スパイク
「ちょっと。邪魔。」
1日目の休日練習を終えた午後3時。
リビングのソファで寝ていた俺は、姉ちゃんにたたき起こされ目が覚める。
「寝かせろよ‥すげぇ疲れた。」
「寝たいなら自分の部屋行けば? 私はここに座りたいの。」
アイスを片手にもった姉ちゃんは、他に誰も座れないように寝ていた俺の足をもう片方の手で無理やりどかす。
おかげで下半身がソファから落ちる。
「2階なんて行ったら明日の朝まで起きてこねーよ。」
今日は土曜日だ。
桜谷高校は、課題がとんでもなく多い。
入学して数週経ち、ようやくすべての教科を受けたところで早速全教科から課題が出ていた。ご丁寧に課題内容を集約したプリントまで配られる。
こんなの中学の時は夏休みと冬休みしか貰っていなかった。明日は予定が入っている。今日寝たら明日1日でやりきれる気は正直しない。
「なんでそんなダラダラしてんの。」
俺に背を向け、さっき獲得した、元・俺の足が乗ってた領地に体育座りをしている姉ちゃんは、こっちを向かずに聞いてくる。
視線は録画していたバラエティー番組にしかいっていない。少しお高いアイスを、溶けるんじゃねーのってスピードでゆっくり食べながら見ている。
「休日練習行ってきた‥。」
「それでそんなへばってんの? 」
「だって超きつかったし。舐めてたわ。」
「うちの学校なんて土日どっちか、しかも半日練だからいい方でしょ。黒川高校とか、強豪校なんて土日どっちも1日練習やってるよ。」
それは確かに思った。
俺達が帰るとき、まだ練習をしていたり昼ご飯を食べ始めたりしていた高校生らしき陸上部の団体をいくつか目にした。
午前中でもこんな状態なのに、あれが1日、2日続いたらどうなるんだろう。精神的にまずもたない。
「4321やったわ」
「練習で? 」
「そう。」
「あれはきついね。」
私も嫌いだったなーっていう姉ちゃんの顔は、相変わらずテレビしか見ていないけど。声はどこか懐かしそうだ。
「高田先輩なんて、汗かいてるけど全然疲れて見えなかったし。」
「京一くんは、あれわりと得意だよ。」
「あんなの得意とかあんの!? 」
「あるよ? 逆に体幹トレーニングは苦手だったよ。」
「体幹ってなに。」
「走る時の身体の軸、みたいな。それが強いと、苦しい時に踏ん張れるらしいよ。あと腹筋も苦しい時使うけど。」
「は? 腹筋使うって何? 」
俺が質問攻めにしてたら若干めんどくさくなったらしい姉ちゃんは、そのうちわかるよって言って俺との会話を打ち切った。
「‥そーだ。俺明日朝10時半には出てくから、もし母さんに聞かれたらそう言っといて。」
「なに? 出かけんの? 」
「スパイク買ってくる。」
「は? お前ひとりで? わかるの? 」
「なんか、白雪先輩が手伝ってくれるって。」
「え、姫ちゃんと!? 」
姉ちゃんは驚いてこっちを向く。
「いや、高田先輩と梓先輩も来ると思うけど。」
「びっくりした。デートかと。」
そんなわけあるか。
「ん? 姫ちゃんたちって今3年生か。」
「そうだけど。何急に。」
「うちの部の恒例なんだよ。3年と新入部員がスパイク買いに行くの。」
「え、そーなん? 」
「そうだよ。新入生の1足目のスパイクは経費で落とすんだよね。部費有り余ってるから、どの部もだいたいそうしてるよ。」
「なにそれ。いいのかよ。」
「さぁ? ずっとそうだからいいんじゃない? 2足目からは自分で買うし。」
「へー。」
「まぁでも、だいたい高校で陸上やってる人って中学でもやってるからね。だからぶっちゃけ先輩と後輩の親睦会。3年生はどんなに強くても夏のインターハイまで行けば引退だから。」
引退。
急に出てきた言葉に少しどきっとした。
まだ俺は始めたばかりだから、そんな実感はまるでなかった。
自分のことで精一杯だった。
でも、先輩達からしてみれば、今年は3年目のいわば集大成の年なわけで。
来年なんて当然ない。
なんだか不思議な気分だった。
ーーーー
日曜日。
10時50分、白崎駅の時計の下。
俺達が住んでるところで1番大きい駅といえば、10人が10人とも白崎駅だと答えるだろう。
駅ナカのお店の充実はもちろん、駅から徒歩10分のところにカラオケやレストラン、100円ショップに本屋もある。
更にバスターミナルからは、病院や大型ショッピングモールへと続くバスも出ている。そんな便利な駅は、朝から既に多くの人で賑わっていた。
「葉祐くん! 」
遠くから、聞き覚えのある声がする。
声の方を見ると、高田先輩が立っていた。
人がそれなりにいても、長身と所謂イケメンオーラを兼ね備えた先輩はすぐに目に入る。
先輩の少し後ろには、最初に会った時と変わらずにこにこ笑って手を振る梓先輩と、相変わらず大きな目をしっかりとこっちに向けてくるあまり笑わない白雪先輩がいた。
「おはようございます。」
「おはよ。早いねー。葉祐くん早めに来るタイプなんだ。」
長身の先輩は、高校生というよりは大学生のような格好をしていた。
襟付きシャツにチノパン、かっちりしすぎないジャケットとネックレスは、どれも先輩に似合っていた。たぶん俺が同じ格好をしても、こうはならない。
「おはよう、葉祐くん。」
俺の前に来て、にっこりと笑う梓先輩は、間近で見ると九条先輩の気持ちがわからないでもない。
確かに可愛い。
黒髪に清楚なワンピースがよく似合っていた。
「おはよ。後輩くん。」
最後に白雪先輩に挨拶をされる。
パンツスタイルの先輩は、らしいと言えばらしい。
それにしても、梓先輩と並ぶとやはり背が低いということがよくわかる。梓先輩も別に高い方じゃないけど、白雪先輩と並ぶと梓先輩がやたら高く見えた。
「じゃあ行こ。歩いてすぐだから。後輩くんも、場所覚えてね。そして、今度から必要なものはそこで買って。たぶん普通の店じゃ売ってないから。」
白雪先輩が、まるで練習の時のように指示を出す。陸上部に入ってまだ数日しか経ってないけど、白雪先輩が部長だからなのか、それとも白雪先輩のオーラのせいなのか、先輩が話し出すと気が引き締まる。
「硬いなー、姫ちゃん。」
「高田うるさい。」
「はいはい。」
いつも通りのやり取りをしながら、高田先輩と白雪先輩は歩き出す。
梓先輩がそれに続いたから、俺も半テンポ遅れて歩き出した。
でも、高田先輩と白雪先輩が話しながら歩くものだから、俺は必然的に梓先輩と並んで歩くことになってしまう。
なんだか恥ずかしいので、若干後ろを歩く。
そもそも梓先輩とはほとんど話したことがない。練習ではあまり会わなかったし、種目も違う。
「あの2人、いっつもああなの。もう慣れた? 」
急に、梓先輩から話しかけられた。
「あっ‥はぁ、まぁ‥。」
戸惑いで、曖昧な返事をしてしまう。
「そっか、よかった。初めの頃はみんな、喧嘩してるって思ってちょっと怖がっちゃうんだよね。でも、あの2人はあれがコミュニケーションだから。」
ふふ、と上品に笑う梓先輩。そよ風が先輩の髪を撫でる。
「‥まぁ、最初は冷や冷やしました。」
正直今も冷や冷やする。
白雪先輩は高田先輩と話せば話すほど不機嫌な顔になる。
「そうだよねー。私はもう慣れっこだからよくわかんないんだけど、去年冬麻ちゃん達に言われて初めて気付いたんだ。」
冬麻先輩の名前が梓先輩から出てきたことに、少しどきっとした。
同時に冬麻先輩の梓先輩に対する変わりようも思い出す。あれは凄かった。
「先輩、そんなに長く高田先輩達といるんですか? 」
「うん。2人とは中学一緒だったの。」
「そーなんすか!? 」
「そうだよーっ。」
てことは白雪先輩と高田先輩も、当然だけど同じ中学だったわけだ。仲がいいのにも少し納得できる。
「姫ちゃん、私も会ったときちょっと怖かったんだけどね。でも、話すと凄いいい子で、優しくて真っ直ぐなんだ。だから、すぐ葉祐くんも好きになるよ? 」
「‥なんか、仲いいんすね。」
「仲いいよー? たぶん、一番の親友。かも。」
少し照れながら笑顔でこっちを向く梓先輩は、純粋に可愛かった。
冬麻先輩のことイマイチ信じてなくてごめん。冬麻先輩の気持ちがすごくよくわかった。
「後輩くん、場所変わって。高田の隣本当に嫌。」
白雪先輩が急に俺の方を向いて言ってきた。突然のことに少し驚く。
「もー、姫ちゃんが高田について行ったんでしょー? 」
「あれは成り行き。」
「ワガママなんだから。」
「別にワガママじゃない。」
「せっかくできた後輩なのに、嫌われちゃうよー? 」
梓先輩はゆっくりとした口調で、でもお姉さんっぽく白雪先輩を諭す。いつもはあんなに凛として、怖さまで与える白雪先輩がやけに幼く見えた。
「2人とも、通り過ぎるよ? 」
高田先輩の声で、自分たちが目的地の前に着いていたことに気付く。
横には、広い駐車場と大きなスポーツ用品店が立っていた。よく通る場所ではあったけど、俺自身は用がなかったから今までそんなに意識した事はなかった。そういえば確かにあったな、という感じだ。思った以上に大きい。
「葉祐くんは入るの初めて?」
肘の少し下くらいまでジャケットを捲っている高田先輩に聞かれる。
「そうですね。初めてです。」
「春花先輩についてきたこととかないの? 」
「姉ちゃんは来てたみたいですけど‥ついていった事はないです。」
姉ちゃんがここに買い物があっても、俺は大体大型ショッピングモールにいた。
両親も陸上経験がほとんどない我が家で完全に突然変異種だった姉ちゃんは、部活に必要なものは全て1人で選んでいた。姉ちゃんいわく、知らない人と見るなら1人でゆっくり選びたい、らしい。
「なんか、当たり前だけど、春花先輩のこと姉ちゃんって呼ぶんだ。」
「え、なんすか。変ですか。」
「わかってはいるけど、やっぱり春花先輩の弟って改めて感じると変な感じだわ。」
「そんなこと言ったら、姉ちゃんが高田先輩たちの先輩ってことの方が俺にとっては違和感ですからね。」
「あー。そう言われりゃそうかもな。」
そんな話を高田先輩としながら、大きな駐車場を横切る。
朝早いせいなのか、駐車場が広いからなのか、車はそんなに停まったり通ったりはしていない。
大きな駐車場を横切って、建物の中に入る。
中は少しだけ冷房が効いていた。広くて少し高めに作られた天井と、壁一面に積まれたシューズが目の前に飛び込んでくる。目線と同じ高さには、ユニフォームやTシャツ、靴下など様々な用品が綺麗に陳列されている。
「目の前にあるのはサッカー用品ね。陸上は、サッカーの奥。」
いつの間にか俺の隣に立っていた高田先輩がそう説明してくれる。
Tシャツなどの小物用品を突っ切って、広い店内のおそらく真ん中に位置している水泳用品のコーナーを抜けて、1番壁際のサッカー用品のコーナー。
さらにその隣の陸上コーナーへたどり着く。
陸上用品も、一面にスパイクが置かれていた。
スパイクが並ぶ隣の壁にはランニングシューズが同じく壁一面に並べられている。
「ここが陸上ね。」
様々な色のスパイクが目に飛び込んでくる。赤や青、蛍光の黄色やピンクもある。
こんなに種類があるのか。知らなかった。
「じゃあ、ここからはよろしくー。」
高田先輩がそう言って声をかけると、梓先輩は「はーいっ」と可愛く返事をして壁いっぱいのスパイクの前に立った。
「え、どういうことですか? 」
俺はよく状況がわからず高田先輩に聞く。
「あずは、選手だけどマネージャー業もこなしてくれてるんだよ。」
「え、そーなんすか? 」
「例えば練習の時、いつも練習メニューがあるだろ? あれを先生のところに取りに行ってるのはあず。 あと、たまに先生と一緒にメニュー考えてたりもするよ。他にも、大会のまとめとかも全部あず。」
「大会のまとめ? 」
「記録会っていうのがたまにあるんだけど、それに出ることがあるんだ。ただ、一種目いくらーとか決まってたり事前に申し込みしなきゃだったり、出る方法がその記録会によって全部違うんだよね。そういうの聞いて、次はお金がいくらいるよ、とか業務連絡するんだよ。」
「へー。梓先輩凄いっすね。」
「本当は全部顧問がやるんだけどね。うちの学校、自称進学校だから先生みんな忙しいんだよね。それで、あずがやってくれてんの。で、部員の備品の相談や管理もあずってわけ。まぁ、中学の頃からスパイクマニアっつーか、詳しいからってのもあるんだけどね。」
ふわふわした雰囲気だけど、仕事もこなす。かっこいいと思った。
梓先輩すげぇ。
「ところで葉祐くんは、なんの種目やるの? 」
梓先輩は、スパイクの棚から俺の方に視線を向けて聞いてきた。
「え、種目‥。」
「あれ? もしかして、まだ聞いてない感じかな? 」
種目。
そうだ。みんな、決まった種目があるんだ。
「あぁ‥後輩くん、まだ何やりたいか聞いてなかったね。やりたいの、ある? 」
白雪先輩がこっちを見てくる。
なんでこの人はこんなに目をはっきりと見て言ってくるんだろう。俺が先輩の目の中に写りそうだ。
これ、まだ何も決めてないですとか言ったら怒られるのかな。
俺が決めあぐねていると、白雪先輩が再び口を開く。
「やりたい種目があるなら、そっちをやった方がいいと思う。でも、やりたいのが特にないなら、私とあずと先生でこの種目がいいかなっていうのがあるから、それをやった方がいいんじゃないかなって思う。」
「あっ‥やりたい、のは、特に‥。あ、でも、漠然と、短距離がいいかな、とかは思ってます。」
「そう。なら、後輩くんは400に向いてると思うよ。」
400。
姉ちゃんと同じ種目だ。そして、白雪先輩とも。
「400ってね、二種類の人がやってるの。100、200が得意な短距離タイプで400を走る人と、800が得意な中距離タイプで400をやってる人。最初のタイムから見て短距離得意なのかなって思ったけど、後輩くんの体型は長距離に向いてるから。だから、400専門に100や200にも出る、って感じでどうかな、って思って。」
「体型が長距離? そういうの、あるんですか? 」
「んー‥全員が全員そう、ってわけじゃないんだけど、長距離やってる人って大体足長くて足の全体に程よく筋肉ついてる感じなんだよね。後輩くんの足、そんな感じじゃない? 」
「え‥。」
考えたこともなかった。
確かに背は高いといえば高いほうだ。足も短いとは言われたことは無い。
けれど、だから長距離向きだなとか、そんなことは考えたことなかった。
「まぁとにかく、後輩くんやりたいことないなら取り敢えずこんな感じで練習してほしいかなって思ってるんだけど。どう? 」
「あっ‥それで、よろしくお願いします。」
異論はないけど、嫌とは言えない雰囲気だった。
「わかった、短距離だねー。」
梓先輩はそう言って、壁から楽しそうに何足かのスパイクを手に取っては戻し、また手に取っては戻し、としている。
そんな行為を数回繰り返した後、片手に1組ずつ、2組のスパイクをもってきてた。
真っ青のスパイクと、白地に青い線が入ったスパイクだ。
「やっぱり短距離の定番といえばこの2足かなー? 葉祐くん、座って座って! 」
俺は梓先輩に言われるがまま、近くにあった四角い椅子に座る。
「まずこっち。ビスキュイっていうメーカーのやつなんだ。」
梓先輩はそう言って、俺の足の前に真っ青のスパイクを置く。
片方ずつ手に取り、ひっくり返して靴の裏についている、でこぼこしたゴム性のカバーを外す。そのカバーが外された瞬間、俺は思わず声が出た。ゴムの下からは、尖った太い針が出てきた。
「あれ? 春花先輩が変えてるのとか、見たことない? 」
梓先輩が針をこっちに向けるが、思わず後ろに少しのけぞってしまう。
「大丈夫だよー、これは土用のスパイクピン。グラウンドみたいに、土のところを走る時はこのスパイクを履くんだ。」
「それで走れるんですか? なんか、逆に走りにくそう。」
「あはは、私も最初はそう思ったよー。でも、このピンが引っかかって速く走れるようになるんだ。タイムで見ると全然違って驚くよ? 」
梓先輩がにっこり笑っていうから、そんなもんか。と思ってしまう。
白雪先輩と雰囲気が真逆だ。
「はい、どうぞ。履いてみて! 」
靴の裏のゴムをどちらもとった先輩は俺に促してくる。俺は靴を履いて、足の甲に3ヶ所平行に並んだテープを止める。マジックテープでとめる靴なんて、小学校以来かもしれない。
「どうかな? こっちのメーカーの方が有名なんだけど、個人的にはちょっと重いかなって思うんだよね。ただ、マジックテープだから途中で紐が解けるとかそういう心配がないんだ。」
俺は足を上げたり下げたりする。靴の重い軽いなんて意識した事がない。梓先輩に重いと言われたから、重いような気がする。
「んー、言われてみれば‥? ってかんじですね。」
「そーだよねー。じゃあ次これ! 」
梓先輩は、今度は白地に青の線が入ったスパイクを俺の足の横に出した。
「これはボンゴレっていうメーカーのでね、私はこのメーカーのが好きなんだよね。凄く軽いんだー。」
今度はマジックテープだけじゃなく、靴紐もちゃんとついている。
靴紐を結んで、たぶんそれが解けないように結び目の上でマジックテープを留めるタイプだった。
梓先輩の説明を聞きながら俺はさっきと同じようにスパイクを履いて、足を上下する。
その瞬間、さっきと全く違いまるで靴を履いてないかのように足が上がるのがわかった。
全然違う。
初心者の俺でもわかる。
今までデザイン以外の目的で靴を履き比べたことなんてなかった。
こんなにも違うのか。
「軽い‥です。」
「そーでしょ! 全然違うよね! 」
梓先輩は俺の斜め下の方にしゃがみながら、にっこりとした笑顔をこっちに向ける。
「だから私はこっちが好きなんだけどね。でも高田は、重い方がクッションしっかりしてる気がするって言ってビスキュイが好きだし、姫ちゃんはほとんど無名のメーカーのやつ履いてるし。人それぞれなんだけどね。ただ春花先輩はこのメーカーの結構履いてたから、どうかなって。」
「こんなに違うのかって思いました。走りやすそうです。」
俺の言葉を聞いて、先輩はよかった!と言って立ち上がる。手には真っ青なスパイクをもっていた。
「どっちの方が好き? ビスキュイとボンゴレ。」
「俺は‥ボンゴレのが好きですかね。」
「そっか! んー、他にももっと軽いのとか、もう少しクッション性あるのとかいろいろあるんだけど、試しに履いてみる?」
「あっ、じゃあ‥せっかくだし‥。」
「いいよー! そうだね、せっかくだもんねー。何がいいかな? ボンゴレが好きならこっちのもいいかも‥短距離だから、これのの方が負担かからないかな? 」
梓先輩はまた楽しそうにスパイクを選ぶ。
先輩がもってきたら俺が履いて、履いたのを戻してまた他の‥。
気付けば白雪先輩と高田先輩を差し置いて、1時間近く2人でスパイクを試していた。
「じゃあやっぱりこれがいいかな? 」
「そーっすね‥これが一番しっくりきました。」
結局なんだかんだ試したものの、最初に履いたボンゴレが1番しっくりきたのでそれの短距離用に決める。デザインは2種類あったが、最初に履いた紐付きの方にした。
「梓先輩、ありがとうございました。」
「え、全然いいよ? 私、ほかの部員がスパイクとか買う時も結構ついて行くんだー。備品で相談があったらいつでも言ってね! 」
にこっと笑顔で言ってもらえると、こっちも思わず顔が緩む。
「それにしても姫ちゃんたちどこかな? 」
「あ‥だいぶ待たせてますよね。すみません。」
「たぶん大丈夫だよ。あの2人も好きなとこ見てると思うから。」
噂をすれば、というやつか。そんな話を梓先輩とし始めてすぐ、白雪先輩と高田先輩が帰ってきた。
「葉祐くん決まったー? 」
軽い口調で聞いてくる先輩の手には、大きな青いビニール性の袋が握られている。
「あ、いたー。高田、何買ったの? 」
梓先輩も俺と同じところに目がついたのか、高田先輩に質問しながら寄っていく。
俺もそれに続いて、高田先輩と白雪先輩の方に寄った。
「制汗スプレーとか、テーピングの道具とか。あとはまぁ、Tシャツとスポドリの粉?細々したもんいっぱい買ったわ。」
「テーピング道具とか、部全員で使うものなら経費から落とそうよ。どうせ使わないと生徒会から予算減らされるんだし。」
梓先輩と高田先輩がそんな業務っぽい話をしているが、俺にはいまいちよくわからない。
「後輩くん、決まった? 」
「えっ、」
いつの間にか隣に立っていた白雪先輩に突然声をかけられ、少し驚く。
「スパイク。」
「あっ、まぁ‥一応‥。」
「何にしたの? 」
「ボンゴレっていうメーカーの、短距離用のにしました。」
「そう‥春花先輩と、同じだね。」
そう言った先輩は、少しだけ笑ったようにみえた。
「これから本格的に練習だよ。同じ400同士、よろしくね。」
白雪先輩は、はっきり俺の目を見て言ってくれた。
今度は笑ったように見えたんじゃなくて、少しだけだけど、本当に笑ってくれた。






