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聖と魔の名を持つ者~剣を手にした少女は、やがて国を守る最強の騎士となる/ラーソルバール・ミルエルシ物語~  作者: 草沢一臨
第三部 : 第四十三章 時の渦

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(四)闇夜に踊る②

 ゼストア軍の死者は四百名を超えた。

 重軽傷者は治癒を行い戦列に復帰することができるが、精神的な影響は大きいだろう。だが、それも総勢四万を上回る規模を考えれば大きな影響は無い。

 負傷兵の治癒の為に距離を取るよう陣を下げたことで、僅かに戦いへの恐怖感は薄れた。相手が少数で自らが大軍という安心感もある。


 陽が沈み暗闇に包まれる中、即席の竃の煙がいくつも闇に昇り炎は大地を照らす。

 やがてその炎が消え篝火だけが残ると、新月が近く痩せ細った二つの月は地上に光を与えてはくれず、周囲には一気に暗さを増した。

 兵士たちが糧食を口にしながら眺める先にあるもの。遠く灯で薄ぼんやりと浮かび上がる砦は陽炎に似て、現実のものでは無いように思える。目に映るその妖しさに、誰彼となく「あそこには悪魔が棲んでいる」「ヴァストールは悪魔と契約した」と口にしながら、夜は深まる。

 突然何事も無かった場所にいきなり炎が現れるなど、通常では有りえない。だからこそ悪魔だと思い込む。そしてそれが夜の闇に背を押され、見えないものへの恐怖へと変わる。

 兵士たちが恐怖を口にしつつも、見張りを残して寝静まった頃だった。

 夜の静寂を破るように突然、恐怖に怯えた兵士の声が響き渡る。


「悪魔だ、悪魔が来た!」

 突然燃え上がる炎。それは悪魔の襲来か。天幕は次々と炎を纏い、闇を紅く染め上げる。

 そして、漆黒の馬に跨り、黒い鎧をまとった一団がゼストア軍の陣を駆け抜ける。

「悪魔だ……! 闇から悪魔が現れたぞーっ!」

「うわぁぁぁ! 炎が……、炎が襲ってくる!」

「逃げるな! 悪魔を撃退しろ!」

 怒号と悲鳴が入り混じる中、そこかしこに炎が上がりゼストア軍は混乱に陥った。

 恐怖を堪えつつも、先頭を走る悪魔を迎え撃とうとした兵士たちは、馬上から振り下ろされる戦斧によって瞬時に薙ぎ倒されてた。勇気を振り絞って黒い集団に刃を向けようとした者はいずれも剣を交える事無く切り倒されていく。砦からは襲ってこないと言う油断からか、就寝時に鎧を脱いでいた者が大半であり、悪魔の集団の奇襲には為す術がなかった。

「うわぁっ! 何をするんだ!」

「消えろ悪魔め!」

「やめろと……!」

 騎馬集団以外にも表れた漆黒の鎧が兵士たちの混乱を助長する。それは幻術によって姿を「黒い鎧の悪魔」に変えられた兵士。仲間であるはずの兵士たちは疑う事も無く剣を向け襲い掛かり、姿を変えられた者は我が身を守る為に反撃をする。


 ジャハネート発案による少数での奇襲作戦。

 二百名の精鋭を集めた奇襲部隊。先頭をランドルフが担い、殿をジャハネートが務めている。全員が夜陰に紛れるよう黒い馬を選び、騎馬の速度を損なわないよう黒く染め上げた革鎧を身に着用した。

 そして、悪魔の炎の正体は油樽から発想を得た小型の酒瓶。

 初手は屈強な者数名が身体強化を施し手持ちの投石器スリングで投げたもの。あとは突入時に混乱に乗じ、各自が一個ずつ携帯してきた物を篝火を狙って投げ込むだけ。また、数組だけ魔法使いを乗せた二人乗りの騎馬が混ざり、それを守るように騎馬隊は編成された。

 この奇襲部隊には本人の意思とは無関係に、上司であるランドルフに選ばれたラーソルバールやギリューネクも参加させられている。当初、ラーソルバールが連れてこられたのを見て、ジャハネートは激高した。

「馬鹿筋肉! アンタ、この娘の立場分かってて連れてきたのか!」

 王太子の婚約者次点にあたる人物だという認識があるのかと聞いたのだが、当のランドルフはというと。

「精鋭を集めるんなら、必要だろ? 本人も拒否しなかったし……」

 などと、あっけらかんと答えたので、ジャハネートは唖然として言い返す事が出来なかったのである。


 そのラーソルバールはというと、ジャハネートの配慮により漆黒の部隊の比較的安全な中団に配されていた。しかし、ランドルフが戦闘で道を切り開いているとはいえ、敵が襲ってこないという訳でもない。既にラーソルバール自身も向かってきた数人を切り倒しており、絶対的な安全という訳でもなかった。

(前が鈍った……?)

 奇襲はなるべく短時間で広範囲を巡り駆け抜ける策。少数での切り込みだけに、大軍の中で足を止めれば危険度は跳ね上がる。騎馬の足が鈍ったのは、前方に見える豪奢な天幕の付近で阻まれているからだろうか。敵に囲まれたか、厄介な相手に遭遇したか。

 ジャハネートが近くに居たなら「欲をかいて大物を狙いに行ったからだ」と言っていただろう。

(囲まれるとまずい……)

 危惧した直後だった。

「その剣捌き……。獲物だ!」

「えっ……!」

 凄まじい殺気を感じて、ラーソルバールは剣を走らせた。


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