(三)西からの砂塵③
「ミルエルシ……。お前さんモレッザだけじゃなく、また厄介そうな相手に目をつけられてるな」
ギリューネクが苦笑しつつ小声で囁いた。もしルガートがこの場に居たならば、人の事を言えた口かと嫌味の一つでも漏らしたに違いない。
「……あの副官の方ですか?」
ラーソルバールとしても先程の視線がやや気になっていたので、訝しみながらも問い返した。
「あいつはボロア二月官。確か俺のひとつかふたつ年下だったか……。騎士学校首席卒業という実績が示す通り頭は切れるんだが、それ以上に口も性格も悪い。子爵家だかの三男坊だそうだが、キザっぽい顔も含めて実にいけ好かない奴だ」
ギリューネクの批評が聞こえたのか、周囲から失笑が漏れる。
相手が子爵家の子息という事であれば、貴族嫌いのギリューネクの言葉を全てを鵜吞みにはできないが、周囲の反応もその評には否定的ではないように見える。
モレッザの件も有り、さすがに今更「私はあの方に何かした事はありませんが」とは言えない。
彼には自らの出世を阻む敵だとでも認識されているのか、それとも男爵家の娘ごときが何故爵位をという思いだろうか。
もちろん、ラーソルバール自身が望んで昇進したわけでも叙爵されたわけでもないのだが、モレッザを含めそうした見方をする人も居るのだというのは理解している。ただ、さすがに団長を補佐する副官あたりに敵視されるのは避けたいところではあるが。
「嬢ちゃん、あまり気にすんな。何かあれば俺たちが助けてやるさ」
前の椅子に腰掛けていた男が振り返らずに、そう言って掌だけを躍らせた。聞き覚えはある声だが接点がそう多い相手ではないのか、すぐに顔と名前を思い出せない。
「あ、有難うございます……」
ラーソルバールは顔の見えない相手に会釈を返した。
「いやまあ、どうせすぐにお前さんの方が俺たちや奴よりも偉くなるだろうがな」
「ちっ、人気者じゃねぇかよ……」
「ああん? お前だったら助けてなんかやらねぇよ?」
舌打ちしたギリューネクをからかうように、前に座る男は小さく笑った。
「おうおう、何て酷い先輩もいたもんだ」
ギリューネクはそう小声でぼやくと、苦笑しつつ背もたれに寄り掛かった。その直後。
「おう、お前ら! 黙って話を聞け!」
各所で漏れる囁きに、業を煮やしたランドルフから怒号が発せられる。戦場で敵を威圧するそれよりは抑えられているものの、腹に響くような声は一般人であれば萎縮してしまうに違いない。
「これからは情報収集だけでなく、戦争を前提とした破壊活動を未然に防ぐための不審者の摘発、北方の警備強化とやる事は山のようにある。気を引き締めていかにゃ、国どころか自分の命も守れんぞ!」
ランドルフの言うようにこれからは各地の衛士だけでなく、騎士団もやる事が山のように出てくるのは間違いない。
帝国に関するものであれば些細な情報でも取り込んで精査し、後手に回らないように細心の注意を払わなくてはならなくなる。こうした対応が手一杯になれば、帝国に無関係と判断された犯罪者への対応が遅れるような状況にもなりかねない。
そうなれば、未だ見つからないベッセンダーク伯爵の行方を追う手も緩むのだろうか。面倒ごとの種が消えないということにラーソルバールはため息を漏らす。
「団長の仰る通り、我々騎士の一部も情報収集の任にあたる可能性があります。また状況によっては、休暇が返上となったり夜間の出動となる場合もありますので、飲酒はなるべく控えるようにして頂きたい。そのあたりは十分に理解されているかと思いますが」
ボロアはそう抑揚無く事務的に告げると、誰もが苛立つように表情を険しくさせた。
この状況がいつまで続くか分からないためある意味当然の話なのだが、残念ながら騎士になった者すべてが国や民を守るという志を持っているという訳ではない。生きていくために職業として騎士をやっている者もいれば、実家の家督を継ぐ前の腰掛にしている者もいる。騎士としての意識がそう高い者ばかりではないのだから、緊張感を持ち続けろというのは難しい話である。
言っていることは正しいし、副官の仕事としては申し分ないのだろう。だが、ここで反感を買うような事をしても誰も得をしないのだから、もう少し言い方を工夫すれば良いのではないか、とラーソルバールは思う。
だがもしかしたら、わざわざ自身に怒りの矛先を向けさせることで、軍務省や騎士団上層部への反感を薄れさせる狙いでもあるのだろうか、などと考えてしまう。
「まあ、どう状況が転ぶか分からんから、いつ出撃命令が出ても良いように各々準備だけはしておくように。部下し伝達して管理もしっかりとしておくように。以上だ」
ランドルフは言い終わると、大きく手を叩いて散会の合図とした。
「やれやれ……。帝国軍の侵攻はすぐに国民の耳に入るだろうし、厄介な事にならなきゃいいが……」
席を立つ際に漏らしたギリューネクの一言、それが誰もが懸念していることであったに違いない。




