(三)「聖女」と「聖なる乙女」②
(貴女が侯爵家と事を構えるのは悪手ですわよ……)
相手は侯爵家の娘だけに、男爵位を持っていたとしても分が悪い。それが分かっているファルデリアナはすれ違いざまに耳元で囁くと、ラーソルバールの前に立つように前に踏み出した。
「よりよって今日この場で、王太子殿下の婚約者を悪しざまに言うような愚か者が紛れ込んでいるとは、夢にも思いませんでしたわ。戦が有れば館に引き籠り、安全と見るや他人を貶めるような事ばかり口走る。何とも薄汚い鼠のような卑怯者が居るようですが、そんな輩が聖なる何とやらを騙るとは世も末ですわね」
わざわざアストネアに聞こえるように言うと、ファルデリアナは振り返ってラーソルバールに目配せをする。
「なっ……!」
アストネアは自身が侮辱された事に気付いたのか、ファルデリアナに怒りの視線を向ける。そして激高したようにアストネアは人々の間を抜けて距離を縮めると、ファルデリアナに詰め寄った。
「三番手にしかなれなかったファルデリアナ様が、何を仰いますのでしょう?」
「あら? 候補にすら選ばれなかった自身をどう評価されているのか知りませんが、少しは身の程を弁えた方がよろしいですわよ?」
「ぐっ……。わ、私は教会に唯一選ばれた『聖なる乙女』です。婚約者の候補から外れたのは年齢が至らなかったからに違いありませんわ!」
痛いところを突かれて一瞬言葉に窮したものの、教会からの後押しがあり、侯爵家という家格に守られるという自信からか、アストネアの強気な姿勢が崩れることはない。
呆れたように小さくため息をつくと、ファルデリアナは憐れむような目で相対する娘を見た。
「教会も随分と無知で下品な小娘を選んだものですわね……」
「失礼な! 大体、私はただ真実を述べたまでですのに、何故責められねばなりませんの? 貴女方が彼女に負けた理由を肯定したいだけじゃありませんか!」
アストネアは反省の色を一切見せずに、逆に食って掛かる勢いを見せる。たまりかねたラーソルバールは、ファルデリアナの陰から出るように半歩動くとアストネアを睨みつけた。
「エラゼル様は戦場でも凛とした佇まいで、向かい来る敵将を見事に切り捨てたと、第一騎士団の騎士達の間でも絶賛されております。そもそも、戦場へは王太子殿下も同行されて共に馬首を並べて戦われたそうですが、その殿下までもが嘘をついておられると侮辱なさっているように聞こえるのですが?」
「な……」
アストネアは絶句した。
エラゼルを蔑むつもりの発言が、王太子を侮辱しているととれる発言だったと今更のように気付き青ざめた。慌てて後ろを振り返り父の姿を探すも、どこかへ移動したのかその姿はない。先程まで共に話していた令嬢たちも視線を外し、逃げ腰でアストネアの擁護に入る気配はなかった。
周囲の視線も冷ややかで、誰も助けに来てくれる様子も無い。もはや開き直るしかないアストネアは、扇でラーソルバールを差し唇を噛んだ。
「……所詮、貴女も騎士の一人、噂の片棒を担いでいても不思議ではありませんわ! そもそも殿下の御名を出せば、自分たちの言い分が通ると思っているとは何と卑怯なのでしょう! 今日は教会の顔を立てる為に出席したまでですので、ここで帰らせて頂きますわ!」
衆目の中で恥をかいたアストネアはさっと身を翻すと、集まってた人々をかき分けながら逃げるように二人の前から姿を消した。
アストネアがこの場から去った事で、集まっていた視線も散って周囲は和やかな雰囲気を取り戻し始めた。
(一歩間違えれば、私もああなっていたかもしれない……)
複雑な思いを抱えつつも、ファルデリアナは安堵したように吐息を漏らした。
「お疲れ様でした」
気疲れしたようなファルデリアナの横顔を見て、ラーソルバールは苦笑いを浮かべながら小さな声でファルデリアナを労う。
「やれやれですわね……」
ファルデリアナもそれに応えるように、苦笑いを返す。と、その時。歩み寄ってくる気配に気付き、二人は振り返った。
「あまり大事にならないうちに済ませてくれて助かった。ファルデリアナにも、ラーソルバール嬢にも感謝する」
背後からやって来たのは、先程まで貴族達に取り囲まれていたはずのウォルスターで、慌てて二人を含め周囲に居た者達が頭を下げた。
突然現れた事にラーソルバールも少々驚きはしたものの、この人の事だから貴族達の関心がアストネアに向いた時に、気配を消してうまく逃げたのだろうと納得した。
「殿下達がそうやって甘やかすから、あの女がつけ上がるのですわ」
頭を挙げるなりファルデリアナは文句をぶつけると、ふいと顔を背けた。
「そう言ってくれるな。あれも我々にしてみれば妹のようなものだよ」
エラゼル、ファルデリアナら公爵家の娘達と同じように、侯爵家の娘である彼女もまた王子と近しい存在なのだろう。では彼女が妹なら、エラゼルやファルデリアナの事を王子達はどう思っていたのだろうかと、ラーソルバールは少々気になった。




