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八百万  作者: マー・TY
第七章
86/115

86.沈む話

“ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア───!!!!!”


 怪人は怒り任せに突進してきた。

 赤狐はそれを難なく躱し、その際にナイフで切りつけた。

 それから一度距離を取る。

 切り傷を気にする様子もなく、怪人は赤狐を襲う。

 その度に赤狐は、ナイフでの攻撃を続ける。

 かれこれこのパターンを、十数回繰り返していた。


(本当に化け物だな。さっきから何回も切ってるのに、弱ってる様子がない)


 この怪人を倒すまで、あとどれ程経つのか。

 その途方のなさを想像し、赤狐は冷や汗を掻いた。

 ひとまずナイフを構えて次の攻撃に備える。

 

「?」


 しかし、怪人が襲ってくることはなかった。

 動きを止めて、赤狐のことを睨みつけている。

 

「何だ?」


 やがて怪人は、ゆっくりと赤狐の方に歩み寄ってきた。

 今までにない行動を前にし、赤狐は後退る。


「いったい何が───」


 歩み寄ってくると思えば、怪人は突然前方に跳躍した。

 そして赤狐目掛けて拳を振り下ろす。


「なっ!?」


 赤狐は間一髪その攻撃を躱した。

 空振った拳は、地面に激突する。

 怪人が拳を離すと、その箇所にはひびが入っていた。

 それを確認するまでもなく、怪人は赤狐に拳を振るい続ける。

 先程までの突進とは違い、今度は着実に赤狐の動きを追っている。

 赤狐はどの攻撃もスレスレで躱していった。


(時間を掛けすぎて怒りが冷めたのか?いや、それだけじゃなさそうだ。多分僕の動きを学習してる。逃げたところにも拳が飛んでくる!)


 攻撃が的確なものに変わったせいか、赤狐の体力はどんどん削れてきていた。

 徐々に怪人の拳が、赤狐の体を掠め始める。

 

「ッ!!」


 ついに怪人が、赤狐の仮面に狙いを付けた。

 赤狐は反射的にナイフを構えて防御態勢を取った。

 

“バキッ!!”


 怪人の強力な攻撃を受け、赤狐は吹っ飛ぶ。

 その一撃に耐えきれず、ナイフが真っ二つに折れた。




 薄暗く殺風景で、ドアのない個室でアオは目覚めた。

 アオ自身この部屋には、何度か訪れている。

 

(そっか………ここ、夢の中だ)


 アオは起ち上がろうとしたが、力が入らず立てなかった。

 そんなアオを見下ろす少女がいた。

 

「あっ………」


 彼女はアオと全く同じ姿をしている。

 ただ、目だけは虚ろだった。

 アオは彼女を“ネム”と呼んでいる。

 アオがこの個室の夢を見るとき、いつも眠っていたのが由来だ。

 そんなネムが、何故か今は起きている。

 そして、今目を覚ましたばかりだというのに、アオの意識がだんだん薄れてきていた。

 

「………ネムが起きてるところ、初めて見たなぁ」


 そう言い残し、アオは意識を失った。

 ネムはアオの頭を優しく撫で、それから天井を見上げた。




 赤狐は追い詰められていた。

 背後は海。

 目の前は怪人。

 まさに袋の鼠だ。

 海に飛び込んで逃げることもできるが、アオを放っておくことはできない。

 

(さっきは受け身を取って致命傷は防げたけど、ナイフが壊された。アイスピックもない。……武器無しにコイツに挑むなんて………)


 怪人は右手を伸ばした。

 赤狐は横に飛んで躱した。

 しかし怪人の反応は速く、すぐに赤狐との距離を埋めた。

 その後、いくら逃げても怪人は回り込んでくる。


「くっ!」 


 正直勝機は薄い。

 もはやこのまま囮となり、アオから遠ざかることしか頭に浮かばなかった。

 それで、ふとアオの方を見た。


「えっ……?」


 不思議なことに、アオが先程倒れていた場所からいなくなっていた。

 

(目を覚まして逃げたのか?それなら良い……!)


 守る対象がいなければ、自衛に集中できる。

 赤狐は逃走のため、怪人の隙を窺った。

 準備を整えて挑む必要があった。

 怪人がまた、赤狐を捕まえに掛かった。


“ガッ!”


 赤狐に手が届く寸前、アイスピックが飛んできて、先端が怪人の後頭部に当たった。

 アイスピックは刺さることなく地面に落ちる。

 怪人は表情を変え、アイスピックを飛ばした相手に視線を向けた。

 そこにいたのはアオだった。


「アオさん!?…逃げたんじゃ……いや、これは…………」


 赤狐はアオの目が虚ろになっていることに気づく。

 それは以前、アオが中学時代の担任から襲われた際に見せた目と同じだった。

 その時のアオは相手に容赦が無く、躊躇いは一切見られなかった。

 赤狐はアオを二重人格なのではないかと考えていた。


(あの時のことといい、もしかしてアオさんのもう一つの人格は、アオさん自身が危険に晒された時に出てくるのか?)


“ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!”


 怪人が苛立ちの籠もった声で叫んだ。

 アイスピックでの攻撃が気に入らなかったようだ。

 右拳を上げ、怒り任せにアオに突進していく。

 

「………」


 アオは表情を崩すことはなかった。

 怪人の突進を冷静に躱し、海の方に進んでいく。

 その一連の出来事に、赤狐は驚いていた。


(無駄な動きがない……。それに、あんなにボロボロなのに、普通に歩いてる。本当に何者なんだ…?彼女は)


 赤狐が心の中でそう呟いている間にも、怪人の攻撃は続いた。

 しかしアオにはそれがよく見えているようで、どれも当たらなかった。

 怪人の苛立ちは、次第に頂点に達しようとしていた。

 攻撃が激しくなっていく。

 少しずつだが、アオは海の方へ追い詰められていた。

 

(やっぱりあの状態のアオさんでもキツいのか……?)

 

 息切れしてきているところを見て、赤狐はアオに余裕が無くなっているところを見抜いた。

 するとアオは突然海の方へ移動し、あと1歩で落ちるというところで止まり、視線を怪人に向けた。

 それから、「殺せるものなら来てみろ」とでも言うように、手を振って怪人を煽ってみせた。


(ッ!?何やって……)


 怪人の額に血管が浮き上がった。

 驚いたことに、アオは怪人の怒りを誘ったのだ。

 雄叫びを上げ、怪人はアオを殺しに掛かる。

 アオは怪人から目を離さない。


「危ない!アオさん!!」


 赤狐も走り出したが、とても間に合いそうになかった。

 怪人の全力の一撃が、アオに襲い掛かった。


“ビュッ─────”


 空気を切る音が響いた。

 怪人の目の前から、アオがいなくなっていた。

 怪人は戸惑ったが、我に返ったのは、目の前に海面が見えた時だった。


“バシャッ!!!”


 大きな水飛沫を上げ、怪人は海に落ちた。

 泳ぎが下手なのか、手足をバタつかせて暴れ回る。

 そんな怪人を、アオが見下ろしていた。

 怪人は苛立つと、全力で相手を潰しにいく。

 アオはそこに注目し、わざと怒りを煽って怪人の突進を誘って躱し、その勢いを利用して海に落とすという作戦を考えたのだった。

 

“ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア────!!!!!”


 怪人は岸に上がろうと必死に藻掻くが、上手く上がれそうにない。

 ついにはアオを恨めしそうに睨みながら、海の底へと沈んでいった。


「…………」


 アオは怪人の最期を見届け、海から離れる。

 そこに赤狐が近づいてきた。


「待って。君は……いったい……」


 アオは虚ろな目で赤狐を凝視した。

 それからゆっくり目を閉じ、その場に倒れた。

夜の海には溺死した人の霊が出現するのだとか。

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