(四)騎士と爵位②
通り過ぎて行った女性から視線を戻すと、見知った人物がやって来るのが見えた。
「何だ、珍しいな……。お前がこんな所に居るなんて」
ギリューネクだった。
「珍しいって……、中隊長はいつもこちらに来られているような口ぶりですね?」
「そうそう。ほとんど毎日だよ」
ラーソルバールの問いかけに対し、ギリューネクの隣に居た男が代わりに答えると、にやりと笑った。
「独身だからさ、飯作ってくれる人もいないし、暇だし……」
「バリュエ……同期だからって余計な事を言うんじゃねえ! お前もだろ」
さらに続けたところをギリューネクに止められた。
「おっと、すみませんでした、一月官殿!」
わざとらしく答えたあたり、同期という事もあって仲が良いのだろう。その軽妙なやり取りに、ラーソルバールとシェラは下を向いて必死に笑いをこらえる。
「そういや、さっきはどうした? 妙な顔してたが……」
「え……ああ……、中隊長はあの女性をご存知ですか?」
ギリューネクの問いに答えてから、ラーソルバールは少し驚く。
今までのギリューネクならば、それこそ先程の女性のように睨むか、見て見ぬふりをして通り過ぎたはず。こちらを気遣うような言葉などかけてくる事も無かっただろう。
「あの女か? 俺と同じ一月官だが、年は向こうの方が若い。二十三か四くらいだったと思うが……。あいつがどうかしたのか?」
「先程、妙に敵意剥き出しな感じで睨まれたもので……」
素直に答えてよこすあたり、ギリューネクに心境の変化でもあったのだろうかと、むしろそちらの方が気になってくる。
「ちょうど良いから相席させてもらうよ」
ラーソルバールの可否を聞く前に、バリュエは嬉しそうに隣に腰掛ける。そんな相棒を見て、少々嫌そうな顔をしながら、ギリューネクはシェラの隣に座った。
「彼女は、我々と同じ第一騎士団所属で第八中隊長のリスファー・ロア……いや、今の姓はモレッザだったかな。元々は平民だったんだが、男爵家が何かの婚外子だったことが分かって、引き取られたらしい。何でも最近そこの家の子息が事故死したとかで、跡継ぎが必要になった途端に思い出したように連れてこられた、とかいう話さ」
「騎士学校では首席だか、次席だかだったと聞いたことがある。優秀だったから、という事もあるんだろうな」
「はぁ、なるほど……」
バリュエとギリューネクの説明がやけに詳しいので、黙って聞いていた二人は少々驚いた。
「綺麗な人ですしね」
相槌をうつように、シェラが愛想笑いを向ける。すると、得心がいったというように、ラーソルバールは小悪魔のような笑みを浮かべた。
「あぁ、そういう事ですか」
その様子に気付いたバリュエは、酒と食事を注文しようと品書きに伸ばした手を慌てて止めた。
「いや……以前に平民だから嫁にしようかとか考えた奴が居たんだよね……」
言いながら、ちらりとギリューネクの顔を見る。
「ばっ……! 何言ってる、それはお前だろ!」
部下の手前、下手な事を言われたら困ると言わんばかりに、ギリューネクは顔を赤くしながら全力で否定する。普段見たことも無いような表情に少し驚きながらも、ラーソルバールは新鮮味を感じてくすりと笑った。
「ああ、そういう事か。うん、俺だって事にしておいていいよ」
バリュエは何か余計な気を回したかのような台詞を吐きつつ、ラーソルバールの顔をちらりと見やり、したり顔で笑う。だがラーソルバールにはその意図が理解できず、不思議そうに首を傾げた。
「彼女もあの世代ではかなり出世している方だからな。要は同じ男爵家だかの娘という事で、妙な敵愾心でも持っているんじゃないか?」
務めて真面目な顔をすると、ギリューネクは自身の予想を口にする。
「無理もないよね。君は正騎士になったばかりだというのに、もう三星官だからね。妬みとかの対象になるかもしれない。せいぜいこの上司を風除けに使うといいよ」
「馬鹿言うな。俺なんか風除けになるか。それに……いや、何でもない」
ギリューネクは言いかけた言葉を止めた。
ラーソルバールに対して以前のような敵対心は無いということは自覚している。風除けというのも、今なら上司としてやぶさかではない。だが、ルベーゼの拉致未遂事件の事もあり、すぐに上司ではなくなるだろうという思いがある。
事件を秘匿する必要もあり、第二騎士団では知られている事だが、他の騎士団に知られる訳にはいかない。
「さあ、酒と飯だ。今日は俺たちが払うから好きなものを頼め」
ちゃっかりとバリュエを巻き込みながら、ギリューネクは話を逸らした。




