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山で猪に追いかけられ、無我夢中で逃げていたら崖から落ちました。
冗談じゃありません。
まぎれもない事実です。
何でこんな事になったんだろ?
今日も何の変哲も無い1日だったはず。
一から思い出してみよう、走馬灯なのか思考はとてもクリアなのに周りの景色はとてもゆっくり流れているから、今日を振り返る時間くらいありそうだ。
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「かわいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」
「ちょっと桐崎さん、気持ちはわかるけどウサギ達が怯えるから抑えて。」
「は‼︎すみません店長。
それにしても可愛いですね、ミニウサギの赤ちゃんってちっちゃくてフワフワで本当に天使。」
「桐崎さんはウサギが一番好きなの?」
「違いますよ店長、美羽は動物なら何でも大好きな節操無しなんです。」
「ちょっと桜ちゃん、節操無しとかひどい。動物はみんな可愛いのは世界の常識じゃない。」
「その子達が可愛いのは認めるけど、私の最愛は猫ですから。」
私が働くペットショップ《labyrinth》に、本日新たに可愛い可愛いミニウサギが5羽も仲間入り。
まだ小さすぎて性別はわからないけど皆元気で健康面は問題なさそう。(1羽めっちゃ元気な子がいるから、この子は雄な気がする。)
はうぅ、寄り添って寝てるのとか本当に天使。
こんなに小さいのに大人になるとあんなに大きくなるとかビックリだよ。(ミニウサギは赤ちゃんの時とても小さいのでミニウサギと言いますが、本当に大きくなります。飼うつもりの方は事前によくお調べください。)
「桐崎さん、今日は午後休だったわよね。その子達のご飯が終わったら上がって良いから。」
「すみません店長、只でさえ人手が足りてないのに。」
「良いのよ、おばあさまによろしくね。」
心苦しい。
labyrinthは小さいお店だけどネット評判が良くて平日でもお客さんが割と来てくださって忙しい。
従業員も店長の他に勤続10年を迎えた私と、私に次いで勤続年数の長い桜ちゃん、奥でゲージを洗ってくれている頑張り屋なんだけどおっちょこちょいな真奈ちゃん、本日風邪でお休みの最年少明子ちゃんの計5人しかいないから、正直人手は足りていない。
「しょうがないですよ、弟さんが季節外れのインフルエンザでダウン、遠方のおばあさんが夏風邪でダウンじゃ、お母さんだけじゃ無理ですもんね。」
本当にな、弟よ何で今インフルエンザにかかったの?今8月だよ、真夏だよ、季節外れにもほどがあるよ。
かかっちゃたものは仕方ないけど、辛さもわかるよ、私も高校受験の直前にかかった時は死ぬかと思ったもん。
少し前から風邪ひいていたおばあちゃんから拗らせてしまったとSOSが来たのが昨日、弟の看病と家事をお母さんが、電車と徒歩で2時間のおばあちゃんの家には私が向かう事になった。
おばあちゃん家の土佐犬が怖くて近ずけないお母さんに泣いて頼まれました。あんなに凛々しくってかっこいいのに何が怖いんだろ。
「桐崎さん、調味期限が近いし少なくて申し訳ないんだけど、これおばあさまのワンちゃんにどうぞ。」
「わぁ、ありがとうございます。あの子これ大好きで食いつきめっちゃ良いんですよ、絶対喜びます。」
よっしゃ、高級ドックフードget。
品質も味も良いんだけど高くてなかなか買ってあげられないんだよ。量も少ないから賞味期限内に食べきれるから何の問題もない。
ミニウサギ達のご飯も終わったし、いただいたドックフードをリュックに詰めて出発です。
しかしおばあちゃん家、結構な山中なんだよね、体力持つかな?
電車に揺られて1時間、登山を開始して30分。
「もうだめちょっと休憩。」
なんでこんな道もろくに整備されてないような山中に住んでんのよおばあちゃん。いくらおじいちゃんとの思い出の家だって言っても不便すぎるよ。
道が整備されてないから車も通れない、バスも当然無理で交通手段が徒歩しかない。
春には山菜とり放題、秋は栗や柿がとり放題で食の宝庫だけど買い物1つでも一苦労。
そのおかげか、やけにたくましいおばあちゃんなんだよね。
三十路直前の私より体力あるかもしれない。いや、確実にある。
力じゃ絶対負けないよ、これでも学生時代は空手部で県大会でベスト4になったこともあって、女しかいない職場では力仕事要員として重宝されてるくらいだし。
卒業してからあんまり鍛えれてなくて最近お肉がついて、筋肉と脂肪でえらいことになってるけど。
女としてどうなんだとはつっこまないで、わかってるから。
登山道の脇にある岩に腰かけてペットボトルのお茶を一気に流し込む。
思っていたより喉が乾いていたらしくて一気に飲んでしまった。
まぁこれで荷物が少しは軽くなるしOKかな。
生い茂る樹々で強すぎる日差しは遮断されているし、吹き抜ける風が心地いい。休憩にはうってつけの場所かもしれない。
お、リスいたよ可愛いな、警戒心が強いから絶対に近寄って来てくれないけど、遠目で見てるだけでも癒される。本当に動物って可愛いよね。
ガサッと少し離れた茂みが揺れた。
狸かな?熊や鹿はこの山にはいないはずだし、野生のウサギやイタチかもしれない。
少し警戒しながら様子を窺うと。焦茶色の鼻先が出てきた。
猪だ。
繁殖期でも無いし、大きな音を出したりして刺激しなければそこまで危険ではない、可愛いから見てたいけどもしも突進されたら危ないからゆっくりはなれよう。
あれ?
目が合ってない?見つめ合っちゃてますよ。
つぶらな瞳が愛らしいです。
でも待って、助走つけてない?
やっぱり‼︎こっち来た‼︎
流石に猪の突進食らったらまずい。
幸い周りは樹木だらけだしジグザグに走ってれば撒けるはず。
おかしい、だいぶ走ってるのに撒けない。
姿が見えなくなったと思って立ち止まるとすぐに現れる。
体力がそろそろやばいよ。
何であの子こんなにしつこく追っかけてくるの?
私何も持ってないよ‼︎‼︎‼︎
あれ?ちょっと待って。
持ってたわ‼︎
高級ドックフード持ってたわ‼︎
この匂いを追いかけて来てたのか‼︎
どうりで見つかるわけだよ‼︎
慌てて背負っていたリュックを放り投げましたよ。
案の定猪はリュックの方に方向転換。
助かった、もっと早くに気付けよわたし。
足ガクガクです、もう少し離れたらちょっと休もう。
デタラメに走ってたからどこだかわかんないよ。
あ‼︎財布と携帯リュックの中だ‼︎諦めるしかないか。
あの茂みを超えたら止まろう。
この判断がいけなかった。
体力の限界まで走ってガクガクの足では急に止まれない。
茂みの抜こうは断崖絶壁。
地面の感触が無くなり訪れる浮遊感。
10m以上あると思われる崖。
私、此処で死ぬの?
こんなことなら昨日買ったカボチャプリン食べとくんだった。
おばあちゃんごめん、看病行けそうにないよ。
生きてたらお詫びに行くから、まただし巻き卵作ってほしいな。
現実逃避しながらわたしの意識は途切れた。
直前に見た空は、雲一つない快晴だった。