王よりも私は強いのかと、なんとなく誇りに思った。
腰まで伸びた金髪と、美しい赤い瞳、確かに魔王らしい、と令嬢は案外ノリノリになりながら、約束を果たしてやろうと、人間との戦い方を学ぶため、強いと噂の人間に片っ端から勝負を挑むのだった。
――それが、五年前の話。
辺境であるとしても、貴族である。多少の情報は令嬢の元に入ってくる。あの、一見まともな戦闘狂が、これまた一見まともな仲間とうまくやっていることらしいことは知っていた。仲間と会ったことはないが、あの勇者と仲良くしているのだ、まともなはずがない。
勇者と会えないことを少し寂しく思いながら、しかしまあ幸せならばよかったと安堵している――だけなはずがない。
令嬢は、元々最強令嬢と謳われるほど、魔物相手に対しチート級な強さを誇っていた。周りからすれば、むしろどうして神、あるいは王都の使いが、令嬢の方を勇者としなかったのかと疑問を持つほど、その戦いの才能は素晴らしいものだった。
そんな令嬢が、五年の月日で、人間相手への訓練を積み、弱いはずがない。真の意味で最強令嬢と誰もが認めるほどの強さを得た。
あとは勇者と楽しい模擬戦を行うだけだ。
そろそろ魔王を倒してもおかしくはない。
しかし、勇者が来ない。
令嬢は、まさか、あのマイペースな戦闘狂は、約束を忘れているのではないだろうか、と不安になっていた。振り回されるが、一緒にいると楽しい友人、いや幼馴染と会えない寂しさも、幸せそうな、好き勝手やっているらしいぶっ飛んだ話を聞いて安堵する気持ちも、勿論ある。
だがしかし、怒りや不安が大きいのである。
こちとら五年、急に結ばれた約束を守ってやっているのよ。忘れたとは言わせてたまるか、と。
習慣となった家の者との戦闘も楽々勝てるようになってしまってつまらない。
勇者は、五年前の素振りを見たことがあるが、少なくとも家の者よりは強いだろうと期待している。
令嬢が訓練場を出て廊下を歩いていると、突然、衝撃がきた。剣が首を切り飛ばそうとしている。咄嗟に後ずさってよけ、隠していたナイフを持つ。躊躇なく、剣の飛んできた左後方へ刃先を向け、身もそちらに向ける。空中へ飛んで逃げようとする彼の首筋にナイフを当てる。壁と令嬢に挟まれ、逃げ道をなくした彼を、令嬢は赤い瞳でじろりとにらんだ。
「勇者が奇襲とは、世も末ね?」
「まさか避けられるとは思ってなった! 久しぶりっ! ……ご令嬢様?」
歓喜の表情を令嬢に向け、勇者は剣を構えなおした。
「……敬語が随分と退化されてますわ、勇者殿」
「いやいや、僕の中では最上級の敬語なんだよ」
「相変わらず自己中心的な考え方ね。マイペースと破天荒ぶりは貴族の舞踏会で噂となってましたわ」
令嬢はナイフを下ろすと、振り返って、いつの間にか現れていたメイドに言った。
「この方を追い出してくださいな」
「えっ」
驚いたように令嬢の前に回り、勇者は口をへの字に曲げた。
「約束は? ねえ約束は? 決闘は? 模擬戦は? 僕は守ったよ? この僕がだよ? すごいでしょ? 君は? ねえ君は? 僕は今日の為に命がけの戦闘もこなしたんだよ?! 割に合わない仕事だってやったし、仲間に文句言われながら寄り道して剣の腕磨いたりしたんだよ? なのに君は? ひどい! 人でなし!」
言い募る勇者に、令嬢は淡々と、もしくはあきれて、ため息交じりに口を開いた。
「貴方は我が屋敷を廃墟にするおつもり? 私と貴方が模擬戦をやって、まず被害が行くのはここの訓練場ですわ。分かったらとっとと屋敷を出なさい」
令嬢の言葉に、勇者はぱっと目を輝かせた。
「約束、守ってくれたんだね! 僕はとてもうれしいよ!」
跳ねるように、勇者は歩き出した。令嬢は勇者に並んで歩きながら、
「……貴方、ほかの貴族にもそんな調子だと、いつか処されるわよ」
「いやー、多分、そうなったとき処されるのは僕に盾突いた貴族の方だと思うよ?」
そこで令嬢は、隣の勇者がこの国の王女ととても親しくしていたことを思い出した。これもまた、貴族のパーティーやお茶会で得た情報だ。その態度から察するに、王女がこの少年の本性を知らず、恋心を抱いていることは明白だった。令嬢は一度、王女と取り巻きの会話を盗み聞きした。
令嬢は王女を哀れに思いながら、隣の勇者を見て、少し身長を越されたな、と悔しい思いをした。もはや自分でも何を目指しているのかわからなくなっているが、身長が高いと、やはり戦いの上では有利だ。その他にも、男性という性の方が戦いにおいて有利なのである。
身体強化の魔法を使わせてもらうことにしようと心に決め、令嬢は勇者に答えた。
「そういえば、貴方のお仲間について興味があるの。聞かせてくださいます?」
「嫉妬……?」
「貴方は友人、せめて幼馴染に収めておいた方が、一緒に居て愉快よ。それから、私は別に心を奪われている殿方がいますわ」
「別に恋仲じゃなくても嫉妬はすると思うな。たとえば、それ以外にロクなお友達がいなくて、唯一の友達に沢山の友達が出来たら、なんでそんなに君には友達がいるんだって思わない? 僕以外に友達がいない最強令嬢さん」
「……」
令嬢は思わず舌を噛みそうになった。勇者ほどではないが、令嬢も噂になっている。主に不気味という方向で。
元々、女性なのに魔法使いではなく騎士に近く、無表情で他人と関わろうとしない、それに加え基本的に絶対零度の視線をしているので、見た目は貴族らしくお上品ではあるが、辺境の強い怖いやつ、という印象が定着しているのだ。人間を相手にした場合の強さがどんどん上がっていくのを、貴族のご令嬢たちが恐れないはずがない。大会などで優勝し注目を浴びる機会だってある。噂が広がるのも納得だった。
努めて冷静に、令嬢は勇者をにらんだ。
「あら、誤魔化しばかりでお仲間方について語って下さらないのね。もしかして、語ることがないのかしら。よく考えれば、貴方と仲良くなる方なんていらっしゃるはずありませんわ。親しいのは上辺だけなのではなくって?」
「よく噛まずに言えたね! 僕はできないや。ところでさ、なんでそんなけんか腰なの? 君。僕なんか言った?」
「無自覚煽りがお上手なこと」
「僕事実しか言ってないじゃん! これだから僕以外の人間は困る、勝手に事実にキレちゃって」
「まあ。貴方の自分は正しいという自信は、一体どこから迷い込んできたのでしょうね? それとも、自信専用の借金がどこかにありますの?」
「まさか。僕は僕を自信過剰だと思ったことはないよ。必要な分、あるべき分だけ持っているだけ。自信がないと、心配されちゃって魔物狩りもできないし、勝負を挑んでも受けてくれないんだよ、皆。君もある程度の自信は持っておいた方がいい」
「私は別に自信がないほど努力していないわけじゃありませんわ。さて、着いたわよ」
目の前にそびえたつ建物に、勇者は聖人のような暖かい純粋な笑みを浮かべた。
「ねえねえ、魔法禁止でいい?」
「男女の差をなくすために身体強化をしてもいいかしら。私、訓練の一環で身体能力に適応する能力は完璧よ」
「それはいいね! 努力ではどうにもならないことへの調整は構わないよ! むしろ、君が強い方が、僕はうれしいっ!」
円形の闘技場に足を踏み入れ、勇者は風のように奥の方へと移動した。
令嬢にはそれが瞬間移動に見えたが、風によって髪が揺れたのでただ目がとらえるよりも早く動いただけらしい。魔法もよく使えるようになっていると、令嬢は感心した。
令嬢が金に物を言わせ貸し切りにしたため、闘技場はしんと静まり返っている。
ついてきていた優秀な護衛から剣を受け取り(勿論令嬢本人のものだ)、構えた。
令嬢はスカートの中にショートパンツをはいているし、靴だって特別動きづらいものではない。勇者は鎧をまとってはいなかったし、おおよそ平等といっていいはずだ。
令嬢は身体能力強化の魔法をかけた。体がいつもより軽くなる。男性と女性の体の違いとは多少性質が異なるだろうが、まあ大体同じようなものだろうと令嬢は思考を切った。これで力はあまり変わらない。
「少しの傷なら続行。即死でなければ回復魔法が使えるから、互いにあまり気にしないこと。……あれ、君使えるよね?」
勇者が叫ぶと、令嬢は大きく頷いた。
「回復魔法を使った場合、使った瞬間負けですわ。ただし、無理は絶対にしないこと」
「うん! ……」
空気が張り詰め始める。勇者、そして令嬢の好む空気に闘技場が塗り替わっていく。先ほどまでの穏やかな空気は消え去っている。
「いざ尋常に」
「当然だね!」
二人の顔には笑みが浮かんでいる。五年前から互いに約束を楽しみにしていたのだ。そもそも、約束をあまり守らない勇者が守っている時点でそれはとっくに知れている。令嬢の方も、わざわざ結ばれた身勝手な約束を果たそうと五年間月日を費やしたのだ。
呼吸を整え、二人は同時に言った。
「「勝負」」
令嬢は下から振り上げるように剣を持って走り、勇者は逆に振り下ろすように剣を持って駆けていく。
彼らの力の均衡さを示すように、ちょうど二人は真ん中ですれ違った。
刃物と刃物とがぶつかり合う独特の音に、相手がその一撃で倒れないことに、二人は笑みを深くする。
「すごいですわ」
「それはこっちのっ」
勇者の声が途切れ、令嬢は足を振り上げた。視認した途端即座に後ろに下がって、勇者は剣を突き出した。それに令嬢は足を戻す時勢いを利用し剣を叩きつける。
「すごい動きするねっ、君!」
「私基本的に独学ですの。元はただの魔物狩りの為の技術だもの」
素早く、剣をしまいながら令嬢の後ろに回り込み、剣を横に振る。金属音が響く。身をひねって受けた令嬢は、左の靴を勇者ののど元へと振り上げた。
「仕込み靴っ」
引きつり笑いをしながら、令嬢の右足の方へと避ける。剣はまだ音を立てていた。
「これくらいないと安心して辺境を出歩けませんわ」
「領地の自虐は傷つくなあ、お嬢様」
「自虐はしてないわよ。ところで、雑談している余裕はっ」
勇者は左手でナイフを首筋に迫らせていく。
――右足の靴は間に合わない。右手は剣を持っている。令嬢は右手に力を込め、左足を中心として時計回りに回った。
勇者は、このままだと右足の靴にやられることを悟り、右足を前に持ってきて態勢を整えた。
まっすぐに伸びた右足は、移動の早かった勇者をとらえきれなかった。
「動きが早いこと。私でもあんなに動けませんわ」
「君は踊るように動くのに?」
「ええ。回る動きは得意ですが、直線的な動きは貴方の勝ちよ」
「どーもありがとう!」
再び、今度は手のふさがっている右に首筋にナイフをやる勇者に、令嬢は後ろへ下がり、右足でナイフを飛ばそうとする。失敗。その勢いに手の負荷を気にした勇者がその前にナイフを放り投げたからだ。勇者はナイフの方向へとじりじり下がっていき、回ろうとした令嬢に蹴りを返した。令嬢の邪魔は意味をなさず、勇者の左足がナイフに触れた。勇者は思い切りそれを滑らせる。拾うのではないのかと令嬢は目を見開きながら左によけた。剣をはじく。
「わお」
「確かに魔物は小さいものを気にしない個体が多いけれど……それを人間に使うのね」
「床を這うナイフってなんか面白いなって思って必死に習得したんだよ」
「そう……」
勇者は直線的に走って右足のナイフを剣で斬った。靴自体にはなにも傷がない。令嬢は容赦なく首を斬りにかかり、左に動かれて左足のナイフも斬られた。その代わりとばかりに、やはり首を斬り上げようとするが、後ろに動かれ失敗。しかし頬に傷をつけることができた。これが今日初めての血。
「あら、私はまだ無傷ですわ」
「これから巻き返せるって。頬がかすったところで大したケガじゃないよ。それより、得物を失った方がきついんじゃない?」
「貴方もナイフ一本失っているわよ」
「いや、まだ存在してるから」
そこで会話が途切れた。
数時間経っても、二人はまだ模擬戦を続けていた。二人の体力はもはや底なしの域だ。
「ところで、話は変わりますが、このままでは永遠決着がつかないこと、貴方も分かっているでしょう?」
「それも魅力的じゃないか」
「私もう少しで門限なのよ。お父様、心配されると思いますし、なにより私、ルールは守りますの」
「あー……」
「貴方が、もっと前もって教えてくだされば、何時間でもできますわよ? 楽しいもの」
「あー…………!」
「なので、次の一撃に魂込めましょう」
「……君、それやりたかっただけじゃ」
「込めましょうッ!」
「あー、うん」
互いに試合開始前の地点まで戻り、突きの姿勢に入る。
「狙うはッ!」
「しんぞー!」
「合図どうしましょう」
「テンションの上がり下がり激しいね! 合図はよーいどんでいいんじゃないの? ダメ?」
「よーい」
「わわ、待ってよ」
「「ドン!」」
同時に走り出し、心臓を一突きしようと集中する。
見事二人は心臓を突き刺すことができた。血が衣服に滲み始める。思わず座り込み、顔を青くした二人は、同時に叫んだ。
「「回復魔法!!」」
「「エレナ(ルイ)死んでない??」」
互いに互いの剣を引き抜いて、今度は自分に回復魔法をかける。
勇者――ルイは令嬢を、令嬢――エレナは勇者を、それぞれ癒したのだ。
「やっぱりこうなるのですわ。首は怖いし、脳は論外だから心臓を刺したけれど、実力が互角だと、引き分け、つまり互いに心臓を刺されるしかないのよ」
「でも、すっごい楽しかった! また明日やろうね! ぜっったいにやろうね! 約束っ!」
「いいわよ。でも心臓を刺すのは、下手をすると即死だからやめた方がいいですわ」
「ああ、それはもうやめよう。これで死んだら洒落にもならない」
「五年の月日がまるで紙のようにあっさりしておりますわ」
地面をにらんで吐き捨てて、令嬢は立ち上がった。
「僕が帰ってきたから、死なない限り一生ずっと戦えるよ! それで楽しければ、きっと五年に価値はあった」
勇者も立ち上がり、ふと令嬢が聞いた。
「勇者として故郷を離れるのって、貴方にとってどうだったの?」
「んー?」
令嬢と隣り合って歩き、しばし考えた後、勇者は言った。
「最初は、帰れば君と戦えるし、沢山戦えるって思って、ずっとワクワクしていたんだ、でも」
「でも?」
「だんだん、怖くなったんだ。ほら、僕って、お世辞にもこう、勇者って感じの性格じゃないじゃん。人を守るためとか、そんなの興味ないし、それより戦いたいって気持ちの方がずっと強かった。そもそも僕、当時十歳の子供だよ? 僕の性格を理解してくれてる母さんも父さんも、皮肉りながら振り回されてくれる幼馴染もいないし、楽しくなかった。強い魔物は魔王城にいたけど、このくらいなら村で魔物を狩ってる方が楽しいやって」
「都会の方は結界があって魔物が入ってこれなくて安全だから?」
「そう! そうなの! てっきり道のど真ん中に魔物がうろついてるんだと思ってたのに、全く魔物がいないの!」
「貴方、都会を何だと思ってたのよ……」
令嬢はあきれた目で勇者を見る。勇者はむっとして、
「うるさいなあ。お貴族様とは違って、僕はただの村人。都会なんて未知のものだよ」
「それもそうね。……村人として、都会のこととか知りたいと思う?」
「僕はもうこの五年で散々思い知ってる。で、話戻すけど、怖くなったら次に、むかついてくるのね」
「貴方でなくても腹が立つでしょうね。誘拐も同然ですわ。あと、貴方がいなくなって一気に戦闘がつまらなくなったのよ。折角の趣味がなくなるから、神様は私を勇者として指名すべきだったのですわ」
令嬢は五年前のことを思い出した。兵士、王都の使い……断れば、を考えると、この村の為にも、勇者と呼ばれた少年は行くしかなかった。それに今日までの五年、とてもじゃないが楽しかったとは言えない。
「でも世界の為とか言われたら流石に断れないじゃん」
「私でも断れませんわ」
「それで命かけて戦ってもロクな報酬もなかったし、そのくせ失敗したら冷めた目で見られたけど、いい友達ができたし、なにより戦えたし! 強くなれたし、結果的にはばんばんざーい! って感じかな」
言いながら万歳をして見せて、すっかり暗くなった土を踏んだ。
「そんなものなのね」
「そんなもの、って……まあいいけど。君と毎日戦えて、実力も上がって、ついでにそこそこ強かった魔王と戦うこともできて、プラスだったから」
「…………あ。領主の娘として、言い忘れていたことがあったわね」
令嬢は立ち止まった。不思議そうに首をかしげる勇者に、少しばかり微笑んで言った。
「我が領地に、おかえりなさい」