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其の仇:最初ノ感情

 何もかもが不明瞭で、他を認識するための要素が存在しない空間。そこでは自分の意識だけが漂っていた。仮に辺りを色で定義するなら黒となるが、なんだかそう定義することすら場違いな感じがする奇妙な空間だ。

 あの戦いで自分は負け、身体を奪われた。だから今自分はここにいるのだろう。そして、そのうちここからも消滅するはず。つまり今は残されたわずかな猶予。自分の過去を振り返るために使えとでも言うのだろうか。そうしたところで現実には何もできない。それだけの資格が自分にはもうないのだ。次第に消えゆく意識の中でそんなことを思う。

「――き――さい」

 不意に久しぶりに聞いたような声が魂に直接響く。ずっと聞きたかったその声は素っ気なく暴力的だがが妙に暖かく、不思議と力が湧くようだった。意思が強く高まっていくうちに目の前に一筋の道ができていた。半ば強引に例えるとするならば、それは光。自分の行くべき場所への道しるべ。

 歩く、という感覚でもなく。泳ぐ、という感覚でもない。実感として何かの感触を得ることはできないが、ただ進んでいるということは分かった。だから迷わず進む。光が近くなり、主観で見る世界がそれで染まっていく。その先にいるものが何なのか不思議と理解できた。どうやら自分はあの性格の悪い幼馴染にリベンジのチャンスを与えられたようだ。ならば、本当の覚醒は戦いを超えた先。自分の身体を取り戻してからその身で感じるものだ。

 世界が広がり自分が乗り越えるべき者が目の前に現れる。彼も彼女の策に嵌まってこの場にいるのだろう。そんなことを思っていたら、いつの間にか自分と彼はそれぞれ使い慣れた刀を持っていることに気づいた。それを確認して、ここがイメージで浮かび上がる精神世界のようなものだと確信する。

 つまりここで行われるのは身体の所有権を賭けた文字通りの真剣勝負。勝ったものが身体を手にし、負けたものが失うシンプルなもの。普通の人間がその心の弱さゆえに立つことすら敵わない土俵。

 ならば、そこに立てることとわざわざ再び刀を交えてくれる相手に対して多少の礼儀くらい払ってもよいだろう。

 左手で刃を持って柄が前方に向くようにする。本来なら鞘がないと危ないのだが、ここはあくまでイメージの世界なので問題ないだろう。だらりとぶら下げた左手を左拳が腰の辺りに来るまで上げる。右手も同じくらいの高さに置いた。前方を向くと、相手も同じようなポーズを取っていた。自分と同じように考えてくれているようだ。

 何の合図もなく、双方同時に頭を三十度まで下げる。その後同じタイミングで頭を戻し、互いに相手全体を視界に収めた。そして、ほぼ同じタイミング、同じ歩幅で右足から静かに歩を進める。互いに三歩歩いたところでちょうどいい間合いになった。右手で刀の柄を握り、鞘代わりの左手から引き抜く。一度上段に構えたところで下ろし、刃先の延長戦上が互いの喉元につく位置で静止。そのまま一度蹲踞した後に再び同時に立ち上がった瞬間、それぞれの存在を賭けた真剣勝負が始まった。

 最初の相手の突きを右の鎬でしのいで、そのまま左袈裟に刀を振り下ろす。相手は自分から見て左に足を運んで躱し、そのまま胴を斬ろうと狙う。それに対して、自分は後退しつつあえて刀を振り下ろす速度を上げて相手の刀を叩く。軌道が大きく外れて一瞬の隙が生まれたところで、即座に体の方向を変えつつ距離を取った。そうして一度互いに中段に構えたところで間合いを詰め、一足一刀の間合いに入ったところでほぼ同時に斬りかかる。

 互いに振りかざすのは式神の力も何もないただの刀。つまりただシンプルな剣術のみの勝負。そこに言葉はいらず、互いの思念は刀に乗せてぶつけるもの。戦いの中で分かり合うというどこかの少年漫画のような状況だったが、互いのイメージで作り上げられているこの世界であればなんらおかしくはなかった。

 百合をその手にかけてそのことだけを長い間引きずっていた相手と、優梨を自分のミスで失い罪と背負って百合を彼女に仕立て上げた自分。立場は変われど、結局根底にあるものは対象に対する執着だけだった。実際、自分は火雁を通じて優梨が残したメッセージを聞いていなければ、目の前の相手とほとんど同じことになっていただろう。いなくなったときにすべてを見失うほどに、自分達は彼女らに執着していたのだ。なんて馬鹿で煩悩に囚われた精神だったのだろうか。だが、それでもどうしようもないほどに思ってしまっていたのだ。

 結局は似た者同士の同族嫌悪。だからこそ、この戦いではっきりと決着をつけなければならない。互いの意思、互いの思いをぶつける必要があったのだ。それでしか勝敗はつかない。

 再び起こる剣技のぶつかり合いはその速度を次第に増していき、それにつれて二人の精神体にも痛みが走るようになっていく。型などとっくに捨て去り、その場の判断と反射のみで技となし、相手に向けて振りおろしていた。足運びも刀の速度もとっくに現実では到底不可能な領域にまで達している。

 それでも刀を振るうのを止めないのは、先に音を上げた方が負けると分かっていたから。そして、まだ刀を通した意思の疎通が十分な域まで達していないから。

 戦いにおいて相手がどう動き、どんな手段に出るのか。自分の技に対してどんな対応をするのか。それらの動作から漏れ出る感情を理解し、その上で残るべき者を決める。

 意地と信念。それだけで二人は何度も立ち上がり、何度も剣を交わす。

 大上段から振り下ろされる刀を左に躱し、そのまま相手の右胸を狙う。が、直後に突然右から刀を払われて体勢を崩す。相手が強引に軌道を変えてきたのだ。そのまま体が崩れた自分に向けて相手は左袈裟に刀を振り下ろす。刀で受けようにも先ほどの一撃が右手を離してしまうほどの衝撃だったため間に合あう気がしない。先に斬られるのがオチ。相手も真剣なのか勝利を確信した笑みをこぼすこともなく、ただ確実に仕留めようという意志だけがその表情から感じられる。

 後数十センチで刀が届く。その瞬間に自分の負けが決まるだろう。ならば、どうする。このまま斬られるのか?

 答えはほぼ反射的に伸ばした右手が示していた。その手は頭の真上で相手の刀を掴んで静止している。激痛で精神が砕け散りそうになるが必死に堪え、左手一本で刀を持ち上げる。両手の時以上の重みなど関係ない。不意を突いたこの一瞬を逃さず、一気に相手の胸に刀を突きさす。ひどくなる痛みに耐えながら右手で握っている刀ごと相手を引っ張り、自分の刀を貫通させる。一歩間違えば自分の方が意識ごと消えてしまいそうだったが、これが最善手だったと思う。

 何にせよこれで自分と相手の決着はつき、自分の身体を扱えるようになる。その際に、相手の魂がどうなるかは分からないが、おそらく脱出するのだろう。

 結局この戦いで分かったのは、自分と相手がただの似た者同士だったということだけだった。





 真っ先に見えたのは幽人の身体から伸びる煙のようなものだった。それは彼から逃げ出ているようで、身体の中で起こっていた戦いの結果を暗示しているようだ。

 煙は次第に人間のかたちを象っていき、ある程度細部が再現されたところでそれが幽刃だと分かった。表情を見る限り、疲弊と焦りでいっぱいいっぱいになっているようだ。この場合のときほど何をするかわからない。

 幽人の状態の方が気になるところだが、立場上優梨はそっちから気をそらすわけにはいかなかった。

(気にしないで。ここからはあたしがやるから)

「は?」

 突然頭に声が響いたと思った直後に優梨を襲ったのは強烈な脱力感。今まで溢れていた力がごっそり抜かれたような感覚で、思わずひざから崩れる。何が起こったのかと思えば、自分の身体からも幽刃と同じような煙のようなもの――おそらく百合――が抜け出ていた。せっかく得た力を失うのは少しもったいなく感じるが、彼女なりに考えがあるのだろう。半ば自棄になりながら優梨は百合が抜け出ていくのを眺めていた。

「はあっ……くそっ……」

 幽刃は魂だけの状態に慣れずに苦戦しながらも幽人とは別の依代を探していた。この際、馴染むかどうかは問題にしない。再び幽人の身体を奪うための一時的なものだ。まずは完全な実態である依代がなければ、今の疲弊した状態では長く持たない。

 ふと前方で力なくへたり込んでいる優梨の姿があった。何が起こったかは分からないが力が以前よりだいぶなくなっているように感じる。正直、絶好の的だ。

 見つけた以上、逃すはずもなく一気に一直線で距離を詰める。百合の依代となった身体なら自分の依代としても十分だろう。ここから再びはじめて理想を実現させる。

「何するつもり?」

「くっ……」

 だが、その寸前で自分と同じような状態になっている百合が目の前に飛び出てきた。優梨から消えていないとは聞いていたが、なぜここで急に現れたのか分からない。せめて彼女の死に方を変えたいと願いここまで頑張ってきたのに、その対象である彼女がしつこく邪魔をしてくる。これ以上自分の思いを踏みにじりたいのか。

「俺は……お前のためにびゅえふっ!?」

 声を大にして感情を言葉にしたら右の頬を強烈な痛みと衝撃が襲った。何をされたのか分からないまま数メートル吹っ飛び、なんとか視線を百合に向けなおしたところでビンタをされたのだと理解した。いろんな意味で衝撃を受け、様々な疑問が浮かび、幽刃はとりあえず呆けることしかできなかった。

「あんた馬鹿じゃないの? もうあたしらが『鬼』を狩ってた頃を再現してその中で『祓い人』らしく戦いの中で死ねたとしましょう。でも、それであたしが本当に喜ぶとでも思ってんの? そんなことのために全世界を敵に回すようなふざけたことさせると思ったの? そして、そんな馬鹿げた計画が実際に実現できるなんて本気で思ったの? いろいろしっかり考えてから物事を取り組め、この馬鹿!!」

「いや……その……」

 捲し立てるような百合の言葉に思わず幽刃は尻込みする。そこに今まで彼女らを追いつめてきた宿敵らしい面影はなく、ただ悪戯を姉に叱られている弟のような小さな背中しかなかった。

「俺はただ…………お前に謝りたかったんだ。お前は俺が殺したんだから」

「そうね。知ってる。それがどうしてこうなったんだか」

「へっ!?」

なんとか口に出たのは本当に小さな本心。それは百合も分かっていたからこそ、自分が死んだ後の幽刃が気になっていた。自分に引っ張られていながら自分に執着しがちだった幽刃がどうなるのか不安だったのがそもそも『鬼』になる原因となった感情だった。一言で言うとあのまま放っておけなかったのだ。結局は彼女自身もあの死に方には納得はしていない。が、それでも受け入れることはできた。幽刃にはそれができなかっただけの話。

「で、何か言うことはないの? あんたがどれだけあたしらに迷惑かけたと思ってんのよ」

「いや、その…………ごめんなさい」

 ごめんなさい。

 流されて言わされた言葉だったが、幽刃が百合に一番言いたかったのがその言葉だった。幽刃が本当に欲しかったのはその言葉を言うための時間だ。それが本当の最初の感情だった。

 それが綾瀬家に復讐し「祓い人」に対する怒りだけが溜まっていくうちにいつの間にかねじ曲がり歪んだものになってしまっていた。いつの間にか手段が目的にすり替わっていたのだ。

「あたしを殺したことに関しては許す。人間なんて不完全な生き物、結局どこで死ぬかなんて分かりやしないんだから気にしていたって仕方ない。世界の歴史に大きな影響を与えた人間でも腹を下したことが原因で死ぬかもしれないし、平々凡々なモブでもドラマみたいな死に方をするかもしれない。死に方なんて最悪の手段以外に、自分から選択できるものなんて元からないの」

 人間は生きている限りどこで死ぬかなんて分からない。そんな当たり前のことさえ幽刃は見失っていた。そうさせたことに百合自身も少し責任を感じていた。自分がもし、上手い具合に対処できていれば、と考えたことは一度や二度ではない。でも、それが不可能なことはもう分かっているからこそ、まず暴走した幽刃を止めることを一番とした。そのためには自分が消えてはいけなかったので、自分の魂を維持するために彼女自身も罪を犯してきた。だから、百合には幽刃が自分を殺したことを許さない理由はなかった。

「あり、がとう……本当にごめん。ごめんなさい……」

「うん……分かった。分かったから」

 完全に涙腺の制御が効かなくなった幽刃は百合の胸に顔を埋めて何度も謝罪の言葉を口にする。百合も何も茶々を入れずに珍しく穏やかな表情で彼の頭をなでていた。

「えと、何がどうなってるんだ?」

「感動の再会って奴じゃないの。結局は元々あの二人の問題だったってこと。ビンタ食らって正気に戻るなんて、なんて雑なシナリオなんだか」

 やっと意識が戻った幽人だが目の前の状況がまったく理解できない。優梨に目線を向けるが、彼女もやさぐれたように呟くだけ。

 とりあえず分かったのは、今回の宿敵が落ちたということ。 あれだけ豪快に繰り広げられた戦いはあまりにあっさりと終わったのだ。






 

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