(二)ルニエラ王国の落日①
(二)
時はルニエラ王国の王都ルニアムド陥落の報が、ヴァストール王国にもたらされるよりも前に遡る。
一方的な侵攻に踏み切ったバハール帝国の軍は、夜襲だけでなく本国から長く延びた補給線を突かれるなど、ルニエラ王国軍の度重なる攻撃に翻弄され、進軍は遅々として捗っていなかった。
それだけではない。寒空の下では兵たちの多くが体調を崩し、動員数そのままの戦力を発揮できなかった事も理由の一つに挙げられる。
こうした事態を改善するため、帝国軍はアノール砦に一時撤収し再編成を図っていたのだが、そこに大きな転機が訪れる事となる。
「病を発し重症化したエスタルム将軍が総指令官を辞して、帝都に帰還することになったそうだ」
そんな噂がアノール砦を駆け巡った。
「病はただの名目で、実際には現状報告に皇帝陛下がお怒りになって、将軍は責任を取らされたのではないか?」
「すると、遠征は失敗で軍は引き揚げることになるのか?」
「ここまでを帝国領として、我々だけ駐留することになるという話もある」
噂には尾ひれがついて、兵達にも動揺が走ることとなった。
「オルディアス……、どう思う?」
扉を開けて部屋に入るなり、エスティは噂話に辟易したように、両肩をすくめながら会話を切り出した。
「どう……って?」
「撤退なのか駐留なのか、それともって話」
「総司令だったエスタルム将軍が更迭されるのは間違いない。『我々はそのまま再編成した部隊でとりあえず砦の防御に専念する』という話だから将軍と一緒に撤退は無いだろうな」
なるほど、というようにエスティは小さくうなずく。
誰もが雪の舞うような寒空の下で進軍も撤退もしたくないだろうから、砦に籠るというのならむしろ有難い話ではあるが。
「撤退も進軍停止も皇帝の威信に関わる。それどころか皇帝の一言で発した戦なんだから、必ず勝たなきゃいけない。……小国相手なんだから迅速に、ね」
「まあ、そうだよねぇ」
エスティはそう言ってため息をついた。
生活のために戦うのだから、死んでは元も子もない。
戦が長引いた分、負傷者も多く出ている。ここでは治癒魔法も応急処置的なものしか使えない術者が殆どであり、本格的な治療が出来る者は限られている。動ける重傷者は順番待ちするよりは本国に戻った方が良いのだが。
「いずれにせよ、この先の戦略は新しい指揮官次第。我々は与えられた仕事をきっちりこなすだけさ」
オルディアスは苦笑いしつつ、エスティの肩をぽんと叩いた。
その指揮官が決まったとの報が入ったのは翌朝のこと。
今回の戦に参謀長として参戦していた若い将が抜擢されたのである。
「エスタルム将軍に代わり総指揮を任されたヴェスタル・アージャイドだ。追って指示を出すので、いつでも動けるように支度は整えておくように」
兵達を集めた場で、新指揮官はたったこれだけの短い挨拶をすると、皆の動揺をよそに参謀や上級士官を引き連れてすぐに会議室に姿を消した。
新指揮官となったアージャイドは今まで総司令であったエスタルム将軍に軽んじられており、献策はことごとく無視されてきた。
彼はかつて西方戦線で参謀としていくつもの戦果を挙げる献策をしたものの、手柄は上司たちに横取りされ、積み重ねた小さな勲功でやっと下級将官になれたという苦労人である。そのため内外での知名度は非常に低く、着任に際し兵達が「誰だ?」「大丈夫か?」と首を傾げたのも無理からぬことだった。
会議室に籠ったアージャイドは、兵達の不安を知ってか知らずか次々と指示を飛ばした。そして早くも昼過ぎから作戦は動き出すこととなる。
傷病兵の多くを本国に帰還させると、帝国軍は僅かな守備兵を残して砦を出た。
奇襲に備えるように本隊から別働隊を割いて周囲を監視させつつ、今までよりややゆるやかに軍を進める。その動きにルニエラ王国軍も下手に奇襲を仕掛ける訳にもいかず、要所での抵抗に切り替えざるを得なくなった。
それから四日後のこと。
ルニエラ王国軍の主力部隊に驚くべき報が届けられたのである。
「王都が帝国軍の攻撃を受けております、至急救援を!」
慌てて駆け込んできた伝令の言葉に、居合わせた軍の首脳は顔を見合わせた。
「そんなはずはあるまい。帝国軍は我らが足止めをしており、眼前に展開しておるではないか!」
誤報と疑わざるを得ない状況。だが伝令にやってきたのは王都の近衛兵で、見知った顔。敵の策で偽物の使者という可能性は低く、誰もが動揺を隠せなかった。
「いえ、数は不明ですが少ない数ではありません。王都に残っている守備兵だけでは対処しきれません。陛下よりの書状はここに!」
国王専用の封蝋、そして自筆の署名と印。疑う余地は無かった。
「急ぎ撤収準備を始めろ! 一部を残し、本隊は夜陰に紛れて王都に戻る。敵に動きを悟られるな!」
ルニエラ王国軍の総指揮官を務めるフォンダード将軍は、苛立ちに拳を握り締め、机に怒りをぶつけた。
別動隊の動きも把握しているし、本隊は眼前に居るし増援の気配も無かった。ならば、帝国兵はどうやって王都を急襲したのか。数々の戦で敵軍を退けてきた名将は、自問しつつ自身の不甲斐無さに天を仰いだ。




