帰り道
和水さんの着替えを生で見てしまった僕は、しばらくは立つことが出来なかった。
当然だ。だって僕は童貞なのだから。
男として当然の反応が起きてしまったから仕方ない。けれど着替え終わった和水さんが、ニヤニヤ笑いながら待ってくれていたのは、かなり恥ずかしかった。
そんなこんなで今僕は、和水さんと一緒に帰宅している途中。
着替えた和水さんは、いくら僕が遠慮しても頷いてくれず、頑なに家まで送ると言い張っていた。結局先に折れたのは僕の方で、今こうして和水さんに手を引かれて歩いているというわけ。
僕は校医の先生から進められて早退するからいいものの、和水さんは付き添いとは言え、完全なサボりだ。
それなのに堂々としている和水さんは、度胸があるってレベルじゃない。むしろ僕の方が、先生に怒られるんじゃないかとビクビクしていたくらいだ。
ただ、そんな僕の心配は杞憂で済んだ。授業中にこっそりと抜け出す形になったおかげで、誰からも引き留められることなく、僕たちは学校を出ることができたから。
学校から離れて、ようやく少しだけ安心する。そうなると今度は、繋がれたままの手が気になってきて、さっきまでとは違う意味でドキドキしてきた。
和水さんの手はスベスベしていて、それでいて柔らかくて、少し触れているだけでも、僕は緊張で手汗が出ていないか気が気じゃない。
「あの、手は、何で」
僕が言えたのはそれだけ。
下手な事を言って、せっかく繋いでくれていた手を離されたくない。けれど繋がれたままだと自分の手汗が気になる。つまりはどっちつかずだ。
「急に倒れたら大変でしょ」
ドキドキしまくっていた僕とは違って、和水さんの返答はいたって現実的なものだった。
校医の先生から言われたことを思い出す。頭をぶつけてしまった時は、後からフラフラして倒れてしまうケースもあるらしい。大したことないと油断していて倒れ、また頭をぶつけてしまう。なんてこともある得るのだ。
和水さんは、ずっとそれを心配して手を繋いでいてくれたようだ。
僕は手を繋いだだけで、一人ドキドキしていた自分が恥ずかしくなった。
でもどうしても、意識してしまうのだから自分でもどうしようもない。
和水さんに、授業をサボらせてしまっていることも申し訳ないと思うけれど、こうして女の子と二人きりの下校。しかも手を繋いでだなんて、僕の人生では、一生かかっても遭遇しないシチュエーションだと思っていたから、どうしても興奮を隠せない。
悪いとは思いつつも、僕は和水さんと二人きりの下校を心の中では楽しんでいた。
「で、近いって言ってもどれくらいなの?」
「えっと、ホント近いです。歩いて10分ちょっとくらいですね」
ここで近いと言っているのは、もちろん僕の家のことだ。五階建ての普通のマンションの一室が、僕が今住んでいる家。高校までは徒歩10分圏内という驚異的な立地の良さで、僕は今まで寝坊はしても、遅刻は一度もしたことがない。
朝は本当にギリギリまで寝ていられるし、かなり便利で家の場所はすごく気に入っている。なんなら僕の家をたまり場にして遊ぶ、なんてことも普通にできると思う……まぁ一緒に遊んでくれる友達を作らないことには無理なのだけど。
「へぇ、ホントに近いんだ」
「はい、結構便利ですよ」
「じゃあ高校選んだのは、家から近いから?」
「あはは、まぁ、ぶっちゃけるとそういう理由もありますね」
「むしろそれ以外にも理由があるわけ?」
あるにはある。けれどあまり明るい話ではないし、自分語りなんて恥ずかしくて誰かに言う気にもなれない。
ただ和水さんは興味津々で、僕の話の続きを待ってくれているみたいだった。
そんなにじっと見つめられたら、むしろ話さなければいけない気がして、僕は躊躇いがちに口を開いた。
「えっと、今のマンションには三年前に引っ越して来たんですけど……」
それから僕は、自分の過去を少しだけ和水さんに語った。
元々はこの辺りで生まれ、ここで過ごしていたこと。
親は転勤が多くて、小さい頃に引っ越したこと。
それからも親の転勤の関係で何、度も引っ越しを繰り返し、三年前にまたここに戻ってきたこと。
だからこの辺りには愛着というか、懐かしい想いがあったこと。
僕が長々と話している間、和水さんは静かに話を聞いてくれていた。
自分語りを誰かに聞かせるなんて恥ずかしいし、僕なんかの過去を気にする人なんていないと思っていたけれど、和水さんにとってはそうでもないのかもしれない。
「じゃあ地元に帰ってきたみたいな感じ?」
「そう、ですね。物心ついた頃いたのがここなので、僕の中で地元って言ったらこの辺です」
「いっぱい転校して、いろんなとこに住んで、それでもここが一番好きってこと?」
「はい、改めて考えてみてもやっぱりここが一番ですね」
「ふ~ん、でもそれが近い高校選ぶのとなんか関係あるの?」
「あぁ、それはですね……」
本当に話しにくいのはここからだ。一瞬躊躇するも、今更止めて和水さんが納得するとも思えない。
僕はあまり暗くならないように、明るい声になるよう意識して話すことにした。
僕は頻繁にやってくる転校のせいで、あまり仲のいい友達をつくることが出来なくなった。
そのせいで、今ではすっかりとこんな非モテ童貞に育ってしまったけれど、小さい頃はまだ少しましで、今よりは明るかったと思う。
新しい場所で頑張って友達を作っても、またすぐ引っ越しで離れ離れになる。
それが何度も続くと、別れる度に辛い想いをするし、自分のしていることが無意味に思えてきて、気が付いたら僕は今みたいな内気な日陰者になっていた。
それからはどこに行っても友達が出来なくなって、ボッチの僕が見事に出来上がったというわけだ。
ただ、そんな僕にも昔ここに住んでいた時は仲のいい友達がいたのだ。いつも一緒に遊んでいて何をするのも一緒。向こうの家には行ったことがないけれど、友達はよく僕の家に来て入り浸っていたくらいだ。
僕の記憶では、ここでのだいたいの想い出がその親友との出来事で占められている。
たぶん僕の人生の中で考えても、間違いなく一番の親友で、その親友との想い出があったからこそ、僕は近くの高校を選んだのだ。
「まぁ簡単に言うと、その昔の友達とまた会えるかもしれないと思って、一番近い高校を選んだわけです。別にその子が近い高校に通うかどうかも分からないんですけどね」
我ながら穴だらけの理屈だと思う。
その友達が今もずっとこの辺りに住んでいるかも分からないし、普通は自分のレベルにあった高校を選ぶはずだから、家から近いからといっても通っている確率は低いだろう。
もちろんそんなこと分かっているけれど、何も手がかりがない僕には、他に考えられることがなかった。
あの頃はまだ小さく、お互いにスマホも持っていなかった僕たちは、引っ越してそれっきり。高校でも残念ながらそれらしき人には今のところ会えていない。
「引っ越してから会えてないですし、連絡すら取れてないので、向こうは僕の事忘れてるかもですけどね」
「……そう」
「あは、あはは、まぁ高校を選んだのはその友達に会えるかもなぁっていうしょうもない理由ですね。はは……」
やっぱり自分語りなんてするものじゃないらしい。自分ではちょっといい話ふうに語ったつもりだったけれど、和水さんは興味がなくなったのか途中から僕とは反対を向いて景色を眺め始めてしまっていた。顔は見えないけれど、よっほど僕の過去は退屈だったらしい。
ちょっと喋りすぎて気持ち悪かったかなと僕が反省している間に、もう僕が住んでいるマンションも見えてきていた。




