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聖と魔の名を持つ者~剣を手にした少女は、やがて国を守る最強の騎士となる/ラーソルバール・ミルエルシ物語~  作者: 草沢一臨
第三部 :第五十二章 戦場の雪の色は

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(二)黒き狼③

 現在オルディアスが帝国軍の小隊長として率いている部隊は、正規兵に編入された元傭兵達で構成されている。

 彼らはオルディアスと西方戦線を共にした仲間の一部。そうした元傭兵で構成された部隊は他にもあるが、西方戦線を戦った傭兵達の多くは、国家への従属というしがらみを嫌って帝国の正規兵への誘いを断り、傭兵家業を続ける道を選び道を別った。

 今も恐らくどこかの部隊か、他の戦場に居る事だろう。


 先輩からの酒の誘いを部下が待っているからと断ると、オルディアスは冷えた石畳を再び歩き出す。

 突き当りの角を曲がると、誰も居ない薄暗い廊下が続く。どこかで呪いの声とも思えるような音がしたかと思うと、砦の廊下を寒風が駆け抜けた。

 ふと、背後に言いしれぬものを感じてオルディアスは僅かに身をすくめる。戦場に消えた傭兵や斃してきた者たちやの手招きか。負の気配のようなものに誘われ振り向いてみたが誰の姿もない。

「気のせいか……」

 戦場ではそれ以上に厳しい状況だったが、ひと心地ついたことで気が抜けていたのだろうか。大きく息を吐くと、割り当てられた部屋へと歩き出した。


 オルディアスは部屋の前に立ち止まると、入口横に置かれた部隊番号の記載された木片を確認してから扉を開けた。

「お疲れ様」

 オルディアスに気付くと茶髪の娘が笑顔を向けた。

「エスティ……、君一人か?」

「ええ、明日の再出陣は無いという話を聞いて、みんな先に酒盛りを始めてる」

 苦笑いする副官の言葉に、オルディアスは肩をすくめた。

「なるほど。補給物資が底を尽かないといいが……」

「元傭兵達の胃袋は底知らずだからね……。っと、大隊長からの呼び出しは何だったの?」

 荷物を整理し終えたエスティは、そう言うと粗末な寝台の端に腰掛けた。

「ヴェルドーさんが戦死されたから、中隊長代理をやれとさ」

「そう……。そんな嫌そうな顔をしないでちゃんと成果を上げれば、昇進して『代理』が取れるんじゃない? ……あぁ、そうなったら黒狼中隊とか呼ばれるのかな」

「黒狼、か……」

 そうつぶやきつつ、オルディアスは嫌そうに眉間にしわを寄せる。と、エスティはそんな彼の髪を見て苦笑いを浮かべた。

「何年か前に比べると、大分髪が黒くなったからね」

「そうか? まあ、昔は年中外を走り回ってたから、確かに日に焼けて髪は少し茶色かったかもしれないな。今はほぼ日中は兜を被ってるし、あっちより日差しが弱いから焼けないのかな……?」

 近くにあったエスティの手鏡を手に取ると、自身の黒髪をつまんで覗き込む。

 言葉通り年中戦場に居るか調練をしており、兜をせずに陽射しの下を歩く時間はそれほど多くない。改めて自身の髪の色を見て、自分達の置かれた環境の変化に思い至る。

「……ひとの事は言えないだろ?」

「あら、私は髪だけでなく体や中身がしっかり成長して変わってますけど」

 エスティはしたり顔で言い返す。

「はいはい、分かった分かった」

 彼女の肢体に目をやった後、やや顔を赤く染めながら顔を背け、オルディアスは手にしていた鏡をもとの場所に戻した。

「それより、噂で聞いたんだけど……。ルニエラを制圧したら次はレンドバール、ナッセンブローグ、ヴァストールじゃないかって……」

「まあ、何となく予想はしていたから驚きは無いけどな」

 オルディアスは話題に無関心を装うように鎧の固定ベルトを外しながら応じる。その手がやや震えている事に気付いたエスティだったが、それが寒さ故なのか動揺によるものなのか尋ねるのは控えた。

「でもヴァストールに剣を向けるというのは……」

「言いたいことは分かるが……。そもそも祖国に仇なして逃げた俺たちは、もうアルディスとエフィアナには戻れない。ただの帝国軍人、オルディアスとエスティとして生きていくしかないんだ……」

 エスティは人差し指を口許にあててから一呼吸おくと、背中からベッドに倒れ込む。だが、想像していたよりも固いベッドに頭を打って、思わず小さく声を漏らした。

 その様に失笑するオルディアスをひと睨みすると、エスティは再び口を開く。

「……そうね、割り切らなければいけないんだけど、まだ今は無理かな。剣を持たない生き方ができていれば、こんな思いをしなくて良かったのかな」

「どうかな……」

「そもそも、転移石で逃亡の手引きをしたあと、生活の保証をするとか言ってたファタなんとかいう男が悪いのよ。胡散臭い奴だとは思ってたから端から信用してなかったけど、あの後すぐに音信不通になったし!」

「きっとあの戦いも叔父上が奴に上手く乗せられた結果なんだろうな。ま、今となってはそれを知る術も無いのだろうけど」

 苦々しい記憶に苛立つように拳を握り締め、オルディアスは表情を曇らせる。彼女が怒りをぶつけるべきは、自分や父なのだと分かっている。それをしない彼女の優しさに甘えている自覚はある。

「すまないな……」

「貴方が謝ることじゃないわ。……ほら、早く鎧を脱いで。私達も食料が底を尽かないうちに急いで食事に行かないと!」

 急かすように掌を躍らせると、エスティは愛しい相棒に笑顔を向けた。

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