お昼を一緒に食べてくれる和水さん②
「おかず分けてあげる」
「……え?」
和水さんからそう言われて僕は焦った。同情はいらないからご飯をください、なんてふざけて考えていたことが、無意識のうちに口から出てしまったのかと思ったからだ。
和水さんはわざわざご褒美で、僕なんかと一緒にお昼を食べてくれているというのに、そんな生意気な事を言ってしまったら、せっかくのご褒美タイムがなくなってしまうかもしれない。
そうなったら大事件だ。僕は自分の手でみすみす幸せを逃してしまうことになる。
けれど、恐る恐る和水さんの反応を見るに、どうやらそんなことにはならなそうだと思った。
何故なら、和水さんがまたあの笑みを浮かべていたからだ。なまめかしく、見ているだけで心臓の鼓動が早くなってしまうあの笑顔だ。
二人きりになって僕を揶揄う時、和水さんは決まっていつもあの表情になる。
もうあの目で見られるだけで、僕の身体がゾクゾクっと反応するようになってしまった。
「あ、お気になさらず」
僕は一応遠慮する。和水さんの顔を見て内心ではいろいろなことを想像してしまっているけれど、口だけでもなんとか意地を張ってみる。
「遠慮しなくていいよ。だって、これはご褒美なんだから」
無駄な努力をしている僕に、和水さんはそう言って身体を寄せて来た。肩と肩が触れ合う。和水さんの太ももが僕の脚にくっついてきて、温かい和水さんの体温を感じた。
そして、伊刈さんとはまったく違う、和水さんの匂いが僕を包み込む。
ここが外だなんて信じられないくらいに、和水さんのいい匂いが鼻を突き抜けて脳天にささる。
僕はこれだけでもう頭がクラクラしてしまっていた。
「い、いえ、大丈夫ですよ。和水さんの食べる分が少なくなっちゃいますから」
手作りかどうかは知らないけれど、女の子のお弁当を食べれるというこれまた夢みたいなシチュエーション。ただ上手く思考できない頭でも、流石に人の分を食べてしまうのはよくないと考えることはできた。
僕は鋼の意志で和水さんの提案を断ってみせる。自分で言っておいてすぐに後悔したけれど、これでよかったんだと自分に言い聞かせて必死に慰めた。
お弁当を差し出してくれていた和水さんは、手を出さない僕を見て余計にニヤニヤと笑い出す。それから彼女は驚きの行動にでた。
「……じゃあこれならどう?」
「あ、そ、そんな!?」
今どういう状況かというと、僕の目の前に和水さんが箸で掴んだおかずが差し出してくれていた。美味しそうな卵焼きを掴んでいる箸は、もちろん和水さんが使うお箸だ。そしてこの状況はまさしく――。
「はい、あ~ん」
まさしく、あ~んだ!今僕は、美少女ギャルの手であ~んをされていた。
「ぁ、ぁあ、あ」
信じられなかった。その間にもどんどん卵焼きが僕の顔に近づいてくる。僕は驚きと緊張で半開きになったままの口を閉じることはできず、先ほどの言葉なんてなかったかのように、むしろ少しずつ口を開けてしまう。
和水さんからしてもらえるあ~んには、それほどの魔力があった。これこそ、本当に人生で一度きりしかないチャンスだろう。女の子からご飯を食べさせてもらえるという状況に、僕は抗うことなんてできなくなっていた。
「はい、召し上がれ」
結局、僕の鋼の意志は秒で砕け散る。和水さんがくれた卵焼きは、信じられないほど美味しいような気もしたし、緊張しすぎて味がよく分からないような気もした。
「どう?」
「お、おいひぃです」
「ならよかった」
卵焼きを咀嚼しつつ、僕はそこでどうしても気になっていたことを聞いてみることにした。
「あの、このお弁当は、その、ご家族が?」
僕が気になったのはもちろん、このお弁当が和水さんの手作りかどうかというところだった。まぁたぶんご家族が作ったのだと思うけれど、ギャルの手作り弁当という夢を少しだけ見たくなったのだ。
「自分で作ったけど」
「え、ホントですか?」
予想外すぎる返答が秒で返ってきて驚く。それが本当なら僕は今、和水さんの手作り弁当を食べたことになる。
「何? 料理できるようには見えない?」
「いえそんな、ホントすごいと思います! 尊敬します!」
「ありがと……」
若干失礼なことは自覚しているけれど、和水さんは僕が思っているよりも、かなり女子力が高いお方なのかもしれない。
ぶっちゃけてしまうと和水さんは料理になんて興味がないと思っていたからだ。
けれど実際に和水さんは、こうして自分で凝ったお弁当を作ってきている。
手抜きで作れそうにないお弁当の完成度から考えて、それなりに時間はかけているはずだ。
僕は卵焼きを最後までしっかりと噛みしめながら、朝早起きしてお弁当を作っている和水さんを想像してみた。
――――――――――
可愛らしいエプロンを付けている和水さんがキッチンに立っている。
可愛らしいお弁当箱が二つ。
和水さんは丁寧におかずを詰めている。
僕はリビングのテーブルから、和水さんが愛妻弁当を作ってくれている姿を眺めているのだ。
自分のために頑張ってくれている和水さん。
なんとも微笑ましい光景にほっこりとしていると、不意に和水さんが挑発的な笑みを浮かべる。
そして気が付く、和水さんの身体を隠しているものが、エプロン一枚だけだということに、
そう、和水さんは、裸エプロンだった。
背中を見せるように動く和水さん、僕の視界に、あのポスター張りをした時に見た、肉づきのいい大きなお尻が――
――――――――――
僕はその辺りでハッとして我に返った。
非モテ力を存分に発揮した妄想でトリップしてしまっていたらしい。
目の前に実際の女の子がいるというのに、自分の妄想の世界に入ってしまうなんて、だから童貞なんだよと自分に言ってやりたかった。
「ご、ごめんなさい。ちょっとボーっとしちゃってました。はは、は?」
何も喋らずにニヤニヤしている僕はさぞ気持ち悪かっただろうと、すぐに和水さんに頭を下げる。
引かれているかもしれないと思うと怖かったが、和水さんは何も返事をしてくれない。
気になって顔を上げてみると、何やら和水さんは自分の箸を眺めたまま、ボーっとしているようだった。
あの様子では僕が和水さんの裸エプロン姿を妄想して、ニヤニヤしていたことは気付かれていないだろう。
ホッとすると同時に、和水さんがどうしてそんなに食い入るように箸を見ているのか気になった。
「あの、和水さん?」
もう一度話しかけてみると、今度は和水さんも気が付いてくれた。少しだけ驚いたような顔になったあと、彼女は僕を見て、ニヤリと笑った。
僕はその笑顔を見て、和水さんが何かとんでもないことをしようとしている気がした。
そして、その予感は的中する。
あろうことか和水さんは、僕と視線を合わせたまま、見せつけるように僕が口に入れたばかりのお箸を咥えて舐めとった。
その行為に思わず見惚れる。
和水さんの唇が、舌がスローモーションで動いているように見えた。
箸を舐めとる和水さん。ジュルッという音が耳に残る。
僕の唾液が、ほんの少しだとして箸に付着していた僕の唾液が、きっと今、和水さんの口に入った。
和水さんがしたことはただの間接キスと言えるかもしれない。
けれどそれは僕にとって意識せずにはいられない刺激的な行為。
挑発的な視線も、じっくりと舐めとるような動作も、その全てが僕の神経を刺激する。
今、僕の体液が和水さんの身体の中に入った。
その事実だけで、僕は自分の身体が熱くなるのを感じていた。
「ふふ、顔赤いよ?」
和水さんにそう指摘された僕は、まるで自分が何を考えていたのか当てられた気がした。
恥ずかしさを隠すように残っていたおにぎりにかぶりついく。チビチビ食べて時間を引き延ばすことなんて、すでに忘れてしまって考えることもできなかった。