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聖と魔の名を持つ者~剣を手にした少女は、やがて国を守る最強の騎士となる/ラーソルバール・ミルエルシ物語~  作者: 草沢一臨
第三部 :第五十一章 野心の先

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(四)霧①

(四)


「帝国軍南方への侵攻を開始」

 この情報はどこからともなく発し、一気に国内に広がった。

 噂の中には「皇帝が他国の美女を集めるために戦争をしている」「帝国軍は征服した国の住民を皆殺しにするらしい」といった、真偽も分からぬまま拡散されるものもあったが、それも帝国に対する恐怖心によるものだったのかもしれない。事実、帝国が侵攻して西方諸国を丸呑みにしたという事実を知る者は多く、帝国軍の次の獲物について議論する声も各所で聞かれるようになっていた。


 そんな折である。


「我が国の兵を他国の防衛の為に派遣しようという動きが有ります。こんな暴挙は許されるものではありません!」

 教会が大々的に催した「安寧の会」という平和を謡う集会で、アストネアは声を張り上げた。

 昨年起きた三度の戦でいずれも勝利したヴァストールだったが、損害や死者が出なかった訳ではない。家族を喪った者達や、度重なる戦に嫌気がさした者たちなどが、聖者のように振る舞う彼女を敬うように頭を下げる。

「平穏に暮らせるこの国において戦などは必要ありません。武器を捨てた手でこの国の繁栄を作れば良いのです。そうすれば神の恩恵を賜り、帝国とて恐れる必要は無くなります!」

「そう、アストネア嬢の仰る通りです。祈り願えば神が平穏を、そして幸せを与えてくれることでしょう」

 大司教マリザラングはアストネアの傍らに立ち、大きく両腕を広げるてアストネアを賛美すると、作ったような笑顔を民衆に向けた。


 そんな民衆の中で、冷めた目で彼女を見つめる人物がひとり。

「あれがアストネア・ジェストファー侯爵令嬢……か」

 休暇で街に出ていたフォルテシアは、通りがかった路地で人だかりに道を遮られ、足を止めていた。

「甘いだけの夢を見たいなら寝ていればいいものを」

 苦々しい表情を浮かべつつ、遠巻きにアストネアに向け小さく毒づいた。

 無論、フォルテシア自身に戦争を肯定するつもりなどは無い。目の前で消えていった同僚たちの最後の姿が今でも時折脳裏をよぎる。恐怖や悲しみが渦巻く戦場など、望んで赴きたいなどとは思えない。

 だが、だからこそ、全ての工程や手段を無視した先にある幻想だけを語る彼女には嫌悪感しかない。その幻想は国や家族や友を守ろうとしながらも、力及ばずも散っていった者達に対する侮辱でしかないのだから。

「ふう……」

 フォルテシアは怒りを飲み込み冷静さを保とうと、大きく息を吐いた。

 それにしても貴族にも色々といるものだ、と思う。

 幸いにも知己を得た貴族の令嬢達は彼女と違い、理知的であり現実から目を逸らすようなことはしない。貴族の義務を全うしようとする者もいれば、立場を超えてただひたすらに信じた道を進む者もいる。

 では彼女……、アストネアの目指す先には何があるのか。

 小さな籠の中で何不自由なく育った娘は、このまま妄想に囚われやがて多くの人々に災厄をもたらす存在になるのではないか。そう考えたところで何故か背筋に寒いものを覚え、フォルテシアは身震いした。彼女がいずれ自身にも関わってくる相手だということを、この時のフォルテシアが知る由もないのだが。

 フォルテシアは遠くで声を上げるアストネアに向かってゆっくりと手を伸ばすと、視界から消すように掌を広げた。


 だが、こうした耳当たりの良いアストネアの言葉は、帝国を恐れ戦争を忌む人々の心を少しずつ掴み始めていた。


 そしてこうした動きは当然、王宮にも伝わることとなる。

 帝国に対する会議を終えた後、出席者の幾人かが隣室に残って雑談を続けていた。

「議題には上がりませんでしたが、ジェストファー侯爵家の令嬢の動きは国益に触れるものと言って過言は有りませんな」

 フェスバルハ伯爵は苦々しい表情を浮かべると、悩ましげに右手で頭を押さえた。

「教会に肩入れする貴族や、ジェストファー侯爵家の影響力もある。あまり表立っての批判はしにくいのが実情だが……」

 宰相メッサーハイト公爵は大きくため息を漏らした。

「彼女や、侯爵の目的はどこにあると見る?」

 二人を見つめつつ、ウォルスターは普段あまり見せないような真面目な表情で尋ねた。

「真意は測りかねますが、教会の後ろ盾を得て国民を味方につけ、あわよくば王太子殿下の婚約者の座を奪い取ろうかという魂胆も見え隠れしておりますな。それが叶わぬなら、ウォルスター殿下の婚約者にと」

「おいおい……やめてくれ。私にだって、妃を選ぶ権利はあると思うが?」

 フェスバルハ伯爵の言葉に即応すると、ウォルスターは苦笑いを浮かべた。

「おや、殿下がどのような方を妃にお選びになるか、興味が有りますな」

 普段、ウォルスターに振り回されることも少なくないメッサーハイト公爵は、ここぞとばかりにしたり顔を向けた。


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