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聖と魔の名を持つ者~剣を手にした少女は、やがて国を守る最強の騎士となる/ラーソルバール・ミルエルシ物語~  作者: 草沢一臨
第三部 :第五十二章 戦場の雪の色は

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(二)黒き狼①

(二)


 雪舞う空の下、帝国軍は侵攻作戦を続けていた。

 国境を越えて早々に砦をひとつ落としたものの、随所に設置された塹壕などの防衛拠点に阻まれ度重なる奇襲にも悩まされ、王都ルニアムドへ向けての進軍は思うように進んでいない。

 ルニエラ王国軍の奇襲も、一撃を加えて即座に逃げるという帝国軍を翻弄するような手際の良さで、各国からの侵攻に悩まされつつも幾度も退けてきたルニエラ王国ならではのものといえた。それでもその効果は限定的で、帝国軍の侵攻速度を緩める程度の抵抗でしかなく戦力を削るには至っていない。

 とはいえ、寒さを凌ぐ場所の無い状況に加え、必死の抵抗による昼夜を問わぬ度重なる奇襲に悩まされ、帝国軍の士気は大幅に低下。気力も体力も充実とは程遠いものとなっていた。


 休息は交代で急拵えの天幕で取るものの、奇襲を警戒しながらでは十分に休めず、野営の底冷えする寒さに体力は徐々に奪われていく。だが、今回の侵攻には帝国の威信がかかっており、皇帝の意向もあって撤退することは許されない状況にあった。

 苦悩した帝国軍の上層部は協議の上で、立て直しのために手に入れたばかりの砦に一時的に後退する事を決めた。

「負傷者の救護と部隊の再編成、および物資補給のため、一旦アノール砦まで後退する」

 翌朝その言い訳じみた命令が伝達されると、進軍の為に野営の撤収作業を行っていた帝国軍陣営に安堵の吐息が漏れた。


 それから二日後、数度に渡る奇襲攻撃を退けながら砦に戻った兵たちは、ようやく得る事のできる束の間の休息に、安堵の吐息を漏らした。

 一息ついた頃にはもう夜だったが、アノール砦に戻った帝国軍各部隊の問題は山積みだった。


「お呼びでありますか、大隊長殿」

 砦のある一室。扉を叩いて現れたのは黒髪の青年だった。

 一見するとやや優男のように見えるが、精悍な顔立ちに力を帯びたような瞳が兵士としての才を雄弁に物語っていた。

 室内にいた男は書類に向けていた視線をちらりと上げると、そのまま疲れたように椅子の背もたれに寄り掛かった。

「ランフォードか、忙しいところ済まないな。既に君も知っているだろうが、昨日の夕方に奇襲を受けた折に君の上司でもあるヴェルドーが戦死した。部隊編成の都合上、君はしばらくの間は彼の代わり……中隊長代理として働いてもらう。この件は私の方から将軍には報告しておくし、我が大隊の面々にも周知しておくので、よろしく頼む」

 その言葉に黒髪の青年は唇を噛み、ぎゅっと拳を握りしめる。困惑、不安そんな後ろ向きな感情を表に出すまいとしているようにも見えた。

「はい……非才の身ではありますが、ご命令とあれば。ただ、私は新参者であります故、皆が納得してくれるかどうか。ひいては中隊自体の士気にも関わりますので……」

「傭兵上がりとは聞いているが、その手腕はヴェルドーも高く評価していたし小隊もよく統率が取れている。さして大きな問題にはならんだろう。まあ、何か有れば私に言ってくれれば良いさ」

 信頼されているという事だろうか。戸惑いつつも黒髪の青年は黙したまま頭を下げると大隊長の部屋を後にした。


 砦の石畳は冷たく足音を響かせる。

 先程までは、砦に着いたばかりで慌ただしく動く者たちの声が響いていたが、今は一段落したのか静まり返っている。

 足を止めると他に音がしない空間は、騒がしい戦場に居た頃とは別世界に来たのではないかという錯覚に襲われる程だ。ふと、廊下に置かれた燭台の炎が小さく揺れて、青年の影が僅かに跳ねた。

「おう、黒狼ひとりでどうした?」

 扉の開く音と共に背後から声をかけられ、青年はやや顔をしかめてみせた。

「その呼び方はやめてくださいと言ってるじゃないですか」

 黒狼、とはこの青年が傭兵時代につけられたあだ名である。

 声をかけたのは、大きな体躯に髭面といういかにも武骨な男。同じ中隊に所属する別の小隊の長であり、青年にとっては良き先輩でもあった。

「ふむ。で、黒……ランフォードは茶髪の副官殿と一緒じゃないのか?」

 にやりと笑みを浮かべつつ、自慢の顎髭に手を添えた。

「大隊長に呼ばれてたんですよ。彼女には小隊の仕事を任せてきました。それと……いつも彼女が一緒に居る訳じゃありません!」

「そうか……? ま、いいか……。で、大隊長に呼ばれたって事はお前さんが中隊長代理ってことか?」

 ずばりと言い当てられ、思わず動揺が顔に出そうになる。

「断れるような状況じゃ無さそうでしたので。あくまでも代理です」

「いいんじゃねえか? お前さんなら十分にこなせると思うぜ。副官も優秀だしな」

 そう言われて肩をすくめると、青年は小さくため息をついた。


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