墓標
私の気がついた時、辺りは緑豊か、それが第一印象だった。とはいっても山の中と言うほどではなくて、雑木林みたいなというか大きめの公園中と表現するのがいいような感じがした。だけれど、ここが何処だかは分からなかった。それに自分という感覚があるのは分かるけど、自分が誰であるかということが思い出せなった。その場でぼーっとして立っていてもしょうがなかったし、しばらくその辺を歩いてみた。しばらくすると、視界の中に三階建てくらいの四角い建物が現れた。近づいてみると壁はツタに覆われている部分があったり、ガラスのない窓が幾つか規則正しく並んでいるのがわかった。建物の周りには墓石のような物や十字架が不規則な配置をされていた。
「もしかして教会?」
ふと思ったことが声に出た。でも改めて思うと知っている教会はこんなイメージじゃなかった。正面にはドアのない入口が見えた。気になったから建物の中に入ってみることにした。中に入ると、そこかしこに墓石のようなものや十字架が置かれていた。ただ、建物の外にあるものとは違って、きれいに積み重ねてあったり、きちんと並べて置かれていた。そして、よく見るとその一つ一つに小さくて不鮮明な写真が貼り付けてあった。なにか背筋が寒くなるような感じがした。
「どうかなさいましたか?」
突然後ろから男性の声が聞こえて思わず飛び上がった。いや、これは比喩的な例えだったかもしれないけど、そのくらい驚いた。振り向くとそこには、口髭を生やして整ったスーツ姿の男性が立っていた。怖くは無かった。それより他人でも人が現れたことに安心感を覚えた気がした。そのスーツの男はどこか人あたりのよさそうな雰囲気を出していた。なんだか、どこかで見たような顔…。そう、これはダリね。あの画家のダリを思わせるような顔だ。
「あの…、貴方は?」
私は思い切って訊いてみた。
「わたくしはまあ、ここの案内人とでもいいましょうか。あるいは墓守とか?」
彼は自嘲的な笑いを見せながら少し考え込むようにして答えた。
「もっともわたくしの姿は特に決まった形があるわけではありません。この外見はあくまで貴女がその意識の中で再構築した幻想にすぎません。存在としては確かなのですが…」
ちょっと言っていることが分からなかった。
「この建物は?」
私は別の質問をした。
「それも…もしかすると、同じことかもしれませんね。ただ、同じことを繰り返すようですが、確かに存在はしているのです。あなたの意識と同じように」
そして彼は建物の中を見渡すようにして続けた。
「おっとそれから、ここは貴女が思っているような常識が通用する場所でもないということを付け加えておきましょう」
「それはどういうこと?」
「よく見れば分かるはずです。思いませんか?ここの建物は外見に比べて中が広いと思いませんか?ここに来るまでに誰かに会いましたか?日の光を感じましたか?木々の匂いには気付きましたか?なにか音を聞きましたか?」
言われてみて、私はハッとした。どれも感じた見たということは覚えているのに何一つ具体的には思い出せなかった。もしかして…。
「ここは夢の中ね。もしかして?」
「うーん、当たらずとも遠からず。確かにここは貴女の意識がコンタクトしている場所ではありますが、貴女の意識の中そのものというわけではありませんね」
「それならじゃあ、異世界…?」
「そう思うなら、そういうことになるでしょう。そして、ここにあるのは、と言っても墓石まがいのモノだけですが…。忘れさられた概念的存在を留めておくための象徴的メンヒル的存在の置き場所です。いつか誰かによって思い出されるのを待つために」
「忘れ去られた存在?…」
それに彼の言っていることの後半は私にとって理解不能だ。
「そう。だからここには死者が眠っているというわけではないのです」
彼はそこで軽く咳払いをすると続けた。
「歩きましょう。探し物が見つかるかもしれません」
そして私たちは建物の中を進み始めた。
しばらくすると彼は立ち止まり、ある一点を指し示した。
「探していたのはこれですね」
そこには写真が貼られていない磨かれた石で出来た十字架があった。思わず服のポケットの中に手をやると、一枚の小さな写真が出てきた。そこに写っていたのは自分だった。
「どうやら貴女は、自分自身の存在を忘れかけているようですね」
彼は手に持っている写真を覗きこむようにして言った。
「どういうこと?どうすれば…」
私は少し戸惑った。だけれど彼は、問題無いといったような表情をしていた。
「大丈夫です。自分のこころに問い直してください。きっと思い出すはずです」