(一)寒風の運ぶもの①
(一)
第九、第十の二つの騎士団が王都を発った翌日。
陽が沈み夜の闇が街を包む頃になると寒風が厳しさを増し、やがて白いものが空に舞い始めた。
「寒いと思ったら、今夜は雪かぁ……」
窓の外を眺めてから凍える指先に息を吹きかけると、シェラは白い毛糸の手袋を鞄から取り出した。
「本当だ。積もる程ではないと思うけど……、出征した人達は今夜は野営だろうから心配だね」
シェラの肩越しに空の様子を見ながら、ラーソルバールは憂うようにため息をつく。
「うん、今日くらい冷え込むと防寒具を着ててもまだ寒いと思うよ。と……まあ、私たちがここで心配したところで何が変わる訳でもないけどね」
「それもそうだね……」
二人の吐いた白い息が交錯し、少し宙を漂うとふわりと溶けるように消えた。
「ああ、そうだ。私、明日は予定通り休暇だから、みんなの事よろしくね」
「はい。中隊長殿、了解致しました!」
「お疲れ様!」
わざとらしく敬礼するシェラに笑顔を向けつつ手を振ると、ラーソルバールは騎士団本部を後にした。
この日の訓練を終えたラーソルバールは久々に取得した休暇を翌日に控え、どう過ごすかに思いを巡らせながら帰宅した。だが、その算段は早々に崩れ去ることになる。
「お帰りなさいませ、ラーソルお嬢様。早速ですが、明日の午後にエラゼルお嬢様がおいでになりたいとのご相談を賜りました」
ラーソルバールの顔を見るなり、エレノールはそう話を切り出した。
「ただいま。それで何と返答を?」
「丁度、明日はお休みの予定ですの問題ありません、と。わざわざ足をお運び頂いた御本人を目の前に、お断りするのは忍びなく……」
「あはは……。また学園からの帰宅途中に遠回りしてまで寄っていったのか……」
呆れたようにラーソルバールは苦笑いを浮かべる。
それに応えるように小さくうなずいたエレノールは、ラーソルバールの髪に残った雪に目をやると、手にしていた手巾を差し出した。
「ありがとう。じゃあ、そういうことなら明日の準備をお願いしますね」
そう答えつつラーソルバールは手巾を受け取ると、大事な侍女をいたわるように笑顔を向けた。
翌日の午後のこと。来訪者は予定通りにミルエルシ家の邸宅の扉を叩いた。
「いらっしゃい、エラゼル!」
彼女は待っていたラーソルバールに抱擁で出迎えられると、外気で冷えた頬をわずかに朱に染めた。
ラーソルバールに背中を押されながら応接間に連れてこられたエラゼルは、促されるままに椅子に腰掛けると、自身を落ち着かせるように美しい金色の髪を優雅にかきあげた。
「部屋は暖かいな……」
そう漏らすと、間もなく出された暖かい茶を嬉しそうに口にする。と、すぐに彼女はラーソルバールの良く知る柔和な表情に戻った。
そんなエラゼルが最初に切り出したのは、意外にも個人的な話ではなかった。
「早速だが、ナッセンブローグ王国から同盟交渉のために使節団がやってくる、というのは聞いているな?」
帝国軍の侵攻により、ルニエラ王国の周辺国家は危機感を持って連携を模索している。その一環というべきか、以前より友好関係にあったヴァストール王国とナッセンブローグ王国が、危機を乗り切るために手を取る方向へと動き出したのである。
「ん……? 騎士団としては使節団の護衛と警備の任務が有るから、その辺の話は多少は聞いてるよ。何でも第二王女であるアリアーナ殿下がその代表だとか……。それが何か?」
「私も使節団が陛下に謁見する際に、王太子殿下の婚約者として同席する事になったのだが……」
まだ王太子妃ではないので、必ずしも同席する必要は無いはず、という思いが有るのだろう。役目と分かっていても面倒臭いという本音が表情に出ていて、ラーソルバールは思わず笑い出しそうになるのを堪えた。
仮にエラゼルが欠席するような事になれば、代わりに出ろと言われる可能性も無いとは言えない。機嫌を損ねないように余計な事は言わないでおこう、と決めた。
「それが何か問題でも?」
「いや、問題という訳では無いのだが……。今回のアリアーナ殿下の来訪にはもう一つの目的があるのではないか、という話を聞いたのでな」
「目的?」
わざわざ王族がやって来るのだから、同盟以外に目的があっても不思議ではない。
今後レンドバール王国と戦時の連携も必要になってくるであろうから、その情報共有のためだろうか。それとも、王族だけが知る帝国の情報のやりとりでもあるのだろうか。いやいや、物流強化と交易品の価格折衝か。はたまた……。
色々と考えを巡らせたラーソルバールだったが、次のエラゼルの言葉に全てを否定され、唖然として言葉を失った。
「なんでも殿下は独身で婚約者がまだ決まっていないので、その候補を見定めに来た、と……」




