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花一輪

作者: 三行

「欲しいものがあったんだ」


 小さな声でぽつりとそう言ったきり、少年は口を噤んだ。

 かちり、かちり、かちり。規則正しく時計の針が時を刻む音だけが響く無機質な部屋。古ぼけた薄暗いこの部屋に存在するのは、私と目の前の少年だけ。

「欲しいものがあったんだ」

 数分の間の後、もう一度彼は呟いた。彼の幼い顔には悲しみの表情が宿り、深い茶色の目には限界まで涙が溜まって零れ落ちそうになっている。

「そう」

 さすがに何も応えずにいるのはどうかと思い、私はそっけなく返した。

 きっと他人が見れば冷たいと眉を顰めるだろうその態度にも動じることなく、少年は言葉を続ける。いや、動じることなくというと語弊があるだろう。彼はもうすでに十分なほどに動揺し混乱しているから、今さら私の態度に反応する余裕がないだけだ。

「僕は、あの子と一緒にいたかっただけなんだ」

 まだ幼い掌は強く強く握りしめられ、小さな体ははっきりと分かるほどに震えている。それでも彼は淡々と言葉を紡いだ。そこに込められた悲しみは、私にはいつだって耳慣れたもの。この仕事を始めてからずっと、見聞きし続けてきたありふれた感情。

「それだけだったんだ」

「そうか、それは残念だったね」

 彼の心情など私には関係ないという態度を欠片も崩すことなく、感情のない声で私はただ静かに返す。

 正直、私は子供相手の仕事はあまり好きではなかった。

 といっても別に一部のお仲間のように彼らを哀れむだとか、そんなくだらない感情から好んでいないわけではない。ただ、幼い彼らは最後まで己の運命を拒み、私を困らせることが多いということ、それだけが理由だ。今は一見冷静に見えるこの少年とて、きっと例外ではないだろう。それを見ることが面白いのだと評する酔狂な者もいたが、私にはただただ面倒なだけなのだ。

「ねえ、お願いがあるんだけど」

 じいっと目の前にある何もない空間を見つめ続けていた少年が、初めてその視線をはっきりと私に向けた。ほら来た、いったい彼はどんな無理難題を口にするのだろう。

 家に帰りたい。ここを離れたくない。せめてもう一度お別れを。思い浮かぶのは、そんな叶いもしない面倒なことを口にした過去の存在たち。さあ、彼は何を望む?

「聞けないかもしれないよ」

 面倒だからね。さすがにその本音は口にせず、私はぶっきらぼうに答えた。

 そんな私に、彼は寂しげに笑う。

「……あれを、あの子に渡して。そうしたら僕は、ちゃんとあなたの言うことをきくから」

 彼が言う『あれ』が『あの子』のために摘んだ花だと気付き、私は目を瞬かせる。

「それだけでいいのかい?」

 これは珍しい。たったそれっぽっちのことしか願わない子供なんて、初めてだ。

「あの子はあれを欲しがってたから、僕には無理でも届けたいんです」

 ほんの少しの驚きに表情を変えた私に対してぎこちなく笑った少年。それぐらいのことならばと私は彼の願いを了承した。



 花を手に私が訪れたのは街の平凡な一軒家。周囲の家とさして変わらぬそこに、少年の大切な『あの子』は住んでいる。

「ふむ、この辺りでいいかな」

 萎れないように根を土塊で包み、少年が望んだ色のリボンを茎に飾り付けた花。私はそれを門のすぐ横へと置き、家の前を離れた。

 距離を置いて家を眺めるようにしてしばらく経ったころ、家の扉が開く。中から出てきたのは両親に連れられた一人の少女。彼女の灰青の眼は赤く充血し、瞼は酷く腫れている。一瞥しただけで彼女がどれほど泣き続けたのかを察することができるほどに酷い顔をしている。

 顔を俯かせ、両親に手を引かれるがままおぼつかない足取りで歩く少女。その虚ろな視線が玄関前に置かれた花にとまった瞬間に、彼女は止まっていた涙をまた溢れさせてその場にしゃがみこむ。

 上等な黒い服が汚れるのにも構わずに、少女は花を抱き締める。彼女の途切れ途切れの言葉の中で、確かに紡がれるのは少年の名前だった。


「これでいいのかい」

 私は少女を見つめたまま、後ろに佇む少年へと問い掛けた。彼はきっと強く強く少女を見つめているのだろう。

「うん、ありがとう」

 返った感謝の言葉に初めて悲しみではない少年の感情を感じ取り、私は少し不思議に思いながら彼を振り返る。そして彼に願いを告げられたときよりもずっと大きく驚いた。

 私が目にした少年の顔には、とても嬉しそうな笑顔が浮かんでいたのだ。己の運命を嘆くでも、少女に会いたいと願うでもない、満足そうな笑みが。

「じゃあ、いこうか」

これでお終いだねと私が呟くと、彼は素直にこくりと頷いた。

「そういえばさ、少し気になってたんだけど」

 それではこの仕事の最終作業を済ませようと準備をしていたとき、ふいに彼が口を開いた。

「何だい?」

「あなたの仕事道具って、『それ』でいいんだよね?なんだか僕が想像してたものと随分違って見えるんだけど」

 子供らしい無邪気な声で『それ』を指さす彼に、私は本当に変わった子だなと思う。彼は私やこの後の運命が怖くはないのだろうか。しかしこれぐらいの質問に答えることならば私にもそんなに面倒ではないので、きちんと答えてやる。

「確かに君たちの持つイメージは全て『あれ』なのだろうけど、本当はそれぞれに使いやすい形になっているんだよ。私にとって自然な形がこれなんだ。個人的に『あれ』は大仰すぎて好きじゃない」

「そうなんだ、すっきりしたよ!」

 ありがとう。そう言って本当にすっきりとした顔で笑った彼は、それから何も言うことなく彼の運命に従った。



 子供相手だというのに楽に感じた仕事。とても珍しいその仕事は、1ヶ月ほど経っても私の頭の中から消えることはなかった。これもまた珍しいことだ。過去の仕事にぐだぐだと拘り続ける仲間もいるが、私はいつも過去の仕事のことはすぐに忘れてしまうというのに。

「これが次の仕事だ」

 新しい仕事があると呼び出され、私は仕事道具を手に上役の元を訪れていた。差し出された書類を受け取り、ちらりと表紙に目をやれば子供相手の仕事なのだと分かった。

「また子供ですか……」

 この間の少年は例外的にすんなりと済んだが、やはり子供相手の仕事は好きではない。そう思い不満を口にした私に、上役はにやりと笑った。

「お前がこの前扱った少年と関係のある人物なんでな。丁度いいだろう」

 何が丁度いいというのか。意味の分からない理由で押しつけられた仕事に溜息を吐く。そうして、渡されたファイルの表紙をめくり写真に目をやった私は小さく息を呑んだ。

 そんな私を、相手は底意地の悪そうな顔で見つめている。してやったりという顔に腹が立ち、私はすぐに表情から感情を消した。それでも心の中には驚きが渦巻いている。

 栗色のふわふわとした髪、澄んだ灰青の瞳の少女。

 写真のそれは、まぎれもなく、あの少年が大切に想っていた『あの子』の姿だった。



 上役の部屋を退出し、私は書類の隅から隅まで目を通した。そして不思議なほどにあっさりと納得する。

「――そうか」

 兄弟のように育ち、仄かな恋心を育んでいた少年と少女。あと数年もすればきっと彼らは微笑ましい恋人たちになっていたに違いない。

 私が少年を訪れたあの日から少し前のこと。少年の些細な悪戯が原因で、二人は喧嘩をした。謝りに行った少年に少女が告げた言葉。

『あの山の中腹にだけ咲いている水色の花があるでしょう。それを採ってきてくれたら許してあげるわ』

 その季節であればそれほど珍しくはない、己が好んだ愛らしい水色の花を求めた少女。それは彼女の些細な我が侭であり、そして少年への許しの言葉の筈だった。

 ああ、それなのに。

 群生地が変わってしまったのだろうか。山に行った少年は何故かいつものように見つからない花を何時間も探し歩き、ようやく崖の際にたった一輪だけ咲く花を見つけた。懸命に手を伸ばしてその手に花を掴んだ直後、バランスを崩した少年の体は崖から転がり落ちてしまった。

 折角手にした花は落ちる途中で彼の手を離れ、彼から離れた場所へと落下した。彼が渡せなかったその花を少女に届けたのは、私だ。


 少年に強請った花が家に届いたとき、彼女は何を考えたのだろう。

 そして、少年があの花を摘もうとした崖を訪れたときには。


 あのとき、花を少女に届けることを望んだ少年が本当に欲しかったもの。それはきっと――。


「これでいいのかい」

 ぽつりと呟いた私の目には、あの少年の満足そうな笑みが見えた気がした。

『うん、ありがとう』

 私は溜息を一つ吐くと背中の黒い羽を広げ、大きな黒い鋏を腰に差す。


 さあ、これからあの少女の魂を迎えに行かなければ。



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[良い点] 子供の純粋さや無邪気さの、良い面と悪い面を描いた物語と感じます。 少女の無邪気なわがままで少年を死に追いやってしまうも、当の少年は少女を恨むことなく花を届けられたことに満足し、死を受け入れ…
2014/03/30 00:12 退会済み
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