(三)迷路③
ウォルスターとのやりとりを思い出しつつ、ラーソルバールは制服の上着を脱いでエレノールに手渡す。そのまま机に向かい椅子に腰掛けると、手元にあった小さな箱をつついた。
その様子を見たエレノールは不思議そうに首を傾げる。
「昨夜もその箱を手に、何か考えておいでのようでしたが。それは……?」
思考がまとまらず呆けていたところ、エレノールの問い掛けで現実に引き戻された。
「……え、ああ、これはウォルスター殿下から頂いた物なんだけど……」
「そうですか、殿下からですか……って、殿下からぁっ!」
相槌を打つように答えたエレノールだったが、内容を反芻したのか一呼吸置いてから驚いたように素っ頓狂な声を上げた。
「しまった」というように、すぐに慌てて口許を手で覆うと、覗き込むように前に屈む。
「もしか……しなくても、その箱の中身は貴金属、装飾品ですよね……」
「うん、髪飾り。私は装飾品には詳しくないから説明しづらいんだけど、何というか……派手さは無く上品で、青い宝石が際立つ繊細で見事な彫金技術の品、といった感じ……。まあ見てもらった方が早いか……」
ラーソルバールは箱の蓋を開けてエレノールに差し出す。
「拝見させて頂きます」
王族からの品と聞いてエレノールは若干躊躇しつつも、箱を受け取ると中身をまじまじと見詰める。
王子がわざわざ理由をつけて渡すような物だけに、半端な物のはずがないとは分かっているし、主の言葉を疑うつもりもない。が、果たして間近で見るとどうなのか。目を凝らした一瞬の間の後に、エレノールはため息交じりに言葉を紡いだ。
「なるほど、仰る通り確かに見事なものですね……。一流の職人が作った物でしょうか。いずれにせよ、これは特注品か一点物。安い物ではありませんね。王都の貴金属店でもほとんど見かけないような水準ですよ」
「だよね……」
エレノールの言葉に同意するようにうなずくと、扱いに困ると言わんばかりに苦笑し、ため息を漏らす。
「この前、怪我をさせた詫びと言われたら断るに断れなくて」
「そうですね、王族のご厚意を無下にはできませんからね……」
持っているのも憚られるとばかりに、エレノールは手にしていた箱の蓋を閉じて、そっとラーソルバールに返した。
「物が物だけに、父上にも言うに言えなくて……。どうせなら花とか菓子折りにでもしてくれれば良かったのに」
「ふふふ、それならいっそ現金でも良かったですね」
「あぁ、そうだねぇ。この髪飾りの代金が手元にあったら、みんなの臨時手当が出せたかな」
贈った本人が居ないところで、実に不敬極まりない会話をする二人。とはいえ、現金に変えるなど出来るはずも無い品だけに、扱いに困るのは間違いない。
理由はどうあれ受け取ってしまった以上、ウォルスターが参加するような催事に行く際には、身に付けない訳にはいかないだろう。かと言って、これ見よがしに付けていれば、貧乏男爵家が買えるようなものではないだけに、贈り主は誰かという話になる。
指輪や首飾りよりは目立ちにくいとはいえ、答え如何によっては誰かの存在を想起させることになりかねない。
「悩んで下さいませ」
エレノールはラーソルバールを見つめてにやりと笑った。
「薄情者め……」
逃げるようにエレノールが一歩下がったため、救いを求める手が宙を彷徨う。稀に見るラーソルバールの情けない顔に、エレノールの頬が緩む。
「では、夕食の準備をして参りますね」
そそくさと逃げるように部屋を出ると、静かに扉を閉めた。
廊下には誰も居らず階下からの音も聞こえない。そんな静寂を破るように夜の風が窓を叩く。
「お立場が有るとは言え、ウォルスター殿下も不器用な方ですね……。それをお嬢様も分かっているのかいないのか」
階段を下りながらエレノールは楽しそうに笑みを浮かべ、ひとりつぶやいた。
髪飾りの授受で困惑したすぐ後のこと。ウォルスターが最後に漏らした言葉がラーソルバールの頭の片隅に残っていた。
「宮中にも良からぬ事を企む輩がいると聞く。出征と絡んで何か行動に出るような事が無ければ良いが」
カレルロッサ動乱で腐敗貴族が減ったとはいえ、国内から完全に一掃されたわけではない。思い当たる人物でも居るのか、それともただ不安を口にしただけなのか。
このウォルスターの懸念が現実となり、まさか自身にも大きく影響を及ぼす事件に発展しようとは、ラーソルバールは考えてもいなかった。




