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聖と魔の名を持つ者~剣を手にした少女は、やがて国を守る最強の騎士となる/ラーソルバール・ミルエルシ物語~  作者: 草沢一臨
第三部 : 第三十九章 人と人

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(四)ルベーゼと夜の風②

 バルコニーから優しく風が吹いてくる。

 風は悪戯をするように。ルベーゼの髪をふわりと躍らせる。

「婚約の件は何度もお断りさせて頂いたかと思います。まともに動くことも叶わぬような身ゆえ、私の事はお忘れになって下さい」

 たおやかにお辞儀をすると、薄く笑みを浮かべた。

「我が妻になれば、そのような呪いなど、すぐに消し去ってみせましょう!」

 その言葉を聞いた瞬間に、エラゼルはガドゥーイに鋭い視線を向けた。

 言葉も繋ぎ止める術にはならず、さらりと手の内から零れ落ちるように目前から去りゆくルベーゼに目を奪われたままのガドゥーイは、己に刺さる視線には気付かない。

 一顧だにせずに、ルベーゼは近くのテーブルへと向かって歩いていく。

 悔しさを滲ませるように、拳を握るとガドゥーイは背を向けた。

「姉上……」

 振り向くことなく静かに酒を口にしていたイリアナの耳元で、エラゼルは囁くように呼びかけた。

「聞こえていましたよ。自らを犯人だと名乗る愚者でしたね」

 イリアナの目が冷たく、グラスの中で静かに揺れる酒の波紋を見詰める。

 デラネトゥス公爵家はルベーゼの体調が悪化した原因のひとつが、呪いにあると公表した事はない。使用人でも一部の者にしか知らされておらず、呪いの可能性を指摘したラーソルバールを除き、外部の人間が知りえる情報ではない。

 付け加えるなら見ただけで、原因が呪いだと明確に分かるようなものでもない。

 ルベーゼの体調不良の原因が呪いだと断言するということは、それに関与していると証言しているようなもの。


「問い詰めますか?」

 怒りを堪えるように、エラゼルは歯ぎしりをする。淑女としては失格だが、今にでも掴みかかって顔面を殴りつけてやりたいとさえも思う。

「このような場で問題を起こすわけにはいきません。晩餐会を終えて王宮を出た後にでも捕えれば良いでしょう」

 冷静を装っているが、怒りを滲ませた声は僅かに震えた。このようなイリアナをエラゼルは見たことがない。これを父と母にはどう伝えるべきか、エラゼルに迷いが生じる。

 そこへ飲み物の入ったグラスを手にルベーゼが戻ってきた。

「あら姉上もエラゼルも、何やらお怒りのご様子ですね……」

「大事な妹を苦しめている相手が近くに居ると分かったのです。これが怒らずにいられましょうか」

 ルベーゼは姉の発した言葉の意味が理解できず、小さく首を傾げた。

 その様子を見たエラゼルは小声で話しかける。

「先程の男が何と言っていたか……お聞きになっていないのですか?」

「さあ? あまり具合が良くなくて……、それに少し考え事をしていたので、あの方のお言葉はほとんど聞いておりませんでしたから」

 ふふ、とルベーゼは悪びれずに微笑んだ。

 この人らしい。

 エラゼルは怒りも吹き飛ばされたように、思わず笑いだしてしまった。


「クソっ、あの女……」

 ルベーゼに袖にされたガドゥーイは苛立ちで、床を蹴るように歩く。

 無視された事への怒りが収まらぬと言わんばかりの表情で、会場から廊下へと出た。

 才能は弟に劣ると言われ続け、想い焦がれた女も手に入れられない。

 このまま会場に居ては、どんな失態を見せるか分からない。父に叱責されるばかりか、王族にまで目をつけられかねない。

 大きく息を吸い、拳を握り締めて柱を殴る。

 怒りは自らに向けられたものか、それとも自らを顧みない公爵家の娘か、それとも憎い弟か……。

「ガドゥーイ様、どうされました?」

 警備についていた近衛配下の衛士が駆け寄ってきた。彼の行動を見ていたのだろう。

「おお、イェスガーではないか! 久しいな」

 見知った衛士が現れたことで、ガドゥーイは口元に卑しい笑みを湛えた。


 その頃、晩餐会が始まったばかりであるにも関わらず、リファールは少々現状に飽いてきていた。

 扱いが悪い訳ではない。

 内心がどうあるかまでは分からないが、誰もが王族として礼節を守って接してくれている。こちらがどうあるか見定めるように、心を出さないよう開いた距離から踏み込んでこない。自分の立場を考えれば当然だ、という思いはある。

 対して自身も無難に乗り切ろうと、我を出すことは控えている。それだけに面白味のかけらもない。

 ヴァストールに来て面白かったのは、あの女騎士と話した時だけではないか。誰にも気付かれぬよう、小さくため息をつく。美しい娘であったが、心を奪われたわけではない。

 自分には想い人が居る。幼い時に見た少女の姿が今も目に焼き付いていて離れない。思い出すといつも心揺り動かされる。

 ああ、あの人は今は……。その笑顔を思い浮かべ吐息を漏らすと、グラスの中の酒が僅かに波立つ。

 ふわりと夜の風が前髪を揺らし、リファールは顔を上げた。



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