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聖と魔の名を持つ者~剣を手にした少女は、やがて国を守る最強の騎士となる/ラーソルバール・ミルエルシ物語~  作者: 草沢一臨
第三部 : 第四十八章 つむじ風

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(一)ベッセンダーク事件③

 事件があってから二日後、ある貴族が法務省からの呼び出しを受けて登城した。

 裁判所からの呼び出しでは効力が薄く、貴族相手では逃げ切られると判断して法務省からの呼び出しという形になったのである。

 事情聴取という名目ではあったが、言い逃れもできない程の証拠を突きつけられ、その貴族は事故を起こしたことを認めざるを得なかった。


 貴族の名はオイレ・ベッセンダーク伯爵。蔦に鹿の家紋を持つ家である。

 事故のあった日のこと。ベッセンダーク伯爵は領地報告書の不正記載発覚の為、事前に宰相より登城するよう要請が有ったにも関わらず、前夜の愛人との深酒がたたって大きく寝過ごしてしまった。

 執事らが部屋の扉を叩くなどして、起こそうと試みたものの効果は無く、目が覚めた時点で指定時間まであとわずかという状態。慌てて着替えて馬車に飛び乗ると、御者を急き立てて暴走とも言えるような速度で馬車を走らせたのである。

 そして起きるべくして起きた事故。

 目撃証言や状況証拠だけでなく、現場に残っていた破片と、馬車に残っていた血痕までもが、警備兵と法務省の協力によって調べ上げられていた。そこには少なからずラーソルバールの署名の入った事故の証言調書が影響を及ぼしていた。


 証拠を突きつけられ事故を起こしたことを認めながらも、ベッセンダーク伯爵はふてぶてしい態度を崩そうとはしなかった。法務大臣であるライアード伯爵は、苦りきった表情でベッセンダーク伯爵を見詰めた。

「ベッセンダーク伯、王都内を馬車で暴走して接触事故を起こし、さらには被害者が重傷を負っているにも関わらず、平民と侮り無視して走り去るなど言語道断の行い。今回の処分は最終的には裁判所で下されますが、領地の一部を没収および罰金を軸とした判決が申し渡されると覚悟されよ」

「なんと! たかが馬車の事故程度でその処分は重すぎる!」

 言い渡された内容が納得いかなかったのか、ベッセンダーク伯爵は机を拳で叩きつけると法務大臣を睨みつけた。

「たかが事故ですと……? 今回の行動でどんな影響が出るか考えはしなかったのですか? 幸いにして被害者は近くに居た、とある人物によって一命を取り留めましたが、それが無ければ亡くなっていたかもしれません。貴族は平民を軽んじており殺しても何も感じないのだと思われてしまえば、どうなるとお思いか」

「ライアード伯……偽善はいけませんな、爵位を持つ者のほとんどが平民など何とも思っては居りませんぞ? 彼らは搾取の対象でしかないと考えておりましょう」

 自らの非すら正当化しようと、声を荒げ半ば挑発するように言い放つ。

「屁理屈を……。いずれにせよ、この処分の骨子は陛下と宰相閣下の認可を得ています。争いたければ裁判所で争うが良かろう」

 法務大臣として冷静さを欠く訳にはいかず、ライアード伯爵は無駄な言い争いを避ける事を選んだ。

「貴族が裁判所などに行けるものか!」

「行かなければ単純に結審して強制執行されるだけの事。被害者がもし死んでいれば処分はもっと重かったでしょうな。被害者を助けた人物に感謝するといいでしょう」

 最後は冷たく言い放つと法務大臣は席を立ち、ベッセンダーク伯爵を残して部屋から出て行ってしまった。

 残された男は、事件が自身の行いによって引き起こされたのだという事すら忘れ、怒り狂った。

「おのれ……おのれ……」

 ベッセンダーク伯爵の怒りの矛先は法務大臣であるライアード伯爵と、馬車に()()()()()()()平民、そしてその平民を助けたという存在へと向けられた。


 怒りの収まらぬ伯爵は自邸に戻った後、家令のひとりを呼び寄せ、次のように告げた。

「怪我をしたと()()()()平民と、そいつを擁護した奴を調べ上げろ」


 翌日、望んだ情報はすぐに手に入った。

 そして悪意は走り出す。

「成り上がり者の小娘が私を陥れようと、平民どもと示し合わせて事件をでっち上げた」

 ベッセンダーク伯爵はそう吹聴して回った。

 貴族の中には、十六歳で男爵位を得たラーソルバールを快く思わない者も少なからずおり、ベッセンダーク伯爵の言葉が真実ではないと知りつつもそれを受け入れた。

 間もなく、話には尾ひれがつき始める。

「大した戦功も無いのに、虚偽の報告を行い男爵位を得たという話だ」

「小娘はメッサーハイト公爵に媚を売って爵位を買ったのだ」

「体を使って爵位を得たのだ。それが公になりそうになったので、王太子の婚約者になり損ねたらしい」

 ベッセンダーク伯爵が言ったのか、それとも誰かが都合よく付け加えたのか。人々の口は悪意を紡いだ。

 そうした動きをどこで聞きつけたのか、一人の男が動いた。大司教ヘルエド・マリザラングである。「聖女を騙る存在」であるラーソルバールを陥れる好機と見たのか、教会の力を使い貴族達に多方面での協力を申し出たのである。

 貴族達は差し伸べられた手に懐疑心を抱きつつも、共犯者として彼を受け入れた。

 関わる貴族を自らの手駒にしようという狙いか、はたまた別の思惑か。腹の内は見えないが、貴族達も自分たちの目的の為にこの男を利用してやろうと考えたのである。


 事故発生からしばらくの間「ベッセンダーク事件」とは、一般的には馬車による接触事故を指すものとされた。だが後世、この事故に端を発した事柄全てを意味するようになる。

 そう、小さな事故は始まりに過ぎなかったのである。


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