表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/32

緊急避難するということ


 牢屋、なう。


 どこぞの洞穴を改造して作り出された牢屋の中に、手枷足枷をされたまま放り込まれた冒険者とは俺のこと。


 ……ぐはっ。真面目一筋三十五年。死後でも働く生真面目にこの仕打ち……。


 いくらなんでも納得がいかない。履歴書に逮捕歴を記入しなければいけないことを考えると、これは転職を考える俺にはデカいハンデになりかねない。事件は現場で行っていると訴えたい。


 裁判も捜査も行われないというこの圧倒的異世界感。理不尽なファンタジー。


 ……いや、まだ捕まっただけなんですけどね。もしかしたら絶賛捜査中かもしれないけどね。



 いくらなんでも誤解で逮捕まではされないであろうと判断した俺は、ウィズさんに言われるがまま無抵抗を決め込んだ。周りを囲んでいた冒険者は突然現れた白カマキリの群れを包囲網の外に出さないようにするのが精一杯。白カマキリのカマ攻撃を一瞥もすることなく柳に風とかわし、視線を俺に固定したままのウィズさんは、近寄る白カマキリを擦れ違い様その大剣で撫で斬りにしていた。


 視線の圧力でお腹痛くなるレベル。計算されたように迸る血飛沫を一滴も浴びないといのがまたなんとも化け物じみている。


 主人公だ。


 多分この物語のなんちゃらだわ。


 その人にターゲッティングされる俺とは?


 超えるべき障害だわ。


 悪役。


 そんなの引き受けた覚えないんだが……。


 勿論、抵抗するなんて以ての外。逃げ出したら背中に剣士の恥でも刻み込まれそうなのでハンズアップして捕まった。


 痛いのとか無理。絶対無理。


 歳を重ねる度に痛みに対する耐性が無くなっていくのが三十代。多分転んでも直ぐに起き上がれないと思う。


 突き刺さるウィズ氏の視線が『余計なことをしたら斬る』と物語っていたので、部下っぽい人が俺の手首に縄を巻くのを笑顔で見送ったよ。


 なーに、誤解なんだから大丈夫。


 キチンと捜査を進めてくれれば、俺の無実も明かされるってもんよ。


 その後、領主とやらに引き渡されるために初めてやって来ました貴人街。やっぱり身分の高い人や金持ってる人用だった南区。


 兵舎も置いてあり、詰め所の地下に牢屋も完備。


 そんな南区で兵士の方々に引き渡される俺。手枷足枷を嵌められる俺。牢屋に放り込まれる俺。あれ?


 裁判は? 捜査は?


 余りの出来事に茫然自失ですよ。裁判とか捜査の前に取り調べすらないんだから。


 おっかしいぜ異世界! どうなってんだファンタジー!?


 餅つけ。違った。落ち着け。


 とりあえずの現状の把握のため、分からないことは誰かに尋ねるを地でいく俺としては、食事やら巡回やらで回ってくる兵士さんにどんな状況か聞いてみよう。


 こういうときの領主の対応やら現状証拠だけの起訴の有無やら。日本じゃないからね。現地の法律が重要。


 そんな期待を込めて、兵士やら領主やらの接触を待つこと二日。


 そう二日。


 ……えっ!? 二日!?


 その間、一切の接触が無く。


 耳をすませば兵士の人の声が聞こえてくるので詰め所に人がいないわけじゃないのに、誰も降りてくることがなく、ただひたすらピチョン……ピチョンと垂れてくる水を見続けるといった二日間だった。


 あれ? 殺しにかかってね?


 三日目になって気づいたのだが、水も食べ物も供給されなきゃ死ぬよね? 幸い俺にはアイテムボックスというチート(ズル)で生き延びられているんだが……常人ならそろそろ限界点。あ、ああ、この滴り落ちる水が水分なのかな? なら七日はいけるとかそんなん?


 いやない。騙されてるよ絶対。新聞の契約を四部も取った俺だから分かるね。これは殺しにかかっている。


 だとしたら何故だ? この臭いものには蓋な対応。取り調べすらない展開。


 これはいくらなんでもおかしい。……丸二日、気づかなかったことは置いといて。


 試される推理力。舞い降りてきてゴッド。むむむ…………閃き! って無理です。分かるか! こちとら薬草求めて森を徘徊してただけだわ。怪しくもなんともないわ。ファンタジー的に普通だわ。


 他人の家に入っていってタンスを漁ってもゆるされるのがファンタジー。捕まるね。おかしくなんてないね。


 ひたすら垂れる水だけを見る監獄生活。同居人はなく、いわゆるボットンのトイレとゴザのような敷物がある二畳半。


 いや待てよ。ああ、同居人いるじゃん。ゴザの上で横になっている白い人。人? いや骸骨。


 そう白骨。


 ………………。


 これはどう判断したらいいんだろうか……。


 落ち込みそうになるも気を落ち着かせて食事に掛かる。ハンナちゃんが調理してくれた味噌汁モドキをアイテムボックスから取り出し、買っておいたお椀に注ぎ込み、ついでに白パンを木皿に召喚する。


 アツアツ。時間経過がないって便利だなー。


 冷める前に再びアイテムボックスの中に味噌汁モドキが入ってる鍋を収納。湯気を上げる味噌汁モドキを一口。ここで、かぁ〜〜っ、とか、風呂入った瞬間、くぅ〜っ、とか言ってしまうのが、オッサン? いや日本人だね。オヤジ臭いとか言ってぇ、ほんとはみんな言ってるんでしょ? 生き返るー、とか、五臓六腑に云々とかである。俺? 言わないけど?


 霊気、違った、冷気漂う半地下で食事を終えて小休止。トイレを済ませて考え事だ。ちなみに紙がなかったので、水魔法を覚えた。布はアイテムボックスにあるのでそれで拭いてる。


 いつもは魔力を全放出して迎えがくるまで寝るを繰り返していたのだが、迎えがこないので、今日は現状の打開策を考えることに。


 ぶっちゃけ俺は無実である。


 つまりこれは冤罪ということになるのだが……こちらの世界での冤罪時の対応がよく分からない。実は元の世界においての冤罪時の対応もよく分からないけどね。お金とか貰えるの? ぐらいの意識しかないよ。可能性としては「真犯人が見つかったから釈放だ」って見張りの兵士の人に言われて牢屋から出られるだけって事もあるかも…………メッチャありそうですやん。


 補償とかなさそうな異世界。人権なんてファンタジー。


 …………もしかすると、俺って結構、危機的な状況だったりするんだろうか。そうだよな。履歴書に逮捕歴を載せるなんて十分ヤバい状況だよな。


 よし決めた。釈放時には逮捕歴の削除を求めよう。そうと決まれば直談判だ! 次に見張りの兵士の人が来たら事情を、って違う。


 ループしてるよ。抜け出せない思考の海にダイブしてるよ。


 しかし出口が見えないからね、仕方ない。一般人の思考の限界だよ。ここでアレコレと策を労して牢屋を出て行くのが十代。牢屋を出た後の事を考えて一歩も踏み出せないのが小心者。なるようにしかならない。


 結局、上手い手段が見つからず今日も魔力を垂れ流す事に。


 何も考えない、それが仕事をスムーズに回すコツだ。


 アイテムボックスから飲み物系を取り出して氷を入れる仕事に今日も励む。


 恐ろしい偶然から俺は火魔法と水魔法を使えば氷を生み出せる事に気付いた。弛まぬ研鑽により培われた術よ。スキル一覧に氷魔法ってあったけどね。いいんだよ。スキルポイントを無駄にしなかったと思えばそれで。


 樽ごと買ったエールに火魔法と水魔法を合成してロックオン。コツは火と水を生み出してから合わせないことだ。魔力の段階で練り合わせて対象に向けることが重要。バシュウってなるからね。漫画じゃ上手くいっていたのにね。


 樽の表面に水が浮かび樽の中に氷が現れる。少しばかり増量している事から、多分内部の水分が凝固した訳じゃなく、普通に氷が足されただけだろう。あんまり長く続けないことも肝要だ。霜が張ってきちゃうんだよねー。あと寒い。


 このままにしておけばいずれ氷が溶けて味が薄くなっちゃうかもしれないが、そこは流石のアイテムボックス。時間経過無しの凄さよ。防御系チートって何だったのか問いたい。


 今日も黙々と仕事をこなしていたら、パラパラと落ちる砂埃。バタバタと聞こえてくる喧騒。ズズンと体を揺らす重低音。


 地震だな。違いない。


 こちとら地震と台風に怯える国出身なのよ? 地震を見間違う筈がない。


 そうと分かれば地震対策だ。


 まず日の本、違った、火の元を止める。火魔法と水魔法をオフに。


 次に安全確保。樽をアイテムボックスにインして木製の机を取り出す。将来の俺の家に備え付ける家具はバッチリ買ってある。備えあれば憂いなしだ。机の下に潜る。


 後は兵士の人が呼びに来るまで待機だ。パニックになっちゃいかん。パニックが一番痛い。


 …………。


 ……念のため次元断層も掛けておこう。揺れに効くか分からないけど、念のため。


 ズズン……ズズン……と予震が続く。パラパラと落ちてくる砂埃の音は、コツコツと小さな石が落ちてくる音に変わった。気のせいか、見張りの兵士の人達の話し声が聞こえてこなくなった。


 一時間程経った。


 未だに予震が続く。やはり世界が変わると本震までの長さも変わるのだろうか? 直ぐに来るとばかりに思っていた本格的な揺れは未だにこない。


 兵士も来ない。……。


 いや、パニックはいかん。パニックが一番痛い。ここでパニックを起こしたら、正にそのタイミングで揺れがくるね。マーフィーの法則については我々が世代だ。避けようのない摂理というものがある。


 やや汗が滲み出したオッサンがそう考え出したところで、正に激しい揺れが来た。


 ビックリな事に俺自身は揺れないという誤算付き。マジか次元断層。一家に一台欲しいレベル。


 カラカラとダンシングする隣人。ガラガラと落ちてくる瓦礫に埋まるトイレ。鉄格子がひん曲がり人が通れる広さになり誘惑してくる。いや通っていいだろう。これはあれだ、緊急避難措置というやつだ。


 このまま移動しようと、未だに無事な、頑丈さを十二分に発揮している木製の机の脚を掴む。


 めこりっ。


 ……。


 このまま移動しようと、激しい揺れに脚が凹んでしまった木製の机を掴む。


 そこで一際大きく地面が揺れる。目の前の通路が崩落。驚きなことに青い空が覗く。


 危なかった。一瞬早く逃げ出していたら逝っていた。やはり災害時には冷静な対応が物を言う。


 それでは脱出、と、半ば用を達せなくなった牢屋にサヨナラを告げようとしたところで影が掛かる。なんだろう、雲かな。


 反射的に見上げた空から逆光で見づらい黒い影が近づいてくる。バッサバッサと音を立てながら近づいてくる。


 そいつはズシャアと音を立てながら地面に脚を降ろした。脚の爪は三本、鋭利に尖り人間なんて簡単に貫けそうだ。緑色の鱗がビッシリと全身を覆い、翼腕というのだろうか、皮膜の張った翼が威嚇するかのように広げられ、爬虫類特有の縦長の瞳孔がこちらを見つめている。


「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


「おんわぁああああああああああああああああ!?」


 ドラゴン? ドラゴンじゃね? いつぞや山に帰っていった爬虫類。やあ、久しぶり。


 音比べするように叫び続ける俺と異世界トカゲ。先に音を上げたのはトカゲだ。音だけに。うふふ、おもしろーい。


 渾身の一振りを脳内のデータベースに保存。じゃ、いい勝負でしたねと爽やかに去ることって出来るかトライしてみようとしたら、トカゲは激しく息を吸い込み出した。


 息継ぎでしたか。でも負ける気はしない。ぶっちゃけトカゲがいなくなるまで叫び続けられる。


 未だに驚愕の悲鳴が鳴り止まない俺に対してトカゲも口を開く。わざわざ軽く首を後ろに反って勢いをつける程の気の入れようだ。


 迸る炎が視界を埋め尽くした。

「おでぇぁああああああああああああああああ!?」


 何してくれてんのこの異世界固有種!?


 頑丈さが売りの机も、流石に火はいかんよ火はとばかりに黒こげになる。机、お前、いい仕事してたぜ。


 机の残骸が残る掌を握り締めトカゲを睨む。


「アギィア?」


 吐き出し尽くした炎の中から無傷なオッサンが出てきて動物的に首を捻るトカゲ。


 机の仇だ!


 キッと睨み一閃。手を掲げ堂々と唱える。


「視界跳躍!」


 切り替わる景色に直ぐさま振り返りトカゲの様子を窺うと、ドコイッタ? とばかりに牢屋に鼻を突っ込もうとしているトカゲが見えた。


 よし逃げよう。


 幾らなんでも机のために命賭けたりしない。貴い犠牲ってやつだ。また買おう。


 トカゲがフンフンやっている内に、街の外を目指すべきだな。


 この機に脱獄しようって訳じゃないよ? ただ危険からなるべく遠ざかろうと思っているだけで……。


 …………でも街はこんな状況だ。一匹かと思ったドラゴンが何匹も視界に映っている。


 群れだ。群れで来ている。


 そんなドラゴンの襲来があった中で生存者の確認は難しい訳で……ましてや罪人の生死なんて封建制度極まるこの世界じゃどうでもいいんじゃ…………。


 いや、脱獄する訳じゃないよ? そもそも無実。当方に後ろ暗い所なんて…………いや、正直、生きてたら一つや二つ出てくるけどね。


 しかしこれは脱獄ではない。緊急避難措置というやつだ。ただドラゴンのブレスとかが牢屋に直撃していたからね。中の人は生きてられないんじゃないかなって思う。


 大人って汚い生き物なんだ。よく考えれば分かる。政治家はみんな大人。


 瓦礫の陰をチョロチョロしながら東門へ向かう。いやー、トカゲの数が多くないかな? これは街が滅ぶレベル。だってチラッと街中に顔を出したらもうコンニチハ。細い入り組んだ路地を行くしかない。どうしても越えなきゃ駄目な大通りは瓦礫を利用しササササーっと。


 当方、害虫ではございません。


 しかしなんだ、臭いがヤバいな。焼け焦げる臭いもそうなんだが、人型の炭が出す肉の焼ける臭いなんてもう……。


 焼殺なんて酷い。人間のやることじゃない。


 …………俺、グロとかダメなんだけどなぁ。いつの間にかこんなに強く……なるもんなのか? はて?


 首を傾げつつも路地を走り、再び大通りにぶち当たる。ここは結構マシな方だな。瓦礫が少ない。


 だから隠れる所がない。


 そ〜っと通りを覗くと東西からそれぞれ一匹ずついるトカゲ。なんで行儀良く通りを歩いているんだよ。空飛べよ。その翼は飾りか?


 東側のトカゲがこちらに歩いてくる。まだ距離があるがいずれは見つかってしまうだろう。西は?


 屋台で売っていたシチューが入っている土鍋に顔を突っ込んでいる。腹ぺこなの?


 どうせこのままなら挟み撃ちにされてしまう。逃げるにしても足止めをしたい。


 囮作戦だ。


 アイテムボックスからデカい鍋を取り出す。


 お気に入りだった鶏肉のシチューだ。少し惜しいが命には替えれまい。まだ五口あるしね。


 ズシンズシンと地響きを立てながら東のトカゲが迫る。再び顔を出して距離を確認。


 鍋の蓋を開けておけば勝手に匂いに釣られてやってくるだろう。ふっ、やはりこの頭脳こそがチートだったということか。後はトカゲの向こう側に周り……待てよ。トカゲの向こう側って見えているよね。


 おぅ、なんてこったい。跳べるじゃん。


 ……違う。封印されているからだ。危機的状況以外で軽々しく使わないのが大人。でもこのままじゃ挟み撃ちされてしまうから、腹ぺこなトカゲに食べられてしまうかもしれないから。


 …………危機的だ。


 自分への言い訳を完璧に、封印を解く俺。じゃあそゆことで。


「いや、いやいやいやあ! やめ、止めて止めて止めっ!?」


 何事?


 封印されし魔眼でトカゲの脇に見える向こうの通りに跳ぼうとしたところで、違う通りからメイドが蹴り出される。


 西のトカゲの前だ。西のトカゲは腹ぺこだ。


 これはいけない。


 すかさず次元断層をメイドに発動。西のトカゲが素早くメイドをパクり。


 ゴキリやらバキやらの効果音を響かせて折れ散るトカゲの牙。


 間に合いましたか。


 牙が折れて痛かったのか狂ったように暴れる西のトカゲ。爪で攻撃しては爪が折れ、脚で踏み潰そうとしては脚が折れ、ボロボロ。


「ゲギャアアアアア!?」


「グゥエガアア?」


 こりゃ堪らんとばかりにバッサバッサと浮上する西のトカゲ。ある程度の距離をとって浮かび上がると、激しく息を吸い込み始めた。


 ブレスの予備動作だ。あれは大丈夫。既に効かないという実績がある。実績っていいよね。給料に直結したりしなかったり。


 西のトカゲが空中から広範囲に炎の息を吹き散らし、俺の後ろからも同時に炎が舞い上がった。


 ……んん?


 振り返ると東のトカゲが『あれ? こいつ焼けなくね? あれ?』とばかりにブレスを連射している。俺に接近を気付かせないとは…………ドラゴンって恐ろしい。きっと天性のハンターなんだ。


 まあ何はともあれ、これでドラゴンの攻撃の殆どが次元断層に通じないということが分かった。


 ならば隠れながら東門に向かう必要もあるまい。


 俺は炎に捲かれながらもメイドに近づいた。


 へたり込んだメイドは口を茫洋と開き、目の焦点が合っていない。本来なら綺麗な顔をしているのだろうが、涎やら鼻水やら涙やらが垂れ流しで台無しだ。白い御髪は元々と思いたい。本当に大丈夫だろうか?


 メイドに声を掛ける前に、メイドが蹴り出された通りを覗き込む。あの蹴り足の主がいるであろうから、流石に警戒しなければ。


 通りはもぬけの空だった。


 まあ、長々と残っていたら死ぬしね。


 俺がモタモタと通りの確認をしているうちに西のトカゲはヨタヨタと飛び去っていってしまった。飛び方が変なのは脚に傷を負っているからか。大丈夫だろうか?


 東のトカゲは炎を吐くのに疲れたのか途中で蹴りに切り替えていたが、そのせいで、タンスの角に足の小指をぶつけた人みたくなっている。大丈夫だろうか?


 しかしこれで厄介事は片付いたんじゃないだろうか。メイドに声を掛けようとしたところで、気付いた。


 チョロロロという水音と共にメイドの足下の地面に広がるシミ。微かに香るアンモニアのスメル。


 …………危機的だ。


 ちょっとドラゴンカムバーーーック! きっつい炎を頼むよ! 水分なんて一瞬で蒸発しちゃうようなやつを!


 くっ、空を飛んでるのは駄目だ! なら東!!


「ギャア? ………グェガアアアアアアアア!」


「あ、待て違う。掛かってこい! こっちこい! さっきまでアホ程吐いてたヤツを、一発でいいから、ねえ!?」


 俺は優しげな眼差しを投げかけただけなのに……東にいたトカゲも飛び去ってしまった。


 ………………。


 街にはドラゴンがはいて捨てる程いるはずなのに、何故かこの辺り一帯だけ既に戦後の様相を呈している。


 ……静かだなー。


「…………あの」


「あっ、はい、なんでしょう?」


 ドラゴンに待ったを掛けようと手を伸ばした状態でストップしていたら、メイドの方からお声が掛かった。


「……なんで私は生きてるのでしょうか?」


「ああ、多分それが天命なのでは?」


 …………。


 再び訪れる沈黙。


 多分、助かった原因を俺に求めたんだろう。うん、大体合ってる。


 しかし俺は極力自分のスキルを話さないことにしている。神様印とか厄介事しかない気がするし。まあ既にアッド君にはバレてるが。彼、子供だし。


 魔法っていう言い訳は、しない方がいいだろう。これ、全く魔力使わないから。見る人が見たら分かるだろう。


 どう誤魔化そうか考えていたら、メイドが曰く言いたげな表情で折り畳んでいた足を見せてくる。


「これでもですか?」


 メイドの足は、腱がズタズタに切り裂かれていた。


 うっわ、めっちゃ痛そう。回復魔法回復魔法。


 苦い顔で即座に患部に向かって手を翳す。淡い緑色の光がメイドの足を覆う。抉れた部分に光が集まり、みるみると傷口が塞がり治っていく。


「……え……?」


「他に怪我してる所はありませんか?」


「…………え……」


 メイドはペタペタと足首を触っている。


 よく見ると、メイドのスカートは無理やり切り裂かれたようになっている。元からミニスカートだったわけじゃなさそうだ。足首の怪我も、ドラゴンにやられたにしては浅い。いや、大怪我だったけどね。


 うん? 事情がよく分からない。


「あの大丈夫ですか? 足、治ってますよね? 他の怪我は?」


「……あ、はい。大丈夫です。治ってます……」


 未だにサスサスと足首を触りながらもメイドは答えてくれた。


「……な、治って…………うぅっ」


 と思ったら泣き出した。


「え、あ、どっか痛い? 大丈夫? な、あ、う? 怪我が、怪我がね?」


 オッサンは混乱している。


 オッサンは回復魔法を唱えた。


 しかし効果は無いようだ。



 十分程、経っただろうか……。



「……すん……」


 ……オッサンには泣いているメイドに胸を貸すような甲斐性は無い。そんなんあったら御一人様やってない。


「……すいませんでした。もう、大丈夫、です」


「そ、そう。じゃあ、ここ危ないからさ、東門に向かおうと思うんだども?」


 こういう時には手を貸したりするものなんだろうけど……何度も言うがオッサンに甲斐性はない。


 なるべくスカートの丈を伸ばしだいのか、メイドはスカートの裾を引っ張りながら立ち上がった。オッサンは如何にも警戒してますと言わんばかりに目を逸らす。


 見てない。何も見てないってことにするのが大人。


 実際に怪我することは無いのだが、スキルの説明をしていない為、コソコソとメイドと連れ立って東門へ向かう。どうやら北区はそんなに破壊されていな模様。最も、人影は皆無だが。


「……あの、こっちを曲がった方が速いですよ?」


「……」


 おっと。街並みを心配するあまり曲がり角を行き過ぎてしまったようだ。


 今度はメイドが先行しながら東門へ。


 漸く知っている道に出た。メインストリート。ここからは真っ直ぐだ。トカゲもいない。


 今のうちに距離を稼ぐべくメイドと共に走る。すると見えてきた東門には人集りが。もしかして入退街をチェックでもしているんだろうか。非常時だというのに。


「アンジェラ!」


「カルミナ!」


 最後尾を陣取っていたメイドの人達の一角から一人が走り寄ってきて、こちらのメイドに抱きつく。感動の再会だろうか。


 微妙にいたたまれないオッサン。兎に角。知り合いと合流が出来たのならオッサンはお役御免だろう。コソッと人ごみに紛れていく。


 順番を抜かすようなことをしたくないが、なんでこんな所で住民が詰まっているのかが分からない。ハタと閃くのはパニック物の映画ぐらいだ。誰か感染でもしているんだろうか。


 分からなかったら、直ぐ近くの人にお声掛けだ。


「あの、なんで立ち往生してるんでしょうか?」


「あ? あ、ああ。あんた後から来たんかい? なんでも門の前に魔物がいて、冒険者の方が退治するのを待ってるらしいんだが……」


 随分と勤労なトカゲだな。


 答えてくれた老人に銅貨を五枚渡す。


 何はともあれ、なんとかなりそうな気配だ。避難所に辿り着くと落ち着くのが必定。仕事終わりの週末に、気を緩めるなと言われても、どうしようもないのと同じだ。


 余裕が出来てくると知り合いの心配なんかも心に浮かぶ。そういえば、女将さんに大将にアッド君は無事だろうか。


 なんとなしに溢れかえる人を見回す。


 ………………。


 ………………。


 あれ?


 い、いない気がする。


 アッド君はともかく、大将と女将さんを見落とすとは思えない。


 も、もしかして……。


 脳裏に浮かんだ予想を打ち消したくて人ごみを端から端まで見渡す。謝りながら割り込んでドンドン前に。


 いない。


 キョロキョロと挙動不審なまでに必死になって探していたのを、勘違いしたのか周りの人は気の毒そうな視線を送ってくる。


 そう。勘違いしている。


 ただ見つからないだけだ。


 それでもいつの間にか一番前まで来ていたらしく、人ごみの中から抜けてしまう。


「ハアアアア!」


「ふっ!」


 気合い一閃。狭まっていた視界に声の主が飛び込んでくる。


 大剣を軽々と振るうウィズさんと、重そうな槍を突き込むギルドのお偉いさんだ。


 魔物の退治を買って出た冒険者ってウィズさんだったらしい。ギルドのお偉いさん付き。


 だが、対する魔物がトカゲじゃなかった。


 ……………………………………元祖灰色犬じゃん。


 よく見ると灰色犬ズが街を囲んでいる。西門も同じような…………あ、そうか。西門だ。西門にいるに違いない。


 そうと決まったら西門に、いや待てよ。この状況をほっといていいんだろうか?


「ぐぅぅぅっ!」


「リーダー!」


 俺が躊躇している間にウィズさんの左腕が舞った。鮮血が吹き上がり怒号と悲鳴が交差する。


 …………おぅ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ