(二)エラゼルの姉②
「では、食べ物と、飲み物を持って参ります」
「あら、悪いわね」
ラーソルバールがその場を離れようと、三歩ほど歩いた時だった。
「……?」
視界の端が一瞬ぶれた。
その瞬間、殺気を感じて鳥肌が立った。
「イリアナ様、右へ!」
叫ぶと同時に、赤いドレスが舞った。
ゴツッという鈍い音がした次の瞬間、何かがイリアナの橫を抜け、バルコニーの柵に激突した。
「何です?」
イリアナが驚き、声を上げる。
激突音のした辺りの空間がぼやけ、黒い服の侵入者が姿を現した。
ラーソルバールの蹴りをくらい、吹っ飛ばされたのだった。
「ぐ……」
呻きながら立ち上がる侵入者の手には、小剣が握られている。
顔を隠して、全身を闇に紛れ込ませるように黒い服で包んでいる。
「暗殺者か?」
咄嗟の飛び蹴りで先制攻撃を加えたが、ラーソルバールは素手。
魔法の詠唱時間も与えられるはずもなく、イリアナを守らなければならない。この不利な状況で戦うというのは命懸けだった。
この暗殺者を会場に入れてしまえば、混乱で会は台無しなるだけでなく、不特定多数が危険に晒されるうえ、人混みで戦うことすらままならなくなってしまう。
バルコニーに足止めして、対処しなければいけない。
そして、暗殺者の標的は誰か。恐らくはイリアナだ。
相手と対峙したまま、ジリジリと動き、イリアナと暗殺者の間に入り込む。
「イリアナ様! あれを会場に入れる訳にはいきません。ですから……」
「標的はここに居ろということね。了解したわ」
「申し訳ありません」
顔色ひとつ変えずに言ってのけるあたりは、さすが公爵家の令嬢といったところだろう。
「ただ、私が倒れそうになったら、即座にお逃げください。何としても足止めしますから」
「あら、貴女は倒れないわ。だって、エラゼルより強いんでしょ」
イリアナは余裕の笑みを浮かべた。
まず先に暗殺者が動いた。小剣を構え、標的の前に立ち塞がる邪魔者の排除を優先する。
暗殺者の白刃が閃く。
赤いドレスを踊らせながら、ラーソルバールは腕や体を使って暗殺者の剣を近付けさせない。間を取らせて様子を伺う。
とはいえ、剣を持っていないので思うように相手の剣を捌くことが出来ない。剣技の動きを利用して動いて居るが、できる事には限界がある。更に、相手に対して有効な攻撃手段が無いのが問題だった。
隙を見せて相手を誘うか。だが、下手をすれば背後のイリアナを危険に晒すことになる。ラーソルバールは迷っていた。その僅かな迷いを見透かしたか、ラーソルバールが行動に移る前に暗殺者が動いた。
剣を捌かれる事に苛立っていた暗殺者は、少し勢いをつけて煩わしい小娘を切り捨てようと、振りかぶった。
次の瞬間、ラーソルバールは暗殺者の剣を持つ腕を左肘で止めると、右の掌底で顎を弾き上げる。衝撃に相手がよろめいて一歩下がったところへ、駄目押しのように前蹴りを腹部に叩き込んだ。
暗殺者は再び柵に激突し、大きな音を立てた。が、楽隊の音楽と賑やかな会話に紛れて、会場でこの音に気付く者は居ない。
ラーソルバールは隙を見せぬよう、転がってきた暗殺者の小剣を拾い上げた。
手持ちを失った暗殺者は、腰にあった予備の剣を抜き、左手に短剣を持つ。
そして視点を切り替えた。
(イリアナ様に狙いを変えた)
暗殺者の一瞬の目の動きを読んで、ラーソルバールは悟った。
厄介な娘に時間をとられるより、標的を始末する方が早い。暗殺者がそう考えたのも、無理からぬ事だった。
それならば彼女を守るように戦えばいい。だが、ラーソルバールには気になる事が有った。
本当に敵は一人なのか。
目の前の敵に集中しすぎては危険だと、勘が激しく警鐘を鳴らす。
(どこだ、どこから来る?)




