(一)濁流③
ラーソルバール達が門の前で剣を交え始めた丁度同じ頃、ジャハネートは防壁の上で苛立ちを露わにしていた。
門を破壊されたことで、状況を確認しようと防壁から門の内側を覗き込んだのはいいが、想定外のものがそこに見えたのだ。
「あんの……筋肉馬鹿っ! 次に顔見たらぶん殴る!」
筋肉馬鹿とはランドルフを指したもの。そしてジャハネートの苛立ちの理由は、門の内側で金髪を躍らせ剣を振るう自軍の騎士。
似たような金髪の騎士なら他にも居るが、他者を圧倒する程の流れるような動きと無駄の無い剣捌きを見れば、ラーソルバール以外には有り得ないという事がすぐに分かる。
「なんであの娘が一番危ないところに居るのさ!」
怒りを叩きつけるように言葉が口を突いて出る。
ランドルフには彼女をなるべく安全な場所で戦わせろと言い含めたのに、よりによって一番危険な場所で白兵戦をしていようとは夢にも思わなかった。
今すぐにでも援護に行きたいが、騎士団長であり現場の指揮官でもある身としては持ち場を離れる訳にもいかない。ラーソルバールの腕ならば、そう易々と敵の手にかかることは無いと分かってはいるつもりなのだが。
「ああ、もうっ! シャスティ! アレはまだかいっ!」
荒い口調で副官を呼びつけつつ弓を引き絞って放ち、また砦に押し寄せる敵兵二人を同時に射抜く。
「ハイッ! 用意はほぼできました!」
「『ほぼ』じゃないよ! 早くしなっ! 今すぐ!」
「わ……分かりましたっ!」
これは言い訳できない状況だ。咄嗟に悟ったシャスティは瞬時に身を翻すと、慌てて走り出した。
「早くっ! 急いでください! 早くしないと私が今すぐ団長に殺される! ……っていうか皆さんも殺される!」
部下達が目的の物を運んできたのを見つけると、シャスティは支離滅裂な言葉で皆を急かした。
「いや、だってこれ重いんですよ……」
「魔力でも魔法でも何でも使っていいですから、早く早く! 門を破壊されているんですから猶予なんかこれっぽっちも無いんですよ! 団長の心の猶予なんか全くないんですよ!」
シャスティの言葉で大荷物を運んできた騎士達の顔は青ざめた。
「お……おい、急げ!」
騎士達は重い荷物を担いだまま慌てて階段を駆け上がり、シャスティに誘導されるままに、息を切らしながらジャハネートのもとへとやってきた。
「遅いっ!」
運ばれてきた荷物を一瞥すると、ジャハネートは一同を怒鳴りつけた。
「すみません、大きくて重いもので……」
「言い訳はいいから早くしなっ! アンタたちが遅れる分だけ仲間の命が危険に晒されるんだよ!」
叱咤しながらも次々と矢を放つジャハネートの形相に、誰もが言い訳を口にするのを止め、黙々と仕上げ作業を始めた。
そしてジャハネートが七本目の矢を放ったところでシャスティが立ち上がった。
「できました! 今すぐ行けます!」
「報告はいいから、さっさとやんな! 狙いを外すんじゃないよ!」
「はいっ!」
シャスティは手早く指示を出し、全員の準備が整ったのを見てから、敵兵が押し寄せる防壁の下を覗き込んだ。
「三つ数えたら、息を合わせて門の前に投下してください! では、一、二、三っ!」
シャスティの合図とともに、防壁上から大きな薄茶色の塊が投下された。
その塊は落下中に弾けるように大きく展開し、砦へ侵入しようと破壊された門へと殺到していたゼストア兵達の頭上に覆い被さった。
「何が起きた!」
「網だと!」
それは剣でも切断しにくいよう太めの縄で作られ、更に糸状の金属を巻き付けた巨大な網。突然の出来事に逃げ場無く巻き込まれた兵達は、口々に何かを叫びながら網から抜け出そうと試みる。
だが、その猶予さえも殆ど与えられる事は無かった。
「油かっ?」
網を掴んだ兵士が手を滑らせた事に違和感を覚えたが、既に遅かった。
防壁の上から最初に網に投下されたのは雷撃の魔法。それは網に絡められた金属を伝い、網の下に居た兵にとどまらず、救助しようとしていた兵達にも激しい衝撃を与えた。
バチバチという激しい音が周囲に響き、金属の鎧も災いしてゼストア兵達は声を上げる間も無く電撃により失神する。そして次に彼らを襲ったのは炎球だった。
炎は網の上で一度大きく弾けると縄に染み込んでいた油を伝って全面に燃え広がり、失神していた兵達は逃れる術も無く次々に炎に包まれていった。
「何てことだ……!」
西側の総指揮として自軍の攻勢の様子を背後から見ていたゲラードンは、立ち上がる炎に唖然とした表情を浮かべると、落胆のあまりそのまま絶句した。
恐らくはこの一瞬で百以上の兵を失う事になったに違いない。だが、それだけではない。今、炎と網の下の兵士が突入口を塞ぐ形となって、砦に侵入した兵達はそのまま孤立する事になる。
炎を消したとしても、門の前で死んだ兵達を動かすにも危険が伴うし、再突入するまでには時間もかかるだろう。
考えていた次の一手さえも、この一瞬で消し飛んでしまった。
「女豹め……!」
ゲラードンは遠く防壁の上で指揮を執る赤い鎧を恨めしげに睨んだ。




