(三)手招き③
クレストは、治癒室への入室を許可され、メサイナに付き添われてラーソルバールのもとへとやってきた。
静かに横たわる娘の傍に立つと、その顔を見つめる。
「もうしばらくしたら、看護用の別室に移動していただきますが、今その手配をしております。しばらくここでお待ちください」
椅子を差し出すと、メサイナは慌しく治癒室から出て行った。
「かあさまに連れて行かれなかったようで安心したぞ。来るなって言われたか?」
ランタンの光を受け止めて、やや赤みがかって見える金髪にそっと触れると、優しく頭をなでた。
「私はな……、お前には普通の街娘として皆と同じように、平和に幸せに生きて欲しかったんだ。男爵家なんてものを背負っていると、どうしても政略結婚なんかに縛られてしまうからな……。私の代で貴族階級もミルエルシ家も終わらせても構わないと思っていた。それがいつの間にか、お前自身が準男爵に叙爵されたかと思えば、周囲から英雄だの聖女だのと呼ばれるようになって……。どうせそんなのは、お前の本意じゃ無いんだろうけどな」
父親の言葉に、娘は何も答えを返さない。
静かな部屋の中、小さな呼吸音だけがクレストの耳にだけ届く。
いつまでも自分の手の中にある可愛い小さな娘ではない。そんな事は分かっていた。
体が自由に動かなかった時も、それが多少ましになった今も、ずっと迷惑をかけ通しで、父親らしい事などろくにして来れなかった。「娘をよろしく」と妻に言い残されたが、何もしてやれておらず申し訳ない、という気持ちは常に持ち続けてきた。
けれど、そんな家庭環境にも関わらず、真っ直ぐに育ち、誰かに後ろ指をさされるような事も無かった。ただ「きしさま」になるために走ってきた、自慢の娘。
ここに来るまでは、死ぬほどの大怪我だと聞かされていた。王太子の前では平静を取り繕ったが、大事な娘の命の危機にその心が穏やかであったはずが無い。自分の命を差し出してでも生きていて欲しいと願った。自分にとってかけがえのない娘だ。
それだけに、娘の事を思い、心配してくれる友の存在が有り難かった。
「良い友達を持ったな。あの娘は貴族階級の上下なんか気にせず、お前を大切な友だと思ってくれている。だが、お前はそんな人を、いつまで泣かせているつもりなんだ?」
娘は沈黙を続け、父もそれを黙って受け止める。
暫し静かな時間が続いたが、ドアを叩く音でそれは終わりを告げた。
「はい、どうぞ」
娘との時間を遮られた事に、少し寂しさを覚えつつ、クレストは呼びかけに応じた。
「ミルエルシ様、お部屋の移動の準備が整いました」
メサイナを含めて三名がやってきて、手際よくラーソルバールの乗る寝台の板を外し、車輪付きの台に乗せ換えて移動を始める。少し離れた部屋に入ると、また元のように寝台に乗せ換えて、速やかに去っていった。
「今晩はお泊りでしょうから、軽食でよろしければご用意致します。それから、他の患者さんと一緒でも問題ないようでしたら、体を洗い流すこともできますので」
メサイナは一通りクレストに説明をすると、退室していった。
クレストは小さく吐息をもらすと、用意されていたソファに腰掛け、室内を見回した。
清潔感はあるが、簡素な部屋。壁にかけられたランタンが広くない部屋に明かりをもたらす。炎が小さく揺れるたびに、二人の影が動く。
間もなくしてクレストのもとに、パンに燻し肉と野菜を挟んだだけの軽食が運ばれてきたので、礼を言って受け取ると、黙ってそれを食べ始める。
食事を終えて、どれくらいの時間が流れただろうか。少しうとうとし始めた時だった。眠りを妨げるように、部屋の扉が叩かれた。
「エラゼル・オシ・デラネトゥスです」
やや疲れたような声が部屋の外から聞こえた。
「ああ、どうぞ、鍵はかかっていません。お手間ですが、入ってきてください」
自らが杖を手に時間をかけて出迎えるよりは、と配慮する。
「失礼します」
声のまま、精彩の無い顔でエラゼルが姿を現す。
「いかがでした、殿下とのお食事は?」
クレストの問いに、エラゼルは小さく苦笑いで返した。




