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揺れる和水さんと流れる鼻血②


 一瞬視界が暗転した。次に目を開けると、上から体育の先生が僕を覗き込んでいるところだった。周りには守備についていたクラスメイトたちも集まって来てくれていた。


「意識あるか?」

「あ、全然あります」


一瞬自分の状況に混乱するも、すぐに揺れるオッパイに見惚れていてボールを顔面で受けたことを思い出した。最低すぎる理由に自分でも情けなくなる。


「それはよかったが、鼻血が酷いな」

「す、すみません」


反射的に手を鼻に当てると、指が血で真っ赤になった。和水さんの胸を見ながら鼻血が出そうだと思っていたけれど、違う原因で本当に鼻血を出してしまうとは……。


 僕は慌てて持っていたポケットティッシュを取り出して鼻にあてる。なんとかジャージは汚さずに済みそうだった。


「お、ティッシュ持ってるなんて用意がいいな」

「あはは、一応いつも持ってるので」

「しかし随分綺麗に入ったな。これは保健室行った方がいいかもな」

「そ、そうですね」


僕としても別に無理をしてまでやりたいほど、体育の授業が好きなわけでもない。ここは大人しく保健室に行って見てもらおうと思った。


「ぷふっ、ティッシュって、準備良すぎだろ。鼻血出す気満々かw」

「ちょっ、やめろって、これ以上笑わせんなよww」

「しっかしダセェな、泣きそうじゃん。女子も見てるのに最悪だろあれ」

「いやいや、逆にラッキーだろ。だってあいつのことなんて誰も見てないからw」

「あぁ~確かに~、言えてるなww」


離れたところにいる隣のクラスの連中が笑っているのが聞こえてくる。


 いつもなら、僕はこんなくだらないことは聞こえないふりをした。


 だってあんな感じで人を馬鹿にしてくるような低レベルの人たちと言い争っても、僕には何の得にもならないからだ。


 あの人たちとは違って僕はもう大人だから、ちょっと馬鹿にされたくらいで怒ったりなんてしない。笑って許してあげるくらい心が広い。


 今も別に怒ってはいない。


 ただ、誰も僕を見ていないという言葉には思うところがあった。


「和水さんは! 僕を見てくれてたぞ!!」


遠くで笑っている奴らに向かって、僕は堂々と宣言はしない! ……心の中でだけ叫ぶ。


「じゃあ保健室まで一人で行けるか?」

「……いえ、大丈夫です。このまま続けられます」


僕がそう返すと、体育の先生が驚いた顔をした。まぁ言った僕自身が驚いているから無理もない。


 僕はティッシュを丸めて鼻に詰め、血が流れてこないのを確認してから立ち上がった。


「保健室には行かなくても平気です」


いったい何の強がりなのか、僕自身にも分からない。


 馬鹿にされたり下に見られたりすることなんて僕にとっては日常茶飯事で、そんなことにはもう慣れたつもりだった。


 ただそれでも、今日だけはなんとなく反抗してみたくなった。


 僕は和水さんから見てもらえている。


 他の誰もが見てもらえない、あの和水さんから僕だけは見えてもらえている。


 そんなある種の優越感が、僕を少しだけ強気にさせてくれたのかもしれない。


 別に何か言い返すつもりはないし、体育で張り合うつもりもない。ただ、僕にはお前たちが知らないところもあると、それだけは示しておきたかった。


 決意を込めて先生に頷く。


「いや、保健室行きなよ」

「え? あれ、ダメですか?」

「だって倒れて頭打ったかもしれないじゃん」

「いえ、鼻血だけですから平気です」

「何でそんなに拒否するの? そんなに体育好きじゃなかったでしょ?」

「まぁ、そうなんですけど」


なんとか粘っていると、先生は打席にだけ立つことを認めてくれたけれど、守備からは追い出されてしまった。


 ベンチに戻りながら女子の方を見てみる。


 顔面にボールが当たるって結構な大事故だと思うのに、あまりこちらに注目している様子はなかった。そんな女性陣の中で、一人だけ僕を見てくれている人がいた。


 他でもない和水さんだ。


 なんともいえない微妙な顔でこちらを見ている和水さん。


 彼女が何を思って僕を見ているのかは分からない。


 もしかしたら隣のクラスの奴らと同じように僕を馬鹿にしているかもしれない。


 けど、僕は勝手にそうじゃないと思い込む。


 僕だけに優しい和水さんは、きっと心配して見てくれているとそう思い込む。


 本当のところは分からない。


 けれど実際に和水さんは僕を見てくれている。


 それだけでも、さっき僕を馬鹿にしてきた奴らをちょっと見返してやることができたような気がした。



 それからはベンチで横になってしばらく休んだ。


 点が入ったり、点を入れられたりしたけれど得には興味はない。僕は横になりながら女子の体育を、正確には和水さんがたまに走る姿を眺めて過ごした。


「お~い、打席だけどホントに大丈夫か?」


先生の声で身体を起こして返事をする。鼻血ももう止まってきているから何ともない。僕はバットを持って打席に走った。


「ふっ……ふふっ、鼻にティッシュ突っ込んだままとか、くっ」


隣のクラスの相手のピッチャーに笑われるけれど気にしない。僕は真顔でバットを構えた。


「ブフッ!?」


余計に笑われてしまった。


 ふざけているつもりはないのに、よっぽど情けない姿らしい。


 別に馬鹿にされたところで、普段は気にしない大人な僕だけど、今だけは目に物を見せてやろうと覚悟を決めた。


 せっかく和水さんが見てくれているかもしれない絶交のチャンス。ちょっとでもいいところを見せたかった。


 相変わらず僕が打席に立っても、女子のいる方からは何も聞こえてこない。


 注意されて少し大人しくはなっていたけれど、他の人が打席に立つと少なからず応援する声が聞こえていたのに、僕の場合は完璧に無音だ。


 相手のピッチャーが肩を震わせて笑いをこらえていた。


 バットを持つ手に力を込める。


 絶対に打つ。そう決意して相手を睨みつけた時だった――





「がんばれー! 打てるよ!」


――初めは幻聴かと思った。そうじゃないと気が付いたのは、笑っていた相手のピッチャーが女子の方を見て驚いていたからだ。


 気が付けば、男子のほとんどが女子の方を眺めている。


 僕もつられて女子の方に視線を向けた。


 和水さんが叫んでいるのが見えた。


 声だけでも誰か分かったけれど、実際にその姿を見るまでとても信じられなかったのだ。


 あの和水さんが、大声をだして僕を応援してくれている。


 男子はもちろん女子も驚いたように和水さんに注目していた。


 その状況がおかしくて、僕は自然と口角が上がっていた。


 だってみんなアホみたいに口を開けて和水さんに注目してるから、見ていてちょっと面白かったのだ。


 僕はなんだか今までに感じたことがない力が身体にみなぎっている気がした。


 これが誰かに応援してもらえる頼もしさなのかもしれない。


 バットを構えて得意げな顔でピッチャーを見返す。


 和水さんに応援してもらったのが相当羨ましかったらしく、相手は若干キレたような顔つきになった。


 打てる。絶対に打てる。


 そう思って疑わない。


 相手が力任せにボールを投げた。


 僕はしっかりとボールを見定めるために、瞬きすらせずボールを見続けた。


 近づいてくるボールの向こう側で、ピッチャーが『しまった!』とでも言うかのように慌てた顔をしているのが見えた。




「うぐっぅう!?」


たぶん力むあまりすっぽ抜けたのだろう。そうでなければよっぽど和水さんに応援してもらった僕が憎かったのか。


 なんとなくこっちに向かってくるなとは思ったけれど、ボールを見ることを意識するあまり、僕は顔面に向かってくるボールをそのまま顔で受け止めていた。


 顔にボールがめり込む感覚が分かる。


 この時間だけで二回目だ。


 僕はまた仰向けに倒れながら、はじけ飛ぶ鮮血を眺めることになった。

続きはまた明日投稿します。

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