(三)迷路①
(三)
晩餐会翌日のこと。
騎士団本部から帰ってきたラーソルバールは、書斎に入るなり大きなため息をついた。昨日今日と頭を抱えるような事ばかりで、さながら出口の無い迷路で彷徨うかの如くといったところだろうか。
「どうされました、騎士団本部で良くない話でも?」
ラーソルバールの様子を見かねてエレノールが尋ねるが、そんな問いに話を濁すように苦笑で返す。
「昨日に今日に、もうね……」
この日、騎士団本部から通達されたのは、やはりルニエラ王国を手中に収めた帝国の動向と、自国の今後の方針についてだった。
まずは西側、ルニエラ王国方面への即時の出征は無いという前置きの後、それとは別に帝国の東部方面軍の動きが怪しいという情報を告げられると、騎士たちの間に緊張が走った。
東部方面軍は、ルニエラ王国や侵略した西部地域に駐在する西部方面軍の代替として各地の守備に回っている、という話は有った。だがそれが独自に動き出したとなれば警戒の度合いが跳ね上がる。
東部方面軍に対し、皇帝からどうのような指示が有ったかは今のところ不明との事だが、いずれにしても現時点では情報が不足している事は否めない。密偵から送られてくる続報が有益であることを祈るしか無い。
東部方面軍の動きに備え第五騎士団を北方へ派遣するものの、帝国側に刺激を与えては本末転倒である。とりあえずは演習という名目で国境から三十レリュース程離れた砦に駐屯させることが決まった。これは現在北方警備の任に就いている第九騎士団との連携を企図したもの、と締めくくられた。
第五騎士団といえばグレイズが所属する団である。派遣前に会えなければ礼を言う機会を失することになる。今更前夜に彼を呼び止めておけば、と後悔しても遅いのだが。
翻って帝国の動きも気になる。
果たして皇帝の野望はどこまでのものか。近隣の小国をひとつ手に入れた程度で満足するはずがない。彼の血塗られた手は大陸全土に版図を描くのだろうか。
ラーソルバールは会議の場で何もできぬ自身を憂い、拳を握り締めたのだった。
そしてラーソルバールが頭を抱えたもう一つの悩み。それは前日の晩餐会の後、帰宅しようとしていた時の事に端を発する。
「恐れ入りますが、ラーソルバール・ミルエルシ卿でお間違いないでしょうか?」
「卿」などと慣れない扱いに少々むず痒さを覚えつつ振り向けば、声の主は近衛の制服を身に着けた男だった。
「え、はい……」
ラーソルバールは突然の事に、少し首を傾げつつ応じる。
近衛の顔は幾度か見た覚えがあり特に警戒感は抱かないが、帰宅間際の折での話に何事だろうかと身構える。
「大変申し訳無いのですが、少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか」
そう言って男は指し示すように、一瞬だけ会場隅を見やる。視線の先に呼び止められた理由が有るのだろうと推察は出来るが。
ラーソルバールは「構いませんが……」と短く答えて隣にいた父に視線をやって了承を得る。
「こちらへ」と、先導するように歩き出した男の後を追う。そしてすぐに会場隅のカーテンの奥へと誘導されたのだが。
「……!」
そこに見覚えのある青年の姿を見つけ、慌てて頭を下げて臣下の礼を取る。
「やあ、ラーソルバール嬢、いやミルエルシ卿と呼んだ方がいいかな?」
「お久し振りでございます、ウォルスター殿下。どちらでもお好きな方でお呼びください」
「そう硬くならないでくれないか。見知らぬ仲でもないだろう?」
悪戯っぽく微笑む王子の顔に、やや喜色が浮かんで見えたのは気のせいだろうか。
「はい……それはそうなのですが……」
何度も会話を交わした相手であるとは言え、王族相手に硬くなるなというのは無理な話である。しかも誰が見ているとも分からぬ状況で、気安い振舞いなどできるはずもない。先程の近衛は少し後ろに控えており、二人きりにならないよう配慮はされているようだが。
「何にせよ難しい話じゃない。エラゼルからの伝言と、ちょっとした個人的な話だと思ってくれれば良い」
「はい……。お話というのは?」
苦笑を心の内にしまい込んで、借り物ような笑顔を浮かべる。
「まずはエラゼルからの伝言。今後の動向は慎重にせよ、との事だ」
「……承知致しました」
改めて言われるからには何か理由が有るのだろうが、漠然としすぎていて少々戸惑う。ウォルスターの表情も明るいとは言えない。
「その話に付随する事なのだが……」
そう前置きをしてから話を切り出す。
「予想以上にそなたの知名度が上がっている可能性が高い。直接剣を交えた国に留まらず、他の隣国まで聞こえるまでになっているようだ」
「と……仰いますと?」
「名までは出さなかったものの、ナッセンブローグの王女までが『エイルディアの聖女』と口にしていた」
聖女などと呼ばれる事を好まないラーソルバールは、王子の前であるにも関わらず、眉間にしわを寄せた。




