決意表明を兼ねて…
文章の中に固有名詞が推測できるような文章もありますが、貶しているわけではなく、むしろ尊敬しています。
初めて物語を書いたのは小学生の時。推理ものだった。
とはいえ、ただの普通の小学生。
どこかのアニメの主人公たちみたいに毎日のように殺人事件や誘拐事件に出くわすこともない。
その頃ハマっていた学園推理ドラマのパクりみたいな物語だった。
ただの自己満足。
誰かに見せることも読んでもらうこともなくて、短い物語を書くだけで楽しんでいた。
次に書いたのは自分が主人公になった話。
クラスや学校で事件が起こって友だちと共に解決していくみたいな……よくあるパターンだ。
中学生の頃、夢小説をメインに書いている同級生と出会った。
100円かそこらの薄い可愛らしいノートに書かれた、ある3人組ユニットの夢小説。
読んで、驚いた。
いや、自分との差に絶望した。
その頃、私も懲りずに物語を書いていた。
そして、彼女とその周りの友人たちで回し読みするのが定番だった。
ただ、私の作る物語より、明らかに彼女の描く世界の方が人気だった。
私は書ける側の人間ではないのかもしれない。
それが最初の挫折。
作文で何度も賞を取ったことがある。
国語の成績だってオール5が何度もあった。
だけど、それだけで物語が書けるわけじゃない。
私は書くことをやめて、読む方に集中した。
1年に200冊も300冊も読むし、時間があれば1日で複数冊読み切ることもあって、いつの間にか母から「購入禁止令」が出された。
仕方なく、図書館に毎日通った。
高校生になって、図書館に通いつつ、また物語をつくりはじめた。
当時、ケータイ小説が流行っていた。
私はそちらでは書かず、某掲示板の小説投稿サイトの様なところで書いていた。
ケータイ小説は描写や書き方に納得がいかず、一緒にされたくないとさえ思っていた。上から目線も良いところだ。
サイトでは2本、投稿した。
そこそこ固定の読者もいてくれたし、感想ももらえた。やはり、感想をもらえると嬉しい。
そこからしばらく書けなかった。というか書かなかった。
感想をもらえたことで満足してしまって、一種のやりきった感さえあったからだ。
あるとき、大好きなアイドルグループのメンバーが小説家としてデビューした。
もちろん、即購入した。
彼は「事務所の名前があるから本が出せるのだ」と言っていた。これまた上から目線でーーいや、ファンとしての謙遜もあったはずで、そうだと思った。
元々芸能人だから、大きな事務所に所属しているから、話題性があるから……。そう思って読み進めた。
衝撃は2作目だった。
この人は実力だ。書ける側の人だから書いているんだ……。デビュー作より2作目の方が衝撃だった。
そして、2度目の挫折をした。
プロと比べるなんておこがましいけど、自分が推すアイドルが小説家としてデビューし、その作品に衝撃を受けることは、古くからの知り合いが小説家として賞をもらうことに匹敵する衝撃だった。
ちなみに5作目で再度衝撃を受け、話題の6作目はまだ読んでいない。
私は書ける人間ではないかもしれない。
それでも、書きたいと思ってしまうのはなぜだろう。
2018年、本格的に小説を書き始めた。
短編を3編。全て新人賞に応募した。
うち、2編は「あともう一歩の作品」として名前が載った。
長編を書き上げた2019年1月。
自分の妊娠が判明し、パソコンの画面もスマホも見ることができなくなった。つわりだ。
スクロールも一点を集中して見ることもできない。
「仕方ない、つわりが治まったらまたやろう……」
しかし、その年の新人賞の締め切りを過ぎてもつわりは終わらなかった。
「仕方ない、安定期に入ったら……」
安定期に入った直後、胎児に危険があるとのことで緊急入院。安定期なんて嘘だった。
「今は子どもが最優先。もし、無事に生まれてくれたら……そのときやればいい」
確かに無事に生まれた。
しかし、授乳、寝かしつけ、授乳、寝かしつけ、授乳そして寝落ちの毎日。
書く時間なんて無かったし、忘れていた。
ただ、どこかに引っ掛かりがあった。
「せっかく書き上げた小説、応募してみたい」
行動に移せたのは2022年。
子どもが保育園にいるうちに印刷等々済ませて、投函。
そして、思った。
「書きたい」
おそらく、私は書ける人間ではないのだと思う。
でも、書きたい人間なのだ。
たとえ、新人賞に応募して1次にすら残れなくても、落とされたとしても。永遠に出版出来なくても。
書きたいから書く。それだけ。
でも、自分が書いた小説が本になるのは見てみたい。
いずれは自費で製本してみようか。
それがいまの目標。
書ける人はごまんといる。
書けない人も多くいるだろう。
そして、書きたい人も……私はその中のひとりだ。