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聖と魔の名を持つ者~剣を手にした少女は、やがて国を守る最強の騎士となる/ラーソルバール・ミルエルシ物語~  作者: 草沢一臨
第三部 :第五十一章 野心の先

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(二)闇夜②

『蔦に鹿』とはベッセンダーク家の家紋であり、直接名を出すのを避けるための隠語である。捕縛命令の出た者を逃がしたというのは、国としても不名誉なことであり、シェラはその名前を口に出すことを憚ったのである。

「まだ国内に潜伏しているのか、他国へ逃げたのか。いずれにせよ、不安の種が残ったままどう出るか分からないというのは、どうにも気持ちが悪い事この上ないな」

 エラゼルが表情を曇らせると、眉間にしわを寄せた。

「爵位も剝奪されて領地も没収されたのだから、大した事もできないとは思うけど」

「いや、ある程度の金さえ持ち出していれば人を雇う事も出来る。それに、逃亡を幇助した者がいるらしいとの事だから、その動きも気になる」

 エラゼルはシェラの楽観的な見方を打ち消すと、苛立ちを抑えるようにティーカップを口へと運んだ。

「どこかの誰かは……特に厄介事を招く体質だから……」

 エラゼルの言葉に、やや苦笑いを浮かべながらフォルテシアが続いた。

「うむ、それは間違いないな」

 エラゼルはラーソルバールに視線をやると、カップをテーブルに戻しつつ口端をわずかに上げてにやりと笑った。

「な……!」

 言い返そうにも過去に思い当たる節がいくつもあり、ラーソルバールは何も反論できずに言葉を詰まらせた。

「全くもう……。年頃の娘が揃っているというのに色気のない話をして……」

 話の内容が聞こえていたのか、イリアナはエラゼルの後ろを通り過ぎようとした足を止め、呆れたように苦笑いを浮かべた。

「命を狙われたのですから、他人事で済ませる訳にはいかないではありませんか!」

 姉に抗議するように、エラゼルは声を荒げる。

「そうね……。その件は国として動いているから、大丈夫だとは思うけれど警戒するに越したことはないわね。……と、それはともかくとして、貴女は少し華のある会話を身につけておきなさい。でないと殿下に嫌われるわよ?」

 妹をからかうように掌をひらひらと躍らせると、イリアナは自らの友人たちの待つテーブルへと歩いていった。

「華のある話……?」

 フォルテシアが小首を傾げた。

 騎士である父の後を追うように剣の道に入った彼女にも、あまり縁のない世界なのだろう。ちらりとシェラに視線をやるも即座に視線をそらされ、仕方なしといったように隣のディナレスを見つめた。

「え……と……。正しいかどうかは分からないけど……。普通の町娘が話すような美味しい食べ物とか、貴金属やドレスみたいな身を飾るものの話とか……物語や劇なんかの話かな。あとは色恋の話とか?」

 ディナレスの自信の無さそうな答えに、フォルテシアは疑うように眉間にしわを寄せて目を細めた。

「まあ、ともかくエラゼルは国母としての教育はされていても、そういうのには疎そうだから……」

 先程の仕返しをするようにそう言って、ラーソルバールは悪戯っぽく笑う。

「ば……馬鹿にするでない、ラーソルバールだって人の事を言えた口か?」

 少し顔を赤らめつつ切り返したエラゼル。次の瞬間、ラーソルバールと視線が合うと二人で同時に笑い出した。

「あはは……そもそも私達は騎士学校出身だからね。そういう話よりも犯罪者や盗賊やら怪物の退治とか、国家情勢の話をしている方が性に合ってるんじゃないかな……」

「ふふ……そうかもしれぬな」

「もしかしたら今頃、殿下も返品するかどうか悩んでいるかもよ?」

「ふむ。返品されたとて二番手も同じとなると、三番手に話がいくのではないか?」

 この場に居ないファルデリアナに対してて実に失礼な発言ではあるが、二人の華のない会話によってテーブルを囲む友人たちの笑いで包まれたのだった。


 そんなエラゼル達を見つめる視線があった。

「イリアナ様……。あちらのテーブルは随分と楽しそうなご様子ですが、下の妹君の横に座られているのは、王太子殿下の婚約者次席の方ではありませんか?」

 イリアナの招待客の一人が訝しげにそう尋ねた。

「ええ、間違いありません。彼女がそのミルエルシ男爵ですわ」

「あの……このような事を申し上げるのは失礼かと思いますが、妹君に何か有れば繰り上がりで婚約者となる方であれば、万が一の事が……」

「ご心配には及びません。彼女は妹の良き友人です。それにご本人も殿下に対する好悪は別として、できる限り王太子妃にはなりたくないので、全力でエラゼルを支えると仰っているくらいですから」

 相手の言葉を制するように、イリアナは言葉を被せた。

 何も知らない周囲の者達からすれば「王太子妃の席は喉から手が出るほど欲しいもの」という固定観念があるため、そうした事情を知っても理解はできないだろう。

 果たして自分も彼女が命の恩人ではなかったなら、その枠から抜け出すことは出来ただろうかと思う。

 そうした人々の疑心が、二人の間に亀裂を作りかねないという危うさを感じ、イリアナは身震いした。


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