作戦開始
和水さんのことをもっと知りたい。
そんな自分の気持ちを自覚してから、僕はすぐに行動を起こすことにした。
いつまでも受け身ではいられない。和水さんがどうして僕だけに優しくしてくれるのかが気になって仕方ないなら、僕は自分から動かなければいけない。そうしなければいつまでも何も分からないままだ。
和水さんのことを知り、もっと彼女に近づけたら、僕なんかに構ってくれている理由もきっと分かる気がしたのだ。
今までの僕は和水さんから話しかけてもらえるのをただ待っていただけだった……いや、待っていたわけでもないけれど、いつも僕が一人の時、唐突に現れる和水さんに話しかけてもらった時だけが、僕と和水さんの接点となる時間だった。
それ以外の時はまったく関わりがないまま、というのは今も変わってはいない。
クラスでは隣の席という一番和水さんに近い位置にいるというのに、僕はその利点を生かそうとしたことが一度もなかった。
チャンスなら腐るほどあった。だって和水さんは基本的にいつも一人だからだ。しかも自分の席からほとんど動かない。不機嫌そうな顔をして他人を威嚇しているくらいなら、一人になれる静かな場所に行けばいいのに、と思わず考えてしまうくらいには動かない。
窓を眺め続けているその姿は、まるでじっと何かを待っているかのように思えるくらいだ。
僕は今までそんな和水さんの隣にいたけれど、胸とか太ももをチラ見するくらいで話しかけたことは一度もなかった。今思えばもっと有意義に時間を使うべきだったのだ。そうしていれば、もう少しくらい和水さんの事を知ることが出来ていたかもしれない。と後悔していても始まらない。これからその利点を生かしていけばいい。
僕にとって一番好都合なのは、例えクラスメイトが沢山いる教室の中にいても、和水さんの近くにはまったく人が寄り付かないことだ。
沢山の人の中に割って入るなんてことは、日陰者の僕には出来るはずもない。その点、和水さんの周りはいつもがら空きだ。見ているだけで和水さんに睨まれてしまうから、誰も見ようとすらしない。だからこそ、目立つことなく和水さんに話しかけることが出来る。
和水さんの周りを他人が避けても、隣の席の僕は嫌でも近づかなければならないから、近くにいても変に悪目立ちすることもない。
今更ながら自分が絶好のポジションにいると気が付いた僕は、これで和水さんとの距離を積極的に縮められると思った。だが、ある一つの決定的な落とし穴を発見してしまうことになる。
僕は、もし和水さんから拒絶されたらという可能性を見落としていたのだ。
最近和水さんが異様に構ってくれていたから忘れがちだったけれど、和水さんは本当に怖い。不用意に声をかけて距離を詰めたら、泣いて逃げ出す羽目になるかもしれない。
調子に乗って教室で声をかけて、あの恐ろしい目を向けられたら、僕は心に深い傷を負ってしまうだろう。そうなればガラスのハートをもった僕はもう立ち上がれない。
……危険は冒さない。それが長生きの秘訣だ。
僕はやっぱり和水さんに自分から声をかけるのは止めておくことにした。
ビビったわけではない。焦る必要がないことに気が付いただけだ。
いきなり女の子に声をかけるなんて、難易度の高いことに無理をして挑戦する必要はない。身の丈にあった行動を心がけないと、いつか手痛い失敗をしてしまうだろう。
僕は自分の冷静さを褒めて、新しい作戦を考えることにした。
放課後。僕はついに新しい作戦を思いついていた。隣の席で帰り支度をしている和水さんを注意深くチラ見する。
そう、僕が考えた作戦がなんなのかというと、ずばり、観察だ!
もっと相手の事が知りたい。けれど話しかける勇気はない。それならどうやって相手の事を知るか、方法は一つ、相手を事細かに観察するしかない。
……この作戦を思いついた時は少し、いやかなり自分に引いた。だって今の理論って、まるっきりストーカーのそれな気がしたからだ。そして、たぶんそれは気のせいじゃないと思う。
だけど勘違いはしないでほしい! 僕はけしてやましい気持ちで和水さんを観察しようと思ったわけじゃない。
放課後に僕が一人でいると、いつもどこからともなく現れる和水さんが、一体どこで何をしているのかを探るため、というちゃんとした理由があるのだ。
僕は和水さんの胸が揺れる度にジロジロと見てしまうし、和水さんが脚を組みなおす度に横目でチラ見してしまうようなスケベで変態だけど、けして犯罪者ではない!
だから家まで付いて行ったり、学校以外のプライベートを探るつもりは当然のことだけどまったくないのだ。あくまでも、いつも先に帰っているはずの和水さんが、学校に残って何をしているのかが知りたいだけだ。どんなに小さなことでも、まずは知ることが和水さんに近づく大切な一歩になる。
僕が必死になって自分の正当性を自分に言い聞かせていると、視界の端で和水さんが席を立つのが見えた。
時計を確認する。今まで意識したことはなかったから、正確なことは分からないけれど、たぶんいつも和水さんが教室を出ていく時間とあまり変わらないと思う。
放課後になると、いつもすぐに帰って行くイメージだったけれど、今日もその例にもれず、すぐに教室から出ていくようだ。
今こそミッションスタートの時だ。僕は他のクラスメイト達の陰から和水さんを追いかけた。
放課後になってすぐの時間は、帰る生徒や部活に行く生徒で校舎内も賑やかだった。僕はいつもこの喧騒をさけるために、あえてしばらくは教室に残って、静かになった頃を見計らって帰っている。けれど和水さんを追いかけている今はそうも言っていられない。人が沢山の廊下は少し精神的にきつかった。
それを我慢してでも、和水さんのことは知りたい。
人混みで和水さんを見失いそうになりながらも、僕はなんとか見つからないように後を付けた。
このまま和水さんが学校を出て行ってしまったら、そこで作戦は終了するしかなかったけれど、その心配はなさそうだった。
大半の生徒が昇降口の下駄箱に向かう中、和水さんだけは違う方向に歩いていく。
段々と辺りには他の生徒がいなくなって、僕は壁の陰に隠れながら追跡した。
今の僕はまさにアレな人だ……その点はあまり考えないようにして和水さんを追う。
どこに向かうのと思っていると、和水さんは意外な場所で脚を止めた。
「なんでこんなところに……」
和水さんが立ち止まった場所は中庭だった。
中庭は、一応花壇やベンチがおかれてはいるけれど、他には何もなく、いつも人影のない寂しい場所、というのが僕のイメージで、大抵の人が僕と同じことをイメージすると思う。そんな何もない所に来て、和水さんは一体何をしようというのだろうか。
気になって壁の陰から身を乗り出して様子を伺っていると、和水さんは予想外の行動に出た。
なんと、ジョウロを使って花壇のお花にお水を与え始めたではないか!
それは衝撃的な光景だった。和水さんはかがんでお花に笑いかけ、漏れがないよう丁寧に水をかけていく。
和水さんがジョウロをふるたびに胸が揺れる。
和水さんがかがんでお花を見るたびに、短いスカートの中が見え隠れする。
いつもは寂しげな中庭が、今この瞬間だけは天国のとある風景のようにすら見える。
いったい誰がこんな光景を想像できただろうか。あの和水さんが、無愛想でいつも怒ったような顔をしている和水さんが、あんなにも笑顔でお花さんにお水を上げている。
放課後になって真っ先にここにやってきたというのもポイントが高い。今僕の中では、和水さんのギャップ萌えポイントが加算され続けている。
普段の姿からは想像も出来なかったけれど、それだけお花が好きなのだろう。僕は中庭に水道があったことも知らなかったし、ジョウロが置いてあることもまったく知らなかった。和水さんのあの手慣れた様子から察するに、毎日こうして水を上げているに違いない。
ここまで熱心にお世話をしているからには、何かお花が好きになった理由でもあるのかもしれない。
新しいことを知れば、また違うことが気になりだす。作戦はひとまず成功だった。
頑張った甲斐もあり、僕はまた一つ和水さんの新たな一面を知ることが出来た。
そして、その衝撃的な光景に目を奪われていた僕は、あまりにも油断しすぎてしまっていたのだった――。
続きは明日投稿します。