案内された先ということ
ドコへ、イキタイ。
…………え? なに? 有休で休み取ってっていうこと? んー……やっぱり温泉かなー。疲れを癒やす定番。疲れ過ぎで死んだ俺にとってピッタリ。行っときゃ良かったよなー……、でも、いざ休みになると体が動かなかったし。連休なんてなかったから日帰りはちょっとなー。
オンセン……?
そう。疲れた体を温めてさ、海が見えれば最高だよな。……海……新しい仕事場にもなりそうだし……仕事場?
カラダ、アツイ、ウミ、ホカノナワバリ…………ワカッタ。
……ん? あ、そう? 悪いねえ、こんなオッサンの夢を聞いてもらっちゃって。でも俺なんて気にしないで、慰安旅行先……決め……ゆ、め?
体の輪郭が曖昧な空間で、目が開いているのか閉じているのかも分からない状況で、しかし俺は急速に引っ張っられているのを理解した。
深く考えが浸透する程、速度が急激に上がっていく――――――
中天に座す二つの太陽が、開いたばかりの目を灼いてくる。夏の日差しとかマジ勘弁。三十を超えて日焼けとかしたまま出勤すると、なに頑張ってんの? って思われること必須。特にアウトドア趣味もないのに突然日焼けしようものなら、聞いた方がいいよね? 的に二十代の方が話を振ってくるから。
日サロ云々って言われても知らない。火サロって字を当ててた位だジェネレーションギャップ。
そんな訳で、下手すると女性よりUVをカットしないといけない存在オッサン。
まあ、ぶっちゃけ顔の造作で決まるんですけどね。
イケメンなら色黒でもいいんです。でも俺では駄目だそうです。
昔の話さ。
なんてネガティブが安価なオッサンが体を起こすと、あら不思議異世界。
赤茶けた砂と雲一つない青空が織り成す地平線が見えた。
三百六十度どこを見渡しても同じ景色。遠目に街など見えやしない。
砂、砂、砂。
知ってるぞ。これ、砂漠ってやつだ。
他に人影も見当たらない砂漠のド真ん中でオッサンがポツリ。
「マジでサバイバー……」
冒険者、マジ無理。
俺は今日も歩く。
砂漠に置き去りにされて二週間、俺は毎日歩いている。
砂漠初日。懸念材料であった暑さは次元断層を使うことでアッサリ解決。クーラーとまではいかないが適温。俺を焼き焦がそうとする太陽も神様から承った恩寵には適わないようで。
ちょっ、ズルいッスよー、と言わんばかりに毎日が晴天だ。
早く人里を見つけたいがため、最初の二日程は視界跳躍で進んでいたのだが景色が変わらず、進んでいる証拠が欲しいがために歩きに切り替えた。ふと振り返れば地平線まで続く足跡。
働き人はいつでも成果を欲するものなので。ふわー、歩いてるー。
歩き続けること四日、合計六日の時点で漸く待ちに待った変化が訪れる。
「……ん?」
ふと足元を見ると足首まで水に浸けたように沈んでいるのだ。次元断層の欠点というべき環境の変化に気付けない点だ。
めちゃくちゃ透明度が高い水で、足がクッキリ見えるのに斜光で微妙に歪んでいた。
おう、オアシス……どころか海ぐらいの広さがある。
よくよく注意して見ると、地平線まで続いている上に右も左もゆっくりとたゆたっていた。
すげー。
ふとした時に感じる異世界。本気見せてきたファンタジー。
波が全くといっていい程ない。潮の満ち引きとかどうなのか?
思わず次元断層を切って水に触れる。しかし切って直ぐに気付いた。
この水、熱い。
少し熱めのお風呂の温度ぐらいでやたら圧迫感がある。なんだこの水?
興味本位で水を手で掬ってみた。
確かに見た目は水なんだが、零れ落ちた水はパラパラと風に流される程細かい。
ええ!? 砂ですか。
……はぁー、流石異世界。そういうこともあるよね。
どうやら砂の海? とでもいうところらしく、横断には二日掛かった。
今まで変わり映えのない景色だったから大歓迎。しかしここで事件が発生。
再び次元断層で歩き始めた時に、ふと、砂の密度なら水の上を走れるのではないかと思った。
そう、右足が沈む前に左足を、というやつだ。
ちょっとやってみようとチャレンジ。直ぐに成功。
ウキウキで海の上を爆走していたのだが、疲れて止まった時に、なんと沈まなかったのだ。
あれ? 次元断層中って沈んでなかったっけ?
どういうことか分からなかったので、暫く悩んだ後に忘れることにした。海の上で寝るのは少し怖かったがな。
ともあれ砂の海を横断し終えた三日目の夕食時。流石に人恋しさを覚えた。この寂しさがペットを飼う独り者人口の増加に繋がっているのだろう。灰色犬は毛並みが良かったよなー。ここに置き去りにしたのも灰色犬だが。
日持ちすると言われて買った携帯食の干し肉をかじりながら、この寂しさを埋める方法を考えた。ちなみに食料は既に千食は余裕で超えているのだが、どうせならと味気ない食事から消化している。時間経過がないアイテムボックスだというのに、何故俺は干し肉を買ったのか……。
とりあえず食事は大丈夫だ。毎日運動(歩行)もしている。しかしこの心の寂しさを埋めるには……対話が必要。
という訳で、瀕死の黒いワイバーンをアイテムボックスから出してみた。
ギロンと血走った瞳を向けられたが、久々に自分意外の生き物を見たせいか少し可愛いく見える。そうだ。オッサン黒いワイバーンを飼おう。だいたい黒いワイバーンとか長いからな、命名『クロ』とかどうだろう?
凄くいい。
「よーしよしよし。今日からお前の名前はクロだ。ほ〜ら餌だよー」
名前を付けたせいか一気に情が湧いちゃったよ。日本にいた頃は爬虫類をペットとか上級者過ぎるとか思っていたものだが……犬が駄目となるとワイバーンになるよな、やっぱり。
満面の笑みで干し肉を差し出していたら、カパリと口を大きく開けるクロ。
やはりお腹が減って気が立っていたのか……なにせまだ零歳だもんな。ん?
カッ
白い閃光が俺を呑み込み後ろに駆け抜けていく。溜めが不十分だった為か光は直ぐに収束したが、俺が手にしていた干し肉は、ジュッという効果音と共に蒸発。
…………。
どうやら次元断層はクロのブレスにも耐えられるらしい。
「空間振動」
クロの頭部にセット。揺らされた空間が戻る衝撃なのかは知らないが、クロの頭が横っ面を張られたように弾ける。
躾は最初が肝心だしね。
「クロ、ハウス! 全くもうお前はー!」
食べ物を台無しにしたトカゲをアイテムボックスにしまう。生き物を飼うって意外に大変だ。
それからの三日というもの、俺はクロとふれあい、親睦を深めた。
噛みついてきたクロを「痛くない」と我慢して撫で撫で(次元断層発動中)。意外にベジタリアンなのかとキャベツに似た野菜を出したが尻尾ではじいたクロをしつけ、やはり傷だらけなのがいけないと回復したがアイテムボックス(ハウス)に入れる時に痛いので再び鱗を剥がしたりと、精一杯愛情表現をしたがクロは俺に懐かなかった。
やはり腐ってもドラゴン。違った。痛んでもワイバーン、孤高な種族なのだろうか。
そういえば、人間に牙を剥いた野良犬は処分されると聞く。また人間を攻撃する恐れがあるかららしい。
なるほど。クロが俺に懐かないのも分かる。
名前が同じだからと、俺にモンスターをティムするのは難しいらしい。マスターと呼ばれたかった。
朝起きると蠍にしては毒々しい紫色の奇形の蠍が俺に群がって尻尾を散らしていた十五日目。
いつものように朝食を食べ終わり、もはや義務とばかりに足を動かしていたら、それは訪れた。
オアシスだ。
まだかなり距離はあるが砂の色と空の青しかなかった世界に突如現れた緑色。
間違い、オアシスだ。 つまり水があり人がいる。やったね。
この砂からの放射熱と太陽による熱射のせいで多少歪んで見えるが、あの緑色を見間違う筈がない。
只あてどなく歩くだけと目的地を定めて歩くのではモチベーションに確たる差がつくもの。
今夜は宿を借りられるかもな。
そんなことを考えていた時代が俺にもありました。
何故だ。一向に目的地につかない。
俺は歩いた。いつもは昼飯を食べるために取る昼休みも返上して歩き続けた。
だってもう少しだから。
例え残業時間をぶっちぎってて申請時間を超えるためサービス残業になろうともあと一時間で終わる目処がついているなら走りきるのが社会人。
やってやる。
そう思って歩き続けていたら、もう日も沈もうとする夕刻。しつこい程に照らし続けていた光が弱まる時間。
オアシスが、ワサワサと生い茂っていた緑色が、それまでもユラユラと揺れていたが、一際大きく揺れたと感じたらスゥと消えてしまった。
……………………。
知ってるぞ。これ、蜃気楼ってやつだ。
襲い来る絶望に虚無感。こいつぁ強烈だぜ。
仕事は終わった筈なのに自分だけ上司に残業を言い渡される時に似ている。
…………つまり仕事だ。今から残業。
なんだ、ならいつのも事だな。
そういえばまだ日も落ちてない時間だしな。よし、歩き続けよう。
夕食を何にしようかとテンションを上げながら、その日は深夜まで歩き続けた。知らない魔物が襲い掛かってきたが、まあ異世界だしな、と気にしなかった。
明くる日。
日の出と共に起床。寝返りで潰れたと思われる蠍の魔物を回収する。小型の犬ぐらいのサイズだ。
今日も空には雲一つない。素晴らしき快晴を予感させながら朝食の準備を行う。バランスがいいであろう携行食と味噌汁に、魔法で生み出した水だ。
このガッツリ感ならぬガッカリ感の漂う食事に安心を覚えてしまうのが働き人。朝の睡眠時間確保のために缶コーヒーと菓子パンを食べながら車に乗るのは常識と言っていい。常識。
ガムというか硬めのゴムのような食感の携行食を食べながら、空樽に魔法で水を入れる。
適当に満タンになったら冷やす作業に移行して魔力を消費するが、最近は当然といっていい程に余ってしまうので、極限まで込めた魔力でデカい火柱か絶対零度に迫る氷雪を生み出す。街中では出来ない所業。ちょっとスカッとする。ゴルフの打ちっぱなしみたいなものだろう。
体が適度に疲弊してきたところで荷物を回収して歩き出す。さあ今日も砂漠に足跡を残していこう。
大体昼頃まではノンストップで歩くが、今日は事情が違った。
「針金だ……針金か?」
砂漠の先に細長い紐みたいな物が見える。また蜃気楼だろうか?
まだ大分距離があるのか小さくしか見えない。縮尺を考えるとちょっと考えられない大きさだが、そこは異世界。ファンタジー、便利な言葉だ。
「……行ってみるか」
正直、他に目標物などないので何かの手掛かりになるかと進路を変更。針金はクネクネと気持ち悪い動きをしながら、アーチを描き出している。
三十分程歩いて。
針金は魔物っぽい何かだった。
ミミズのような体躯だが、外皮はゴツゴツとして岩のようで、頭に当たる部分はスパッと切り落とされたように平面で丸ごと口なのか穴が開いている。
しかし問題はそこじゃない。
そのモンスターミミズの下でチョロチョロと動く影が見える。引いたり押したりとモンスターミミズに集るその影は、鬨の声を上げている。
人ですね。
「……ふっ、ははっ、やった。人だ。おーい! すみませーん!」
そんなに長い期間じゃなかったが、流石に現在地が分からないってのは堪えた。しかも砂漠。森で迷うより来るものがあった。
オジサンは寂しい存在です。しかしオジサンは寂しい過ぎると死にます。
慌てて駆け出したが、直ぐに閃き。そうだ、視界跳躍で時間短縮だ。オジサンに二度はないのだよ。
ある程度近づき視界にハッキリ映す。よし完璧。
彼の地へと俺を運べ、視界跳躍! なんつって。
切り替わった視界には曲刀を手に厚手のお揃いの布を装備した人達の、背中。
逃げていく。
……おう、ショックだわ。意外と情報伝達が速くないかい異世界? そういうとこだけ現代水準とか止めてよね。
「……あ、あのー」
お声掛けの声量も尻すぼみ。蜘蛛の子を散らすとは正にこの事。人恋しい状況で、この仕打ちはヤバい。死ぬ。
そんなオジサンの心を表すかのように空まで曇ってきたのか影が掛かる。
いや馬鹿な。ここ砂漠。
ふと振り向いたオジサンの後ろから、直径が百メートルを越えそうな口が降ってきた。
口の中は暗く、辛うじてドリルのような歯だけが見えた。
「おら、下がれ下がれ! ジラル、被害は!?」
「軽傷三名、重傷六十四名、死者が九十名。千人じゃ無理ですね」
「アーミッシュ隊長、撤退も視野に入れるべきでは?」
前脚の短い恐竜のような動物が三騎、ジャックス・サンドワームの攻撃圏から離れた場所で角を突き合わせていた。
騎乗する三名も、サンドワームに攻撃を仕掛ける兵達のように体を厚手の布で覆っていたが、指揮官系統なのか急所を革装備で固めている。
撤退を進言した一番豪華な作りの布を纏った人物が、再び話を振る。
「サンドワームには碌にダメージを与えられてはいないように見える。これ以上は無益に部下の命を散らす事になりかねん」
問われた、唯一顔を露出させている肌の黒い男が、ガシガシと頭を掻く。
「しかし何度も遠征は出来ますまい。殿下の武勇を得るチャンスもそう度々は……」
「横から失礼。更に残念な報告もあるんですが、聞きます?」
「ジラル! てめぇ殿下の御前だぞ!」
「隊長もですよ」
「よい、許す。して、報告とは?」
隊長と呼ばれた男が激発するのを、殿下と呼ばれた男が片手を上げて制し、隊長に比べるとやや細い印象の片目が潰れ目を閉じている隻眼の男の発言を促す。
隻眼の男は略式ではあるが一礼をして報告に入る。
「先程のワームの突撃で糧食をやられました。ワームの体躯が予想より大きかったためですね。ここでワームを倒して、その肉と血をを得ないことには殆どの兵が飢え死にですね。お手上げです」
「……マジか」
「マジです」
「…………私の責任だな、許せ。せめても償いにもならぬが、先陣を切り、血路を開く」
「お待ち下さい」
曲刀を抜いた殿下に待ったを掛ける隊長。素早く副官である隻眼のジラルに視線を飛ばす。
「水魔法の使い手は?」
「二人です。使い潰せば十人がなんとか」
「よし。ジラル、てめぇは腕の立ちそうな奴を六人選んで殿下の護衛に付け。魔導師二人も一緒に最後衛で」
「ならぬ」
アーミッシュ隊長の言を殿下が遮る。
「……別に逃げろって訳じゃないです。ただ、俺があのワーム野郎をすり潰すまで高みの見物しててくれりゃあ」
「出来ませんけどね」
「おいジラル。てめぇ、どっちの味方だよ」
「勿論、殿下です」
「……アーミッシュ隊長、私をのけた者達の中から年齢が若い者を順に八名呼んで来てくれ」
「……殿下」
毅然とした態度でワームを睨み据える殿下に、アーミッシュ隊長はどう説得したものかと言葉を選んでいた時だった。
白い火閃が天を付いた。
ワームの体の真ん中辺りから天へと伸びたその閃光は、只でさえ高い砂漠の気温を上げる。衝撃に砂が巻き上がり誰もが白い火閃の出所を注視した。
「……な、なんだありゃ」
思わずと漏れたアーミッシュ隊長の言葉は、この場にいる兵達の総意でもあった。
しかし新たな指令を下す前に異変は続いた。
あの火閃で大穴が空いたワームだったが、その持ち前の生命力で生き延び、のた打ちながらも地面へ潜ろうとしたところで。
今度は業火がワームを襲った。
「た、退避、退避だ! 下がれ下がれ下がれ下がれえ! ぼうっとすんな、焼け死にたいのか馬鹿共!」
アーミッシュ隊長が騎竜で駆け出し前線の兵に指示を出す。
厚手の布は、耐刃耐火性の魔獣の糸で織られているが、如何せん得体の知れない火だ。ワームの苦しみようを見るに、その熱量と範囲は馬鹿げたレベルだ。
しかし未だに異変は終わらない。
ワームに空いた大穴から、今度は大量の水が飛び出し火を消したかと思えば、穴の縁からワームが凍りつく出し、最終的にはボロボロのジャックス・サンドワームの氷像が出来上がってしまった。
いつの間にか騎竜の脚も止まり、何かの冗談のように涼しい風が顔を撫でていく。
部下たる兵も、撤退途中で足が止まりどうしたものかと顔を見合わせている。
「あ、焦ったー。そういや人がいるんだった……すいませーん、火傷した人はいませんかー?」
衝撃の隙間を突くように、もはや死地ではなくなった戦場に、そんな呑気な声が響いた。