(三)小さな晩餐会③
「涼んだか?」
夫人に連れられて戻って来たラーソルバールを見て、エラゼルが笑顔を向ける。
「だいぶ落ち着いたよ」
と言いつつも、心の中は落ち着いてなどいない。夫人のおかげでアシェルタートの顔を見れば、頭から湯気でも出るのではないかと思える程だ。
夫人はラーソルバールに軽く目配せすると、マスティオに扉を閉めるよう、手で合図を送る。アシェルタートやエシェスと同じ色の髪が揺れて、先程と同じ優しい香りがふわりと漂う。
席に戻ると、アシェルタートが微笑みを浮かべつつ、ラーソルバールを見ていた。夫人に諭されたおかげで、余計に意識してしまい、返す笑顔がどうしてもぎこちないものになってしまう。
「あの……差し出がましいようですが、盗賊討伐の件はいつ公表なさるご予定ですか?」
半分誤魔化すように気になっていた事を聞いてみる。
「早いうちにちは思っているが、何か気になる事でも?」
「なるべく人目につかないように戻って来たのですが、あの大人数ですからそれでも何人かには見られていると思います。変な噂が立つ前に、せめてこの街だけでも明日には公表された方がよろしいかと……。私達としては、居心地が悪くなるので、遅い方が有難いのですが」
真面目に聞いていたアシェルタートだったが、ラーソルバールが付け足した一言で吹き出して笑いだした。
「くく……、当家の事まで……心配……してくれて感謝する……。明日、君達の居心地を悪くするかもしれないが、許してくれ」
「うーん……、ボルリッツ様が一人でやったことにしていただけるなら、困らないのですが?」
苦笑いをしつつ、ちらりとボルリッツの表情を伺う。
「おいおい、馬鹿を言うなよ。俺一人でやったなんて言って、誰が信じるんだよ!」
酒のせいか、ボルリッツは隣に座るガイザの肩をバンバンと叩きながら、豪快に笑い飛ばした。
確かに私兵を使ったと言っても、いずれは嘘は露見する。迷惑を承知で、目の前の人々を英雄として差し出すしかないか、とアシェルタートは小さくため息をついた。
それにしても。
細かな気遣いと優しさ、時折見せる悪戯っぽさ。不思議な人だ、とアシェルタートは赤いドレスが似合う娘に視線を送る。そして最初に会った時よりも、更に惹かれている事を自覚する。
手を伸ばせば届きそうな距離に居るのに、触れることの出来ないもどかしさが、胸の内に渦巻く。今すぐにでも「僕の伴侶になって欲しい」と言いたくてたまらない。
けれど、きっと彼女はそれを拒絶する。そして手の届かない場所へと離れていくだろう。それが分かっているだけに踏み出せないで居るのだが、自分は何と薄氷の上に立っているのだろうかと思い知らされる。
権力を利用して彼女を手に入れる事だけはしたくない。もしそうしたとしたら、彼女は自分を許してくれないのではないか。
アシェルタートはそこまで考えた所で思考を止めた。
「さあ、そろそろお開きにしましょうか」
夫人の言葉でアシェルタートは、我に返る。
先程までは賑やかだった庭の話し声も、今は聞こえない。
「ルシェお姉様、汗をかかれたのですよね? 私と一緒に湯浴みしましょう」
エシェスが嬉しそうに切り出す。
「はい、喜んで……」
実際に汗をかいたラーソルバールとしては、断るに断れない。そこまで計算してドレスを買って来させたのではないか、と勘繰りたくなる。
「では、行きましょ。皆様、お先に失礼します」
可愛らしくお辞儀をすると、今にも踊り出すのではないかというような足取りで部屋を出ていく。遅れまいと、慌ててラーソルバールも頭を下げて退室する。
その様子を見て、夫人は口許を隠しながら嬉しそうに微笑んでいた。




